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岡倉天心「茶の本」より  第5章 芸術鑑賞

2006-10-17 19:38:25 | 茶道書から
他の人たちは自分のことばかり歌うので、琴をならせなかったのです。私は琴にテーマを選ばせました。ですから、琴が白牙か、白牙が琴か、自分にも判らなくなりました」
この物語は芸術鑑賞の秘密を明らかにしています。傑作というのは、見る人の繊細な感情の弦が奏でるシンフォニーです。真の芸術は白牙であり、我々は龍門の琴です。美の魔法の手に触れると、我々の隠れた弦が目を覚まし、呼びかけにこたえて振動を始め、心が動きます。心が心に語りかけます。言葉のないところに耳を傾け、見えないものを見つめます。

われわれの心は、芸術家が色を塗るキャンバスであり、絵の具は我々の感情を表現し、色の明暗は喜びの光と悲しみの影です。傑作は、我々自身から生まれ、我々は傑作から生まれるのです。
 芸術を鑑賞するには芸術家と観客との心の交感が必要で、それは譲り合いの精神の上に成り立つべきものです。芸術家は自分のメッセージを伝える方法を心得ていなければならないし、観客は芸術家から送られたものを受け入れるのにふさわしい心構えを養っておく必要があります。お茶の宗匠である小堀遠州は、大名でありましたが、次のような言葉を残しています。
 「偉大な絵画を鑑賞するときは、偉大な王侯に拝謁するのと同様にせよ」。傑作を理解するためには、自分を控えて、どんな一言をも聞きもらすまいとする気持ちが必要です。

宋の有名な批評家が、面白い告白をしています。「若い頃には、自分の気に入った作品を描く人をほめたが、私に鑑識眼が出来てからは、私の好みが巨匠達が描く作品にあってきた自分を賞賛している」
今日、芸術家の心の底を理解しようという面倒なことをする人が少ないのは嘆かわしいことです。知らなかったために、この簡単な礼儀を怠ったって、目の前に広げられた美のご馳走を味わい損なうことはしばしばです。
名匠はいつでもご馳走の用意をしているのに、我々の方にそれを味わう力がなく、空腹のままでいるのです。

我々の心に訴えるのは彼らの手よりも魂であり、技巧ではなく人間性なのです。呼びかけが人間的であればあるほど心に深く感じます。名匠と我々の間に、秘められた相互理解があるからこそ詩やドラマの中で、主人公と共に悩んだり喜んだりできるのです。
 
日本のシェークスピアというべき近松は、戯曲構成の大切な要素として、作者だけが知っている秘密に観客を誘い込むことが重要だといっています。


巨匠は観客にそれとなく秘密を知らせる暗示の大切さを忘れません。
傑作をじっくり見れば、誰でも思いが無限に広がり畏敬の念がわいてきます。それらはなんと親しみ深く、気持ちの通じ合うことでしょう。これにひきかえ、現代の当たり前の品々のなんと冷ややかなこと。前者には人の心の温かみを感じ、後者には型どうりの挨拶しか感じません。
技術一辺倒の現代人は、自己を乗り越えることなど滅多にありません。龍門の琴をならせなかった楽人のように自分のための歌しか唄わないのです。その作品は科学には近寄っているかも知れないが、人間性からはますます遠く離れています

日本の古い諺に「うぬぼれ男に惚れてはいけない。彼の心の中には愛など受け入れる余地がないから」という意味のものがあります。芸術でも同様に、うぬぼれは共感にとって致命的です、芸術家にとっても観客にとっても。

芸術において、心通じ合う同士が一つになったときほど、きよらかなことはありません。その瞬間、芸術を愛する者は自己を乗り越えます。そして彼は存在すると同時に存在しない状態になります。

ある意味で、個性がその人の芸術鑑賞に限界を与えているのです。そして、個人の審美眼は過去の創作の中に、自分との共通性を捜します。もちろん訓練によって、芸術鑑賞のセンスの幅が広がり、これまで気がつかなかった美の表現を鑑賞できるようになることも事実です。しかし、結局のところ、宇宙空間に自分独自のイメージを見るだけです。その個人特有の性格によって感じ方が決まってしまいます。お茶の宗匠は自分の眼鏡にかなった物だけを収集します。このことに関して、小堀遠州に次のような逸話が残っています。
 遠州のコレクションの趣味の良さを弟子達が褒めそやし、「どの一つをとっても感嘆に耐えません。先生の方が利休よりも見る目があります。何しろ利休の道具を褒める人は千人に一人でしたから」遠州は情けない思いで答えた「それは私がいかに平凡かと言うことです。偉大なる利休先生は自分自身が感じる物だけを選んだのです。それにひきかえ私は、無意識のうちにみんなの好みに合わせていたのです。まさしく、利休先生こそ千人に一人の大宗匠でありました」
 
昨今の芸術ブームはうわべだけで、本当の感情に根ざしていないのが大いに残念です。民主主義のこの時代では、自分の判断に関係なく、最高に人気のある物だけをやたらに求めています。大衆は洗練された物より値段のはる物を、美しい物より流行に合う物をほしがっています。




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