goo blog サービス終了のお知らせ 

どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

陛下と運転免許

2013-01-12 21:00:58 | インポート
天皇陛下が運転免許の更新に伴う、高齢者講習をうけられたそうだ。

記事はこちら。


さて運転免許と天皇陛下とは、この組み合わせに驚いた。ご自身で車を運転する姿が想像できない。もしも公道に出たら白バイ先導で、前後にSPのった車がつくのだろう。そもそも教習所はどうしたのだろうか。路上は絶対ある。軽井沢とか那須のご用邸付近で極秘に練習したのだろうか。都内でやった日には、通過する道路はほとんど警察で埋め尽くされて、下手すると信号まで操作されて、都内大渋滞が起きるだろう。

大体誰が教官になったのだろうか。やっぱり警視庁パトカー隊の隊長とかなのだろうか。

まあ戦前でないからそこまではと思うが、天皇が動くと実際そうなる。皇太子時代にとったにしても、同様だ。

ただ何で運転免許が必要なのだろうか。いまでも自分の庭を運転しているだけに過ぎない。実は一応公用地の道路だから、公道なのだろうか。マジメな天皇は、そのために免許を取ったのだろうか。考えられるが、さすがにこれはないだろう。

まさか、なのだが2・26の反省からイザとなったら一人ででも逃げられるように、免許を取ったのだろうか。あり得ない訳ではない。


不思議な話題である。


PS

皇太子は運転免許を持っているのだろうか。宮内庁のホームぺージには、皇室の免許等は載っていないようだ。


体罰

2013-01-11 04:11:29 | インポート
先のバスケット部の体罰問題で、自殺されたキャプテンに、ご冥福申し上げます。


私自身は、体罰容認派だ。スポーツ教育で体罰はあり得ると考えている。

ただ今回の場合、多分誰も解らないと思う。私も解らない。
なぜ彼が殴られ続けたかだ。そしてだが、もしかすると殴られる理由が見つからずに自殺してしまったのではないのだろうか。

体罰容認派だが、一つだけはっきり解っている事がある。体罰を受けるような事を、例えば試合中とか練習中とかしてしまった場合には、あった方がいい場合がある。それを本人が自覚している場合に限る。
特に、自覚しているのだが他者のせいにしている場合には有効だと思う。

だが体罰怖さで、努力すると言うのも本末転倒だ。一つだけ解っているのは、人は自信をもってのびのびと動いた方が成功しやすいと言う事だ。

それではのびのびとさせて、才能を開花できる人がどの程度いるのかだ。
まずいない。スポーツに関して確実にいえる事は、自己コントロール能力に長けていないと、のびのびとした環境では怠けやすいのです。正直な所、自己コントロール能力に目覚めさせるための、イニシエーションとしての体罰はあり得ると思います。

少し不思議だと考えてもらいたいのが、団体競技と個人競技の話しです。個人競技での体罰問題は少ないです。なぜなのでしょうか。
理由は簡単です。指導者が、選手を見捨てる事が簡単だからです。やる気のない奴は来るな!そういった論法が使えます。また選手もある意味一国一城の主です。監督と個性のぶつかり合いとか、イロイロあるのですが最終的には自己責任です。

体罰問題が大きいのは、ほとんど団体競技です。実はこの辺りに本当の問題が隠れていると思います。
実は団体競技では、指導法やメソッドがイマイチ確立されていないのか、体罰問題が散見されます。個人競技だと思われている柔道も、団体戦があると言う意味では団体競技です。事故率の高いラグビーは、団体競技、その緊密な連携と個人の奉仕、まず一致します。奉仕度が高いと事故率が上がるのではないのかと。


さて初めに体罰は容認されると言いましたが、実際は厄介です。効果的かどうかです。おまけに受けた人が納得できるかです。効果がなければ意味のない事を理解できなかった、という意味であの監督は道を踏み外したのでしょう。

いまの所の報道での情報での、とのが続く言い訳ですが、もしかすると監督は相当選手たちから嫌われていたのではないのかと思います。これは著名監督のジレンマです。強いチームを作り上げて常勝になってくると、部員数が増えすぎるのです。これはなぜかと言えば、強いチームにはメソッドがあり自分が伸びる可能性があると期待している子供が入学してくるからです。自分を伸す可能性のあるチームに所属したがる、と言う事です。
ただ現実的には、監督が細かく見れるのは50人以下、25人程度でしょうか。コーチがいてとかそういった組織は高校では相当難しいと思います。

正直な所、こういった悲劇を止めるためには、高校スポーツの抜本的改革が必要と思います。

幸いに日本には、Jリーグのクラブ制があります。またスポーツ少年団の組織もあります。ただこれが中学校とか高校になると突然学校対抗のとかになってしまいます。しかしここに矛盾があるのは確かです。

教育機関がサービスでやっている、部活動は本質的に問題なのです。



PS


実は本質的に謎なのは、体罰が常習化している部活動では全国を狙うようにはならないはずだ、と指摘します。恐怖管理で萎縮した状態で、詰め込まれるようにトレーニングして来たとしても、試合では結果が出せなくなったりします。更に萎縮するからです。

本質的に体罰にはいい所がありません。あるとすれば気付きの切っ掛けを作ると言う作業です。体罰を受ける事で深く反省するとか、そういった効果はない訳ではありません。本人が納得できるものだったら、効果があると言うのはそうゆう事です。

チーム全体に暴力を振りかざすと、最悪そうなります。なので見せしめにキャプテンを体罰対称にしたのでしょうが、キャプテンは常に納得していなかった、と言う事になるのでしょうか。

しかし見せしめであったとしても、常に暴力があるチームではチームの状態が壊れてしまいます。監督に対する不信とかも募りますが、殴られているキャプテンを見ながら、弛緩してゆくチームがあったのではないのでしょうか。

実はこの監督に対して、OBなどから存続の嘆願書の署名運動が始まっているようです。
これはなぜなのでしょうか。慕っている人が多いと言う事です。なぜ殴られても慕っているのかは、私には解りません。ただ、なにかがズレてしまった結果、この監督の暴力が悲劇へと結びついたのでしょう。


まったくの予断ですが、チームになにか決定的な隙間が出来てしまった。その際に新キャプテンになった彼の前には、同じスキームでくる監督しかいなかった。多分中間管理職のあの悲哀を、受けてしまったのかもしれない。

監督にその状況を報告しても、多分言葉が足らない。いや10代体育会系でプレゼン出来るのかと言う事だ。そんな能力があれば、自殺なぞしていない。
2軍落ちを平気で受ける。頭冷やしますとかいって。

そう出来ないのが、高校生だ。プライドもあるし自身の可能性の問題もある。


しかしだ、同じ高校でバレーボール部がやっぱり顧問の体罰事件があったり、正直な所顧問を切ってどうのこうのと言う話しではないと思う。

高校スポーツは甲子園や花園を含み、解体されるべきだ。


カメラマンと写真15

2013-01-10 02:28:14 | 写真の話し
さてホテルの話しになったが、実際室内での光源は、昔は横にあった。日本だとあんどんだ。これにしたって日本では江戸時代まで菜種油が高価すぎて、庶民は使えなかった。ローソクなんてもう本当に高価。ほとんどがいろりとかで光をとっていたのだろう。これは実際ヨーロッパでもそうだったようで、暖炉の光とかを使っていた。

更にだ、ヨーロッパの家は窓が小さい。これは更に光が横にある状態になる。

でっかい窓や、豪華なシャンデリアは実際17世紀を超えないと出てこない。板ガラスの量産が出来るようになってようやくだ。しかも王くらいしか使えないものだった。シャンデリアも昔は全部ローソクが光源だった。あのガラスは多分、ローソクの数をより多く見せるための工夫なのだろう。キラキラひかるガラスは、30本のローソクを100本にも見せたのだろう。

とにかく暗いのだ。

この暗い部屋に画期的な商品が表れた。ランプだ。いままでのローソクの何倍も明るい。まぶしいので、天井に吊るすようになった。しかし構造上、真下に光が届かない。そこで天井や壁から反射する光で生活していた。

さて間接照明の始まりだ。だがもっと明るく、例えば本を読もうとすると横に置くしか無い。芯の高さの調整で明るさを変えられるから、まぶしさも多少は和らいだろう。

革命が起きたのは、エジソンの電球の発明だ。ランプのように真下がダメとかそういった事がない。軽くてランプより明るい。いままでと効率も違う。ホヤを磨いて油を足してと言う作業がない。
ただやっぱり明るすぎたのだと思う。横に置かれる事はもう無くなった。横に置いても、ライトスタンドのように傘で相当に弱くして真下を照らす程度に抑えられた。

いまでもヨーロッパは、家のなかってこんなもんだろ、と言う具合にサイドライトを多用している。ホテルはその流儀にそっている。そしてほの暗い雰囲気で、豪華さを演出している。

「陰影礼賛」になってきた。

実は写真のライティングの基本は、そうとうにイレギュラーなものだ。天が一番強く柔らかい光源で、横は演出的な役割になっている。なぜこうなったのかと考えれば、写真はその生まれから屋外のものだったからだ。初期のダゲレオタイプ、あの銀盤に映し出される一点ものの写真だが、感度がめちゃくちゃ低い。好天下で10分とかかかっていた時代だ。明るいレンズが作られてなんとかなったが、露出に相当の時間がかかったのは間違いがない。
実はこれが影響している可能性がある。
その上、もしかするとロマン派の、自然の発見、と言うものがあるかもしれない。人類は長らく自然であったが、文化文明が進むにつれて、分離して行った。だがそれに気がつかなかった。気がついたのはロマン派の文学者だった。


科学が、ロマンを切り開いた瞬間かもしれない。当時「太陽の鉛筆」と言う写真集がある。カロタイプを生み出したイギリスのタルボットの作品だ。いまでもこの写真集にある、写真の利用法は、変わっていない。芸術にもなれば記録にもなる。そういった訴えがある。
いま追加されたのは、「共有」と言う概念が強調されたことだろうか。


ロマン派の幻想は、写真の出来の悪さで一蹴された。フランスは絵画の代わりにするのをためらい、イギリスは絵画とは違うが、これってイインジャねと言い放ち量産できる方法を開発し、ドイツは最後に印刷とあわせてグラジャーナリズムを発明した。

この間たった50年しかないのだが、これが近代というものだ。


またしても大脱線してしまった。


アドビ・ゲット、もともとライセンスあるのだが

2013-01-09 03:00:39 | インポート
20130109_10817

昔っから思っていたのですが、アドビの製品はソニー化していまして、もの凄く高品位なのですが、必要の無いフィルターなりが充実しています。それはそれでいいのですが、例えばフォトショップエレメントの中途半端さとか、かゆい所に手が届くあの中途半端さが廉価版の特徴で、それでいて使えないのが全くの特徴です。中間が無い状況です。

さてその、あの、そして、あれなアドビが、CS2を無料ダウンロード可能にしました。

このネタはネット上で駆け回って、もう古いものと思いますが、一応マックOS10.68でも動くようです。


20130109_13111


とりあえずサクサクと進みます。
この辺はカメラマンだから当然。ライセンスはあるよ。でも古いライセンスで、あれが打ち切られた瞬間はキツかった。
今回はそれをうまくやろうとしている、Adobiの戦略なのでしょうか。


環境もあると思うが、アドビのエンジンは今でも強力だと思う。




20130109_13713


何とかなりそう。動けばいいのだ。


20130109_14211


何とかなりそう。本当に。ただなんか、ウチのコンピューターが何か学習しているようで、そこが分け解んない。




20130109_20009


とりあえず、色データーの32bit処理が可能だ。実はこれは大きい。加工後の色が自然かどうか、全く変わる。



さてフォトショップと、フォトショップエレメントでも、インターフェースの差は大きい。アドビ以外の製品のインターフェースの使いにくいこと。もちろんそれになれればそれでいいのかもしれないが、圧倒的に使いやすい。


これは体感してもらいたい。
とりあえずCS2にこだわっていた人もいる。最小の機能がいっぱい詰まっている。


とりあえずAdobiさん、ありがとう。マジに以前切られた時には泣きましたから。
ありがとう。


とはいえ動作状況はまだよくわかっていません。立ち上がれば早い、そんな具合です。


カメラマンと写真14

2013-01-09 00:19:00 | 写真の話し
今一番悩むもの、それは光です。

カメラ、被写体(テーマを含む)、ときて写真を撮るのに必要なものは光です。そう思って自分の書いた記事の初めを読んだらビックリ。聖書のパロディをやっていないだけではなく、もう放り投げています。

なのでここは少し詳しく。実はめんどくさい事が横たわっています。

まず写真の発明以前から、いや絵画の発明以前から太陽があったので、上に光があると言う生活に人は慣れています。なので上に光源があった方がいいと言われています。で、大体間違っていません。

ただこの説だと、朝日や夕日はどうなんだとなります。ドラマティックでかっこいいですね。実際絵画でも多用されています。
多分ですが、答えは簡単で上に光源があった方が、ものはよく見えるということです。もちろん写真の初期の、あの感度が低かった時代では、昼間しか撮影できなかったから、それが影響した可能性もあります。
室内照明を考えれば簡単です。上からの光が一番影を作らず全体を照らす事が出来ます。なのでオフィスや会議室はそうなるのでしょう。

さてリラックスできる居間ですら、日本人は隅々まで見渡されるように天井に灯りがあります。この潔癖さは凄いと思いますが、ホテルなのでは間接照明が多用されています。光が上から来るのではなくて、横からフワっとくるイメージです。なおコマーシャル写真のほとんどは間接照明で撮影されています。多分ワット数からいっても間接光が主です。

ちょっとうんちくを。撮影で使う光源は何でもいいのですが、光源体が直接被写体にむき出しになっているものを、私は「生」と読んでいます。被写体に当たっている部分がキラキラする効果があります。ただ強い影が出ます。裸電球のライティングでしょうか。生な光に対して、トレーシングペーパーや薄い布で光を拡散させたものはデフューズといいます。弱い拡散光になります。影が弱くなります。
生な光を、箱で拡散させて更にデフューズさせたものをバンクと言います。バンクはもの凄く自然な影を作ります。

さて大きな壁面に光源体を向けて、被写体に直接当てない方法があります。バウンスといいます。このバウンスも、撮影用の内側が白い傘でやる場合と、それ用の板を使う場合と、単純に白い天井を使う場合があります。
バンクより面積が大きくなるので自然なライティングになります。場合によってはバウンスをデフューズして更に影を消してゆきます。
ホテルの天井は、大体白いです。バウンスと言う技法は間接照明と同義です。間接照明は光の損失が大きいので、天井からの拡散光も計算に入れなければ、かなり暗くなるからです。


さて間接光がなぜホテルで多用されるのでしょうか。それは多分安心感を演出するためです。なお今の新幹線も全面間接光です。それでも上からの光源になるように設計されています。多分室内の狭さを見せないような演出なのかと思います。天井が一番明るいので、高く見える効果が出ます。
ホテルではさりげなく横からの光があります。もしかするとディナーの席にはキャンドルがあるかもしれません。そうすると、下からの光になります。
室内では、上、横、ベットサイドと光源があります。もちろんお客様の利便性のためなのですが、「生」光と「間接」光の割合では、圧倒的に間接です。

なぜなのでしょうか。

そういいつつ、もう考えている事から相当逸脱してしまった。LEDの悪口を言いたかったのに!キー!