沖縄・伝統文化

沖縄の伝統行事や伝統芸能・民俗芸能などを紹介するブログです。
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与論島・十五夜踊り

2006-12-05 18:22:13 | 行事
沖縄本島の北隣に位置する与論島の十五夜踊りをご紹介します。与論島の十五夜踊りは国指定重要無形民俗文化財に指定されており、琉球文化と本土文化両方の交流の名残をとどめているとされています。室町時代から伝承されるこの行事はかつては旧暦八月十五夜の行事であったということですが、現在では旧暦3月、8月、10月の15日、年3回実施されているそうです。なお、各回ごとの演目は少しずつ異なっているようで、旧暦八月の十五夜踊りがもっとも盛大に行われるとのことですが、今回の画像は旧暦10月15日の十五夜踊りのものです。かつて琉球王国文化圏にあったこの与論島には、「シニュグ」の行事など沖縄本島北部に通じる伝統行事も残されています。

最初の演目は「雨たぼーり」、いわゆる雨乞いの踊りです。高い山なく比較的平坦な地形の島であることから、天からの降雨は昔から人々の切実な願いであったことがうかがえます。踊り手はすべて男で、頭部をシュパと呼ばれる黒頭巾で覆い、その上から長いサージで巻いています。
「アーミ たぼーり たぼーり、シーマ がふうどぅ ゆがふう」という雨乞いの歌詞と太鼓の音頭にあわせて扇子を持って踊ります。

画像は「さんばすう」、いわゆる本土風の狂言で、殿様が家来に「末広がい」なるものを買い求めてくるよう命じます。家来;「末広がいとは如何なものでございまするか」殿様;「こう裾が広がって要しっかとして・・・」というような滑稽なやりとりが展開します。
ところが「末広がい」をみたことがない家来は都の市場で商人にだまされて破れ傘を買わされてしまいます。ここで言う「さんばすう」は、「能・三番叟」のことかと思われますが、登場する「末広がい」とは縁起物の扇子のことで、「狂言・末広がり」と筋がよく似ています。

画像は「二十四孝(にじゅうしこう)」と呼ばれる演目です。二十四孝とは、儒教に由来するとされる孝行話をお伽話風にまとめたものですが、ここでは我が子を犠牲にしても老父に孝行をつくそうとする息子の物語が演じられています。右端の老父は、年老いて歯が弱ってきたことから息子たちを呼び出し、赤子用の乳を飲ませるよう求めますが、次々に断られてしまいます。しかし、末息子(真ん中)だけは、子供は産めるが親は一人だけと子供の乳を与えることを承諾し、その孝に感心した老父から宝物を授かるというものです。ストーリー自体は本土の御伽草子のものかと思われますが、「ようちゃる者や 年や八十になゆる長者・・」と述べる口上や築登之(ちくどぅん)、雲上人(ぺーちん)などの登場人物も沖縄本島北部の「長者ぬ大主(ちょうじゃぬうふしゅ)」の構成によく似ています。最後は登場人物たちが三線・太鼓にあわせて喜びの舞を披露しながら終わります。

十五夜踊りには他にも「頼朝公」、「牛若丸」など、沖縄本島では見られない本土風の演目がありますが、最後は「六十節」にあわせて、演者と見物客によるカチャーシーで締めくくられます。カチャーシーは、沖縄本島の手踊りとは異なっており、体全体を大きく動かしながら円陣で踊ります。十五夜踊りの後は恵みの雨が降るといわれているようですが、この時も雨が降り出しました。

与論城跡に隣接するサザンクロスセンターの展示から、トカラ列島~薩南諸島のお祭りに使用されるお面や装束を紹介します。左上に見える鬼面は甑島の「トシドン」、その下側は薩南諸島の行事で登場するお面です。トカラ列島~薩南諸島ではこのように仮面が多用されるようですが、沖縄の舞踊ではほとんど使用されません。なかでも鬼が登場するのは、竹富島・種取祭のみだと思います。それでも与論・十五夜踊りの仮面は、奄美から伝来したともいわれる古典「しゅんだう」の仮面を彷彿させます。また、右端の仮面と装束は、悪石島の盆行事に登場する来訪神「ボゼ」に使用される仮面とシュロ箕で、ひときわ異彩を放っています。