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どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

カメラマンと写真13

2013-01-08 23:32:50 | 写真の話し
この項は基本的に行き当たりばったり書いている。なのでどうもうまくいかなくなる。

さてカメラマンをやっていると、基本的に被写体は選べられない。だがそれをどうするのかと言う方向だけはある。
テーマだ。例えば食品の写真は基本「おいしそう」でなければいけない。あとはその商店の属性で決まる。安いんだけど豪華とか、ひたすら上品にとかになる。
ただそれでも基本のライティングは決まっている。なぜか?普段とあんまり違和感がないようにするためだ。その中でイロイロなテクニックがある。

実は被写体を見つけましょうと言う事は、テーマを見つけましょうと言う事だ。被写体を見失うと言うのは、テーマが粉砕されたり、腐ったりと言うのが本当の所だ。たまに衝撃的な事件があって、発表できないとかそうゆうのもあるかもしれない。ちょっと名前を忘れたが、戦場カメラマンでイラクの死産児たちを撮った写真があったが、このところ見ない。出ても良さそうなのだが、出ていないと言う事は福島の事故のせいだろう。


最も重要なテーマは、自分と「なんとか」になる。例えば自分と「彼女」とかだ。被写体は「彼女」だが、実は撮影している自分との関係性を撮影しているのに気がつかないと、まずアウト。写真の私と、今の私とどちらがいいのとなる。それこそ被写体を見失うどころか、失いかねない。
最高のお手本がある。荒木経惟の「センチメンタルな旅」だ。エロ部分はともかくとして、夢中になっている自分と彼女の関係を、冷静に見つめていながら、やっぱり愛していると言い放つ作品だ。


関係性、このバランスが難しい。

とはいえ写真には客観性がある。この客観性を全面に出せば多少はこのバランス問題から抜け出す事が出来る。例えば建築写真とか、歴史資料の写真とかがある。これらは技術的な問題が多すぎる。だからプロが呼ばれる。建築写真なんてある意味技術さえあれば誰でも出来る。なにしろ建築物の個性がこの位置から撮れと言ってくるのだから。難しい所は少ない。ただ引きが無いとかそういった物理的な問題が多き過ぎるだけだ。

ここからが更に難しい事になる。


昔、あるカメラマンが複写の仕事でも気合いが必要だ、とのたまわっていた。どうゆう事なのだろうか。左右から同じ量の光を均等に当てて、調整して撮影すればいい話しだ。それ用のスタンドもあるしレンズ等もそれ用のを使えば問題が無い。ただ単に、紙からフィルムに移すだけの作業だ。

友人が実験をした。ものを用意して、同じ光源で、ものは移動せずさわらせず、カメラを三脚に固定してレリーズを付けて、何人かの美大の学生に撮影してもらった。その写真を現像してプリントして、バラバラな状態で皆に見せたら、自分の撮影した写真がどれかを言い当てたそうだ。
つまり複写でも、関係性は写り込む、ということだ。気合いも目に見えてしまうようだ。


カメラマンのハイテンションと言うのは、実際そういった所にあると思う。モチベーションの低い状態では、低いレベルの仕事になりがちだと解っている。かといって長期間のスパンの撮影だとハイテンションはおろか、モチベーションのコントロールも難しくなる。またお祭りのように短期間の仕事はハイテンションがいいが、長くなるとそれでは互いに疲れてしまう。こういった問題はある。


さて、被写体をどうしようと思ったら、やっぱり人です。これは最強です。
人は人に反応します。これは可愛いとか美人とかイケメンと言うだけではありません。人であればだれもがその写真に反応します。これは人の直接的な本能です。なので人を撮れば大体は間違いがありません。子供と言うのは更に強です。
とはいっても、人が今一番撮影が難しい被写体です。肖像権のあの拡大っぷりがどうしようもありません。


親学

2013-01-08 03:45:56 | インポート
すまん。やめてくれ。
ウチは家族全員が行動障害だ。理由は解らん。兄貴はかなりマトモだ。いやマトモすぎるほど、まともだ。


親学については、昔は良かったな、それだけだったらいい。でもちょっと違う。


ここだ。サイトがある。


日本社会が崩壊している、それは行動障害者が原因ではないのか、そういった感じがある。
考えとしては面白い。だが今生きている人と、親の問題がある。

私の意見の大体はこのブログに書かれている。


社会が主で、人が従のように感じる、それが親学だ。

親が犠牲になっているからだ。この話しでは。
親の教育が悪いから子がこうなったと言う話しになっている。しかしどう考えても、昔の方が酷い扱いを子供はされていた。例えば農作業時に、放置された。もちろんいっぱいいっぱい大丈夫に、暖かいようには出来た器だったが、そこに放置された。歩けるようになると、腰にひもを付けられた。それでよければ昔もいいと思う。

今はもっと多様だ。人も多様だ。何かに一元化すると言うのは、とても良くない。
犯罪だろうが何だろうが、社会にあるのは間違いない。しかし犯罪やら何やらが、人の多様性にあるのを制限しようと言うのは良くない。


とっても嫌なのが、私にとってだが、私の母を否定されたからだ。私の母は、完璧ではない。しかも昭和10年生まれで、小学校の教科書を恨んでいる世代だ。あの黒塗りですね。
母は、ある意味相当壊れている人だったが、私の問題は母のせいではない。


私の問題だ。




鏡氷と1月7日

2013-01-08 02:06:18 | インポート
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越後製菓の鏡餅のプラスティックを使って、氷を作ってみました。
ただ型を壊して抜かないといけないのが残念な所です。早速屋外のイルミネーションにおいてみます。


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みかんの代わりにザク氷を載せてみます。何か意味を感じない組み合わせです。
今日はこのまま街に出て支払いやら何やら済ませます。


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銀行前の門松が、営業終了したからでしょうか、撤去されました。ちょっと早いような気もします。


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大通りの道路は完全に凍結しています。大通りは高い建物に囲まれた狭い通りなので、日当りが悪く凍結しやすいのですが、雪をどかす場所が無いせいか、それとも何か別な理由があるのか解りませんが除雪がうまくいっていません。そこで圧雪を溶かすために融雪剤を撒いていると思うのですが、融雪剤をまいて溶けた雪が圧雪にしみ込んで凍結するのです。こうなると融雪剤も効きません。融雪剤をまいても最低気温が-4度以下になると、逆に凍結するのですが。
毎年ここはこうなります。学習能力が低いようです。


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本町通りの場合は、ちょっと違うようです。圧雪と言うのは、表面と地面に接している部分と構造が違うようです。上は磨かれてツルツルになるのですが、下は地熱と圧力で雪の粒が小さな氷の塊に変化しもろくなるようです。そこにトラックやチェーンを履いた車が通ると、下の層を破壊して上の層の雪とまじり、固まりにくい粉になります。真冬日が続くと出来るような気がします。融雪剤との組み合わせでもできますが、この場合は前者でしょう。
ただこの粉の下に、所々凍った圧雪の塊がいるのです。これが厄介。もの凄く滑りやすくなります。


なお盛岡市周辺の主要道は、こんな状態ではありません。かなりマシです。ちょっと市内が酷すぎるというのが印象です。


Dsc_1082


近所のスーパーの駐車場ですが、これは融雪剤を大量にまいたのでしょう。この時間で-1度です。
さて融雪剤の使い方としては、イマイチです。こうしてグズグズになった所で一気にどかしてしまうのが正しい方法です。そうでないと-4度以下に下がると凍りはじめます。また融雪剤の撒きむらが原因で、氷塊を作る事にもなります。


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さて帰る頃には暗くなって、鏡氷のイルミネーションが輝きます。とはいってもチトくらい。大きすぎるようです。


さてこの項を書いている午前2時の気温は、ー8.5度です。どうなっているのでしょうか。


ラグビー?

2013-01-07 19:42:14 | インポート
日本はラグビーワールドカップの開催国になろうとしていますが、実際の足下はどうなのでしょうか。


いや~近所の岩手大学のラグビー部が、第63回全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会に出場したのですよ。全国大学ラグビーフットボール選手権の下に位置づけられる大会でして、ここで優勝すると全国に上がれます。重要な大会です。
ただ彼らにあっておめでとうと言うと、いや勝つとは思っていなかった、とか、全然考えていなかったからお金が大変とか、とぼけた事をいいます。フツーなら何バカな事いってんだと怒る所ですが、そうだよね~と思わず同意してしまいました。私も全国に出場できるとは、全く考えていなかったのです。

まあその後、大学のグランドが整備に入って全く使えなくて練習不足気味だったとかイロイロありますが、結果は130対5で愛知学院大に負けたのですが、よくよく見ると出場校8校の内、4校が国立大学です。
北海道・岩手・新潟・東京学芸大が並んでいます。そして東京学芸大が2位ですよ!学芸大にスポーツ関連のコースがあったかしら、と疑ってしまいます。(ありました。でもラグビー専門の先生がいるのか?あ、一人いました。多少人を集められる環境にあるようです)

しかしだ、私学はそれなりに人を集めていたのだろう。それでも国立大が出ていると言う事は、ラグビーのレベルが全体で下がって来ているとなる。



さて第92回全国高等学校ラグビーフットボール大会を見てみましょう。
1回戦で60点差以上ついた試合が、19試合中4試合あります。100点差と言うのもありますね。2回戦でも16試合中2試合あります。55点差というのもあります。3回戦8試合中1試合あります。
これは各県ごとで、ラグビーの盛んな地域と前々マイナーな地域とが極端だから、となります。代表は佐賀県でしょうか。県内予選で300対0と言う試合もあったようです。島根県もマイナーです。今年花園にいった石見智翠館が202点差で勝っています。
なんでこうなるのかと言えば、少子化でただでさえスポーツを目指す子供が少ないのに、定期的に出る死亡事故、そして怪我などが競技人口を減らしています。この状態でラグビー部のある高校に進学しようとしたらどうなるのか。強い所に人が集まります。島根と佐賀は、ラグビー部のある学校がとても少ないので、更にこの傾向が強まります。

そうすると、更に集中してしまう。だけどそれで子供が100人集まったとしてもレギュラーとして出れるのは15人です。試合に出れないのに、とても厳しい練習。じつはここで、かなり脱落します。大学に進学してもラグビーを続けない子が半分以上でしょうか。入る子も先輩からの引きとかで、入る子が多いように見えます。

ラグビーはどちらかと言えば、大人のスポーツです。ルールがそうです。だから大学にはいってからが、本番と言う所があります。それがうまくいっていないと言う現実が、私からでも見えるのですが。


ラグビーエリートを育てるのに、ラグビーフットボール協会はがんばっていますが、ボトムがもの凄く薄くなっている状況が、見えているのでしょうか。
小学生に向けてタグラグビーの普及に力を入れていますが、その小学生が、高校生になって、大学に進む頃には相当の辞退者が出ているというのが現状です。


カメラマンと写真12

2013-01-07 02:25:38 | 写真の話し
さて被写体を見失うと言う事はどうゆう事なのでしょうか。

前回までイロイロ遠回しにいってきました。
例えばあるテーマで撮影を続けていたのが、その被写体が変化し、自分も変化してしまった。しかしルーティンワークみたいになって、互いにそれに気がつかなくなった。

とか、

マンガのチビまる子ちゃんのシリーズで、カメラ好きなお父さんが娘を被写体にがんばって写真を撮っているうちに、娘は写真嫌いになってしまったとか。(この話しは笑えない。実例がゴマンとあるのだ。マジでだよ。ほんと)

とか、

夢中になるあまり、自分の困窮化に気がつかなかった。

とか、

これは前回指摘しましたが、有名カメラマンの写真通りにしようとして、被写体の事を忘れていたとか、まあいろいろあります。
自分が単純に飽きてしまったと言うのもあったりします。


継続は力なりと言いますが、この辺りが実は一番難しい所です。例のうち、お父さん例以外は全部やってしまった事です。まず第一の例を使って話しをしましょう。

あるグループをずっと撮影して来たのですが、ある年から構成メンバーのメンタルが相当変わって来たのです。ただそれには気がついていたのですが、私は表現の方法を変えていなかったのです。軋轢は生まれなかったのですが、距離を置く事にしました。
この場合、見失う前に撮影を打ち切ってしまう必要がありました。もしくは人間関係を維持するために最低限におさえるとかが必要でした。ただ互いに甘える関係になってしまって、もうこりゃダメだとなったのです。

困窮化はいうまでもありません。ちょっと夢中になりすぎたかなと反省しています。とは言ってもカメラマンとしてやって行く上では、とにかく写真を撮りまくらないといけないのは間違いがありません。

頭で考える前に、身体が反応するレベルが大切です。それが出来なければ、周囲のありとあらゆる条件を把握して頭ん中がカラッポになるほどに情報を集めてシャッターを切ると言う、何か分けの解らん世界の話しになります。

土門拳が撮影中、「鬼が来る」と言っていたそうですが、まず過集中の事だと思われます。

正直な所、オススメしません。この状態。コントロール出来る人ならいいですが、かなり難しいです

普通は、こういった撮影をするとシュミレーションします。いろいろ想定します。被写体の変化がも著も重要なシュミレーションになります。とはいっても細かい手数は考えないと言う事が重要です。例えばズームレンズは手数を減らせます。それ以上に、自分がどこに立てれるのかをシュミレートします。
大体立ち位置で写真は決定します。どこにいるのか、その時いたのかで決定されます。

最適な場所で、その時にいたのかどうかです。実は表現を超えた偶然性なのですが、それが写真と言うものを決定している側面があります。

ますます混迷を深めてゆきますが、次回へ。