7日置いて泳ぎに行った。最近泳ぐことに飽きてしまったのではないのかと疑うほど、泳ぎに行かない。これには言い訳がある。ある意味忙しすぎるのだ。他に気をとられすぎているからこうなるのだが、時間がなかなか取れない。
この奇妙な時間の取れなさというのは、できないことが増えているという裏返しかもしれない。
イロイロやりたいのだが、処理能力が衰えてきている。ここをマイペースでこなせればいいのだが、寝る時間だけは確保しないと、どうしようもなくなりつつある。
久しぶりに、タイム抜きで200メートル8本と100メートル8本泳いだ。おかしい。計算が合わない。2100メートル泳いだつもりなのだが。
全速力とかやらなかったので、まあ出来たのかもしない。いずれ31日で公営プールはお正月休みに入る。しばらくお休みだから少しだけ無理をしてみた。
そういえば、アレックス・カー氏が「日本景観論」という本を出しているようだ。まだ読んではいないが、日経ビジネスの対談を読む限り、アレックス・カー氏はまだ日本への希望を捨ててはいないようだ。
カー氏は昔からムカつく論客だった。はっきり言って彼は正しい。全く正しい。だからムカつく。
新幹線の路線脇に巨大看板があるのを嫌がるが、その背景を知らないふりをしている気がする。そしてその背景は、まさしくプアーなのだ。カー氏の言うとおりなのだ。あれこそが農村の貧困なのだ。
そして観光地の誘導看板に至っては、道に迷った人たちのために用意されている。それは高度経済成長期に、旅行すらできなかった人たちが旅行した時に生じた問題を解決するためだった。
それでもお客様は神様です。あんまり触りたくない。どうやって逃げるのかというのがある。
でもアレックス・カー氏に言いたいのは、電柱がない日常なんて考えられないよ。ということだ。もちろん土中化は簡単だ。だが電信柱にまとわりついた利権はなかなかに解決できない。一本の電柱で最低2社、下手すりゃ10社とか。そしてそれは、国家ではなんともできない。
ただね、それでも言い続けたあなたは立派だ。それでもね、残念ながらあなたの望む景観は、確実にない。
問題はここなのだ。
100年以上たつと多少は変わるのかなとは思う。
ただ戦後の混乱を踏襲しているのだ。そこが解決できればいいのだが、多分決してない。そしてそこが解決した時には、そこにはカー氏の言う日本でなくなっているのだ。
そこははっきりしている。
バス停に、クリスマスの名残があった。