今日も明るいうちは外に出なかった。えらく逡巡してようやくボリューム計画の一端に着手する。何のことはない、確認のためにボリューム(そう部品としてのボリューム)をラインに入れるだけの作業だ。ものすごくのろいだろう?自分でもあり得ない遅さだと思う。確かに回路を外したり今後の計画を立てたり、そういった作業はある。だが一番大きいのは、逡巡する時間だ。
今後の展開とそこにかかる費用を考えながら、なのだ。
今回は一旦成功した。今後を考えると回路の組み直しというのが決定的になった。そしてもう一つわかったのはプリアンプのノイズ対策はシャレにならないということだ。ここの見直しも今後の問題になる。そうするとさらに逡巡するわけだ。
S山君は岩泉で農業を営んでいる。最近農業関連の記事で彼なりに激怒しているらしい。この混沌さが現代農業なのだ。彼の怒りはよく分かる。例えば都市部で農家を営む人たちの苦悩というのもある。30年間営農する縛りをかけられている。都市近郊でも第1種と指定されれば、どんなに自分の土地が宅地販売したくとも、かなり難しくなる。
だがここははっきりしている。それでもプロフェッショナルな農家は存在してきた。あったのだ。北海道の農家のように先物取引を使ってリスクヘッジを図る人たちもいたのだ。とはいえリスクヘッジのためな先物を儲けに使おうとすると厄介なことになるのだが。
だが彼らのようにできない農家の方が圧倒的多数だった。その上販売ルートがまったく限られていた。農協か経団連だ。その中では自主販売というのが夢のまた夢という時代もあった。そこに慣らされてきた人たちが未だかつて多い。
ただ農家はどのようにしても安定供給を要求される。安定供給だぞ?農業で?、これが日本の農業の本質的実態だ。
プロ農家だとしてもかなり困難なミッションだ。こうなるとよほどの能力のある人以外は生き残ることはないだろう。時間が足りないのだ。畑を見回って作業して、作業計画立てて、帳簿を見て相場も見つつ、天気予報と自分の農地の状況と照らし合わせて状況を見極める。1日ずれただけで結果が変わる苗の移植作業や、収穫作業にいかに人を用意するのかの手配も欠かせないし、そのための付き合いも存在する。
基本的にはIT化が今後作業軽減には重要なのだが、根本的には人がいないという状況が続いている。
逆説的に日本の農業の最大の問題は、高品質だということだ。そのための人が必要なのだ。だが高齢化が進み、担い手がいなくなりつつある。そのなかでIT化というのは難しい。慣れた作業しかしたくないというのが、高齢者だからだ。雇用問題はかなりある。そしてなのだが、農家で人権費までまともに考えられる人がいたら、それはプロだ。大体の問題は自身の人件費をまったく考えていない農家が多すぎるのだ。その美学は美しいゆえの毒がある。
自分たちを蝕んできたのだ。
ここでさらに逆説を言いたい。農業生産にインフラ整備は不可欠である。これはまったく正しい。これ以外の正論はないだろう。大体のところの世界中の農業生産は、インフラ不整備で消えてしまっている。日本はインフラ整備ではかなりいいと思う。だがなぜ農家は貧しいのかだ。インフラが整備されれば農家は潤うはずなのだが、なぜ潤わないのだ。
で、ここから先はカオスなのだ。今私の言葉も一つの断面でしか過ぎない。別な断面ではプロ農家もあるし、農協経済圏の断面もある。だが一番重要な点を言おう。あのカゴメですら自社農園を黒字化するのに10年はかかったのだ。
理由は簡単でカゴメの人件費そのものがあったからだ。これがプロ農家の実際だ。それではいわゆるプロ農家というのは、情熱でしか動いていない人なのだ。
なおキャベツとか白菜とか大根とかは、政府が価格調整をしている。価格変動が少ないのは消費者にとって利点だが、そういった政府の枠組みこそが問題なのだ。
なお、情熱ある生産者とそれを感じられない生産者と、どちらから買うかといえば間違いなく情熱ある人でしょう。そこには無農薬も有機栽培もないわけです。
引きこもっているので、CBSに残したユージン・オーマンディ/フィラデアフィルフィルの20世紀音楽というボックスセットを聞いている。改めてすごい指揮者だと思う。その凄さは個人表現ではないということだ。譜読みとか音作りとかではないのだ。誰に聞かせるのかがキッチリわかっている音なのだ。マニアウケではまったくない。だからこその深い譜読みがある。
聞いたことのない曲もすんなり入れるように、そして難曲も整理しつつ美しくまとめ上げる。驚くほどの技術だ。そしてたまにイタズラをする、というかオーマンディの個性としか言いようのない、あの喜びを共有したい熱情があるのだ。
同時代にはカラヤンがいた。レコード売上競争みたいなところもあって、二人とも異常なレコーディング数だ。だがカラヤンは芸術でオーマンディーはポップス扱いだったが、だがなぜ未だかつてNHKFMでオーマンディーが愛されるのかは、数量では説明がつかない。
騙されて、何も知らないアメリカで無一文で立たされたオーマンディーの原風景というのはある。だから愛されなければいけないのだが、にしてもすごいぞ。もちろん今でも軽いとかそう思われるだろうが、だから凄いのだ。
そうして喫茶響に行き、あのナゾテープの確認に行きます。2002年6月24日、NHKホール、NHK交響楽団、指揮クラウス/ペーター・フロラ、ヴァイオリニスト五嶋みどりで、90%確定です。あとは誰かが確認するだけです。
ポイントは第一楽章で一箇所弦を指で触る奏法をやっていることと、後半で左足を大きく踏んでいる音があることです。あとはすべてにわたって五嶋みどりの特徴が出ています。
とはいえこのテープの元の持ち主はすでに亡くなっているのでしょう。えらく乱雑なメモやらなんやら、もしかすると人の手を渡ってきたかもしれません。その訳の分からなさが、あのテープでした。
ご冥福をお祈りいたします。