へびのように賢く、はとのように素直であれ

いつの頃か、偽善が世の中に満ちている。偽善は見破らなければならない。へびのように賢く、はとのように素直でありたい。

「終わりのとき」へのサタンの計画!!③

2008-12-31 23:07:20 | Weblog
「終わりのとき」へのサタンの計画!!第3弾

  今年も、もうあとわずか。始まりの年の終わり。悪い情報は、さっさとお浚(さら)いするに限る。陰謀論と言われようが、なんと言われようが、悪の陰謀は実 在する。コンスピラシー(陰謀・共同謀議)は存在する。コンスピラー(conspiracy共同謀議)が存在しなければ、刑法上の共同共謀正犯は成立しな い。最近はやりの共謀罪等というモノは必要でない。
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  <ブルーホール:記事に無関係>

 
世界の情勢は、 悉(ことご)く陰謀によって、作られてきた。陰謀論を攻撃するのは、あまりに図星されるのは都合が良くないからである。陰謀論にもいろいろある。中には 『陰謀論』という傘の下で、勝手な憶測を誇張するやり方である。それは、一つは情報攪乱である場合もなるが、便乗商法も少なくない。それらを抜きにして も、陰謀は存在する。


 さしあたり昨今の陰謀は、イスラエルを戦争に駆り立てる企てであ る。ハマスはイスラエルが作った自作自演のテロ組織である。ハマスすべてを自作自演組織と言うのではない。その中核と細部にモサドが暗躍しているのは疑い がない。組織内組織を構築して、工作するのは諜報活動の常套手段だ。だから、ハマスの兵士は、首にダビデの星をあしらっているのだ。

 ムンバイが手始めなら、アテネの暴動は、世界に波及するであろう。理由などどうでも良いのである。とにかく、騒擾を起こす必要があるのだ。そこで無垢に犠牲者が当然出る。そんなこと眼中にない。心して、惑わされてならない。

 考えても見られたい。あのアデンの海に海賊が出るからと言って、何で世界の海軍が集結必要があるのか。インド洋の給油にしても同じである。あれは
ライス(国務長官)石油販売の片棒を担いでいるに過ぎない。その証拠に、アフガニスタンのヘロインは増産され、戦局は悪化し、インドとパキスタンはテロが続発している。


 医学が進歩すれば、病が減らなければならない。同じように、治安維持活動が推進されれば、治安は安定するのが順当であろう。そうでないのは、一つのマッチポンプであるからだ。そう、現代医学も、陰謀だ。

 方や、騒動を起こし、方や、取り締まる。消防士が放火して廻る、出動して消火活動をする。愉快犯でそういうのがいたが、それと同じだ。本質は同じだ。愉快犯ではなく、それがコンスピラシー(conspiracy共同謀議)であるところが違う。

  オバマは、ゴザに暴動に静観した。何を意味するか。ライスは、これまでの予定稿を読み上げ、ハマスを非難した。今、イスラエル軍は戦闘準備態勢を整え、地 上軍を展開する構えだ。32ドルの原油が、少々値上がりした。なんとしても原油価格を引き上げなければならない。金融崩壊の準備は整った。残す
は、エネルギー支配と食料支配の完成だ。そして、騒擾カオスオペレーションを引き起こす。


 そういう思いをひしひしと感じる。

【転載開始】 
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<ブルーホール:記事に無関係>
http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html


 近代主義の反宗教思想は、神やキリストに反するというよりはむしろ当時のキリスト教の不純な部分をふるい落としている面もあり、本来的なキリスト教を引き出している面もある。それに対するカトリック教会の態度は常軌を逸しているというほかない。

  
 こうした歴史の流れの裏面で、ロシアのメーソンの指導者であったモスクワ大学教授のコワレフスキーは1887年、パリ滞在中に同志と共に「コスモス」
ロッジを創立。1906年にモスクワとペテルブルクにメーソン支部ロッジを設立し、同年にそれを地盤として国会議員に躍り出る。彼の布教により国会議員、
将校、学者、市民が次々にメーソン化していき、1916年には大東社系だけでも50以上のロッジができた。ロシア最後の皇帝ニコライ2世の時代には、国会
議員のほとんどがメーソン化していた。
   
  こうして1917年、2月革命で帝政は倒され、ケレンスキー政府が樹立される。その政府も10月の協賛革命で倒されるが、革命を指揮したレーニンやトロツ キーも、メーソンの援助でロシア革命を達成したのである。彼らのやり方は、対立する双方に武器や資金を調達し、次第に世界変革という目的を実現させるので ある。
     私たちは「ロシアの共産主義革命が成功したのは、帝政に反感を持つ農民たちの支持があったからだ」と教えられているが、このようにして歪曲した歴史を百科辞典や学校教育を利用して世界中に普及させているのも、彼らである。

 レーニンとトロツキーは、皇帝が退位してケレンスキー政府が樹立してから、しばらくの間、ロシアを離れている。その間、レーニンはスイスに滞在し、トロ
ツキーはニューヨークで記者生活をしていた。その間、2人はロックフェラーとつながりの深いドイツ人のマックス・ワールブルクと、アメリカ人のパウル・
ワー ルブベルの資金援助を受けながら、共産主義革命の準備を着々と進めた。そして、革命の準備が整うと、トロツキーはカナダ経由でアメリカからロシアに帰り、 レーニンは名高い封印列車でチューリッヒからドイツ経由でペテルブルクに送り込まれた。その後、2人は協力して賄賂、陰謀、テロなど、ありとあらゆる手段 を用いてペテルブルクの支配権を握った。

  
 その後、ソ連のペレストロイカ、ベ ルリンの壁崩壊、東ヨーロッパの民主化、EC統一と、東西冷戦の時代の終焉に、世界中が「ついに世界に平和が訪れた」との思いに沸きかえった。もはや核兵 器の恐怖も過ぎ去ったかに思われた。これらを実施したゴルバチョフ、西ドイツのコール首相、フランスのミッテラン大統領は、いずれもメーソン員である。中 でもミッテランはメーソンの「300人評議会」のメンバーである。彼らにより1993年1月1日、ついに欧州共同体
ECが統合された。
   
  EC運動を最初に唱えたのは、オーストリアの政治学者でメーソン員のカレルギー伯爵である。彼はウィーンのメーソン・ロッジ「フマニタス」の主要メンバー で、世界をアメリカ・ブロック、ヨーロッパ・ブロック、イギリス・ブロック、ソ連・ブロック、アジア・ブロックに分けて世界政府を設立するという構想を抱 いていた。
   
 カレルギー伯爵はまずヨーロッパ・ブロックから着手した。チャーチルの支援でこの運動は軌道に乗り、1952年に欧州 石炭鉄鋼共同体(ECSC)、1958年に欧州経済共同体(EEC)と欧州原子力共同体(EURATOM)が設立された。そして、1967年にヨーロッパ 6カ国によるECが発足。その後、6カ国が加わって12カ国の経済統合体となった。そして1986年に「単一ヨーロッパ議定書」が決議され、1992年に EC内の物資・労働・資本・サービスの完全自由化を実現させることが決定した。(旧ソ連は実は世界最大のイスラム国家でもあった。しかし帝政ロシア時代か ら権力者たちは強烈に「自分
たちはヨーロッパ人である」と思ってきた。彼らのヨーロッパ思考はイスラム恐怖症の現れでもある。アフガニスタン紛争が起ったのも、イランで生じたホメイ
ニのイスラム革命の波が自国にまで押し寄せて体制を浸食することへの恐れであった。この視点は「終わりのとき」に重要な意味を持つ)

   
 ちなみに日本のキリスト教は、明治6年(1873年)にキリシタン禁制の高札が撤去されて、文明開化と共に受け入れられた。キリスト教を最初に受け入れ
た のは、薩長中心の明治政府に登用されなかった佐幕派諸藩や維新に後(おく)れをとった諸藩の武士階級出身の青年たちであった。彼らが官途で身を立てるのを あきらめ、洋学を身に付けて文明開化の日本を担っていこうとした際に出会ったのがキリスト教だったのである。植村正久の出た横浜バンド、内村鑑三や新渡戸 稲造の札幌バンド、小崎弘道や海老名弾正らの熊本バンドが最初期の源流であるが、彼らは皆、官途に不遇な武士階級出身の青年たちであった。
     明治から昭和にかけて天皇絶対主義の日本にあって、文明開化の名の下に妥協してきた日本のキリスト教の中にあって、内村鑑三は明治24年に天皇絶対制と衝突し(不敬事件)、無教会主義になった。

  大正時代になると、ロシアの共産主義革命やいわゆるデモクラシーの影響で日本でも社会主義運動が活発となり、日本のキリスト教も個人主義や社会運動に対応 する。個人主義に対応したキリスト者の代表が高倉徳太郎であるが、晩年、うつ病にかかって自殺した。社会主義に対応したキリスト者の代表が賀川豊彦で彼は 神戸新川の貧民窟で伝道を始め、神戸川崎造船所のストライキを指導し、公娼廃止や少年少女保護などに挺身した。
   
 昭和に入り、軍国 主義体制が確立されていき、昭和14年に宗教団体法が帝国議会を通過すると、キリスト教諸教会はこの法律に従って翌15年の奉祝大会を機に合同することに 決め、翌16年に「日本基督教団」を結成した。その翌年の昭和17年には、教団の統理が伊勢神宮に参拝して教団結成を天照大神に報告するという始末であっ た。こうした中で、内村鑑三の弟子であった矢内原忠雄がキリスト教信仰の立場から日本の満州政策や中国侵略を批判して東大教授の職をおわれ、その後も弾圧 に屈せず伝道を続けた。「日本基督教団」には見るべきものは現代に至るまで何もない。【転載終了】


「終わりのとき」へのサタンの計画!!②

2008-12-31 11:47:18 | Weblog
「終わりのとき」へのサタンの計画!!第2弾

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<ダビデの入れ墨を施したハマスのゲリラ:自作自演テロ?!!>

 最新の終わりの日の預言によると、
 平成20年12月28日夜、主はこう言われた。


      「エリエナイよ、彼ら(世の支配者たち)が何をしているか、わたしは見せた。彼らの悪だくみを。彼らはあなたについて、『木をその実の盛りに滅ぼし、生ける者の地から絶とう。彼の名が再び口にされることはない。』と言う。

 わたしは万軍の主。人のはらわたと心をきわめ、正義をもって裁くもの。わたしはあなたに見せよう、わたしが彼らに報復するのを。あなたは訴えをわたしに
任せたゆえに。彼らは言う。『主の名によって預言するな、我々の手にかかって死にたくなければ』と。世の人々は皆こぞって、彼らの力にひざまずいて敬礼し
たが、あなたは彼らにひざまずかず、敬礼しなかった。」

と、ある。 
 
 エリエナイとは『終わりの日の預言』の著者その人である。この連載は、『終わりの日の預言!!⑳最終回』で 終えたが、その後も休みなく、啓示は続いている。その内容は、ある人には、難解であり、ある人には、心琴線を捉える響きを持っている。勿論、投稿者は全体 意味を解し得ない。解し得ないが、その流れが、人の知恵に依らない真理を含んでいると驚きを持って受け止めている。それについて、検証を希望することは誰 でも出来る。公開されているからである。真摯な検証を通じて、議論をするのであれば、喜んで参加を求める。

 何事も、陋習(ろうしゅう=悪い習慣)をもって判断してはならない。素の心で、真偽を判断する姿勢が求められる。

  現在、転載中の『「終わりのとき」へのサタンの計画』は、その預言に基づいて、明らかにされた、あるいはされつつある、隠された真実の顕現であろうと思わ れる。そこが、その他の真実暴露記事とは違う。違うけれども、流石、その他の真実暴露努力は、核心に迫っていると感心し、安心した。

 この中にはないが、聖書の記述について、多くの改変がある。その事も、別稿で明らかにされている。追って転載する予定であるが、これまで抱いて来、理解に苦しむ聖書の謎が明らかにされるのは、良いことである。

 とにかく、旧来の陋習(ろうしゅう=悪い習慣)に囚われて、真実を希求する目を曇らせてはならない。イエスは言っている。

 《マタイによる福音書 / 7章 5節    
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。》

 同時に、その曇りに乗じて暗躍する、闇の計略を正しく知ることは、聡き人間の使命である。

【転載開始】 「終わりのとき」へのサタンの計画

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http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html

 1800年代、アメリカではユニテリアニズムが隆盛する。これはキリスト教の三位一体論に反対して、神の単一性を主張する立場である。子なる神キリスト
という理解も否定され、人間主義的、博愛主義的なキリスト教がここに誕生する。また、エディ夫人によって「クリスチャン・サイエンス運動」が創設された。
これは神癒(しんゆ)を主張し、病気や苦悩は幻想であると説いて精神治療を行うものである。
   
  1923年にジョージ・ワシントンがフリーメーソンであったことを記念してワシントンに建てられた「ジョージ・ワシントン・メソニック・メモリアルホー ル」には、これらの記録が保存され、メーソンだった歴代大統領の名前も列記されている。メーソンでない大統領は、ニクソンら、数えるほどしかいない。

   
  メーソンはロシア革命にも、大きな影響を果たしている。帝政ロシアにメーソンが入ってきたのは、18世紀初めのピョートル大帝の時代である。自身も英国滞 在中にメーソンになったというピョートル大帝の支援を得て、イギリス人のジェームス・ケイス将軍は、ロシアに着実にメーソンの思想を普及させていった。
     1740年にロシアのグランドマスターになったケイス将軍は、モスクワとペテルブルクを地盤に布教活動を行った。1750年には分散していたメーソン支部を統一するため、モスクワに「ラ・ディスクレシオン」ロッジを設立した。


  18世紀のロシアの女帝エカテリーナ2世も啓蒙思想の影響により自国のメーソンに好意的で、その影響で貴族や軍人の多くがメーソン員になった。しかしメー ソンによるフランス革命で君主制の危機を感じたエカテリーナは、1794年に突然すべてのロッジを閉鎖するよう命じた。帝位を継いだ息子のパーヴェル1世 も1797年にメーソン禁止令を出したが、その3年後にメーソン員ヤシュヴィル侯爵らに暗殺された。
   
 19世紀初頭に即位したアレクサンドル1世は、メーソン勢力が強いポーランドを懐柔するため、いったんはメーソン禁止令を解いたが、メーソンによるイタ
リ ア革命勃発に危機を感じて、1822年に再びメーソン禁止令を出した。しかし1825年12月1日、アレクサンドル1世は謎の怪死をとげ、その1週間後、 「デカブリストの乱」(ナポレオン戦争に出征しメーソン員になった士官らが帝政に反対するロシア内のメーソン結社と結んだ暴動)が勃発。新皇帝のニコライ 1世は武力でこの乱を鎮圧し、翌年の4月にさらに厳しいメーソン禁止令を発令した。
   
 この時期、キリスト教は本格的な反キリスト教 思想に直面していた。啓蒙思想の中心は『弁証法』のヘーゲルに代表されるが、シュトラウスの『イエス伝』(イエスの人格とキリスト教の理念を区別したイエ ス像を論じた)に関する論争から右派・左派・中間派に分かれた。フォイエルバッハは『キリスト教の本
質』の中で、「神は人間の願望の反映である」 と論じた。これがマルクスやエンゲルスに大きな影響を与え、マルクスハ「宗教批判はフォイエルバッハを以って終わった」と言った。マルクスによると、ヘー ゲルの弁証法は観念論の枠内でのことで真の意味での矛盾対立、その止揚になっていないと言う。そして、真の意味での矛盾対立は社会的階級の間のものである とし、『共産党宣言』をエンゲルスと共に起草する。その第1章には、「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」と記している。宗教は階級闘 争において常に支配階級によって悪用されてきたとし、「宗教は人民の阿片(アヘン)である」と指摘したのである。
   
 また、デンマー クのキルケゴールも、単なる思弁の世界での弁証法は弁証法の名に値しないと考え、実存主義(人間は未知の世界に、案内者なしに出で立つことができる実存で ある)を主張する。キルケゴールは、主体性によってのみ(客観性を否定してのみ)絶対なる神は人間に知られるものとなり、同時に人間も主体性の喪失された 状態から脱出して本来的な人間になるとし、そしてこれが人間イエスが神の子キリストであるという逆説にほかならないとした。皮肉なことに、迷路に迷い込ん でいたキリスト教は彼によって近代神学の活路を見出す。しかし、この思想は教会に対して徹底的に批判的であった。その後、ショーペンハウエル、ベルグソン ららがキリスト教に対して批判的な哲学を展開するが、特にニーチェは反キリスト教思想を徹底した。
   
 ニーチェは、キリスト教が伝統 的に神に対して人間を「奴隷の道徳」で縛り、生を弱体化させ、彼岸の天国という妄想に憧れさせて、現実世界に否定的にさせたとした。しかし神に対するとら われを人間の心から追放することは不可能である。だから積極的に神を殺してしまわなければならない。そして「神は死んだ」と宣言した。しかしこのことは、 人間が宇宙の中で、神なしに孤独に生存していかなければならないということである。そこで立ち現れるのが「超人」である。ニーチェは晩年、発狂するが、そ の思想はナチスに利用された。
   
 そしてキリスト教に大きな衝撃を与えたのがダーウィンの『自然淘汰による種の起源』である。彼の、 適者生存と自然淘汰を骨子とした進化論は、人類や生物の起源が数千年前に神によって創造されたものだというキリスト教の創造論的宇宙観を覆した。ダーウィ ン自身は「進化は創造主の働きである」と言っているが、反キリスト教思想に大いに利用されることとなった。
   
 こうした近代思想をカ トリックは徹底的に否定した。1864年には回勅『クァンタ・クーラ』を発布して、共産主義・社会主義・自然主義など一切の近代主義的思想を否定する。し かし、1870年にイタリアが統一され、ローマがイタリア王国の首都になって、教皇の俗権掌握は終わりを告げた。これに抵抗してカトリック教会は 1869~70年にヴァチカン総会議を開き、教皇無謬説を教理として制定する。これは教皇が「教皇の座」から発した決定は、それ自体におい
て不可謬である(絶対に間違いがない)とする教理であるが、もはや空しいだけであった。1871年、イタリア国会は教皇の身分を保証する法律を通過させ
て、教皇に主権者たる地位・外交交渉権・325万リラの年金を保証した。それに対して教皇ピウス9世はイタリア王を破門し、同法を認めず、ローマ教皇が
ヴァチカンから外に出ない状態が続いた。
   
 
カ トリックの中にも近代的学問に対して開かれた人々はいて、聖書の批判的研究や、教理の発展についての歴史的考察を行っていたが、カトリック教会はそれをす べて異端とし、教皇ピウス10世は1907年の回勅『パスケンディ』で、彼らを破門した。1910年にはカトリックの聖職者から近代主義に反する誓約
書を要求。ピウス11世は、回勅『フマーニ・ゲネリス』によって進化論を攻撃し、1950年には聖母被昇天の教義を宣言した。これは聖母マリアは死後、霊
魂だけではなく肉体をもって昇天したという教義である。
     1929年、ローマ教皇とイタシア王国との間にラテラノ協約が結ばれ、ヴァチカン市国が成立した。【転載続く】


資本主義経済の終焉!!⑬

2008-12-31 11:36:16 | Weblog

資本主義経済どうのこうのよりも、
所詮、インチキ、詐欺、カラクリがまかり通っていることが、
最大問題だ!!


 かつて、BIS規制という問題が世相を、取りわけ、銀行を震撼させた。日本経済バブル後の時期であったかと思う。BISとは、国際決済銀行の略で
ある。そのBISに於いて、もっぱら、国内取引銀行は、自己資本比率4%、国際取引銀行においては、同8%以上と規制された話である。

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<ロシア中銀が事実上のルーブル切り下げ、今月8度目>


  当時、そういうものかな?、と言うぐらいの認識であったが、よくよく調べていくと何の根拠がないことが、判明した。その証拠に、今般の米国金融崩壊の発端 となったサブプライムローン発端時に、米国は、国内銀行に限って、その規制をいち早く撤廃したからである。何のための規制か、いぶかしく思ったのも、つか の間、今度は、勝手に100日ルールとか作って、時価会計資産評価を繰り延べた。その為に、本来、サブプライムローン問題は、本来の暴発時期を2007年 3月から、6月へ、さらには9月まで引き延ばして、調整崩壊させたことになる。

 結局、規制だとか、ルールだとかいうモノは、その根拠を問えば、公正に照らして、意味がない。有るのは、ご都合に依っている。つまり、何とか現在の経済体制の齟齬(そご=くいちがい)を繕う都合である。

  資本主義経済は、別名でいうと、マネー投機経済の様相を呈してきたことは疑いをぬぐい去れない。生産する、流通する、サービスを活発化するという本来の経 済(実体経済)を活性化すると言うよりも、マネーがマネーを生み出す投機活動が、その大半を占めるようになったからである。金融工学という、大層な架空投 機市場が創設されて、マネーというマネーがそこに注ぎ込まれてゆく。

 本来の拡大再生産の 資金需要とは、全くかけ離れた莫大な資金が信用創造され、実際の資金需要とは別に、バブル化した資産が想定され、企業そのものが商品のように売り買いされ ていく。その売り買いによって、実体経済の資金繰りは無視され、企業買収利益とその資産価値がコマーシャルペーパー化され、資金調達される。
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<GMAC、TARPから60億ドルの融資申請か=クレジットサイツ>

 企業経営は、その経営そのもの手腕を問われるのではなく、企業資産価値の創造に費やされ、ある物は買収され、解体される。解体された部分は、スク
ラップされ、二束三文で捨て去られる。本体部分は、効率化され、最大限の人員削減と、労働集約化を図る。巷には、失業者の山である。市場原理主義の正体である。


 しかし、しばらくは証券バブルを呈するから、一部の成金投資家が量産される。企業活動に全く関与しない博徒の輩である。生産性は一時的に向上したかに見えるが、バブルは必ず弾ける。

  バブルが弾けると、時価会計資産は暴落する。一気に効率化された企業価値も、合わせて暴落する。資産バブルによった高収益決算会計は、一気に大幅損失、破 綻決算会計に化ける。その為に、その綻びを繕うために、規制を変え、新ルールを設定するのである。それは、単なる時間稼ぎに過ぎない。

 どこに、公正を見いだすことが出来ようか。

 時価会計という会計基準を考案したのも、元々は何の必然性はない。M&A(企業買収)をし易くするためであり、バレッジド・バイアウト<LBO
(leveraged buy-out)=買収対象企業資産を担保とする企業買収>のためであり、三角合併もそのうちに含まれるだろう。その目的のための方策に過ぎない。


 要は、民の生業を基本とするあらゆる産業を、投機の市場に載せ、不安定をテコに自由に支配する手段として考案されている。規制、ルールに何の公正も正義もない。あるのは資本主義経済という大義名分で、賭博場の胴元が定めた『ぼったくり』の為のルールである。

 ここで気づくことは、はたして、誰が儲かり、誰が損をしたか。一目瞭然である。高値売り逃げした物が儲かり、高買いで暴落に憂き目にあった者が大損をしたのである。これは、賭博詐欺である。最後に勝つのは、賭博場の胴元と、そのインサイダーである。

 こうして、資本主義経済は投機(賭博)経済に堕落することによって、終焉を迎えることとなった。この構図は、ほんの一握りの専門博徒が、過半の利益を得、追従したチンピラ博徒が、なけなしの金を擦り(すり=なくすこと)、まじめな労働者が寒空で飢える構図である。
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<11月完全失業率は3.9%、短時間就業者など増加を注視>

  BISはBank for International Settlementsの略で、国際決済銀行である。元はと言えば、ドイツの敗戦賠償金の決済銀行であった。所詮は、ぼったくり銀行である。その銀行が、 規制する意味が分かるであろう。いかに世界の富をぼったくるかを目的としている。その銀行は、かつては日本の標的にし、バブルを崩壊させ、資産を暴落さ せ、銀行を潰した。そして、ハゲタカの餌食を提供したのである。

 所詮は、インチキなのである。やることなすことインチキ、詐欺、カラクリのオンパレードなのである。その事が証明されたのが、今回の金融恐慌である。

 資本主義経済といえども、その公正さと節度有るルールが確立されていれば、まだ、許される。信用創造という拡大再生産の手法も、物質文明の起爆作用としての功利はある。誰しも多くの人々は、それを信じ、願ってきた。今も、それに一縷の望みを託している。

 しかしながら、これは罠であった。世界経済を牛耳る国際金融資本の罠であった。その証拠に、国際金融資本の息の罹ったアナリストは、過去に於いて、今日の今日まで楽観論しか発言していない。それは、おこぼれに預かろうとしたからである。

 所詮は、投機であるから、賭場であるから、崩壊する時期が重要である。崩壊し、注ぎ込まれた富が最大限に達した時、市場を閉鎖する。即ち、賭博場を閉鎖するのである。その時を虎視眈々狙っている。

 今は、その走りである。崩壊を危惧し、右往左往しているこの時、救済と称してあらゆる資金が注ぎ込まれる。これからである。注ぎ込まれるだけ注ぎ込まれた時、あらゆる国家は、債務超過に陥る。債権者は誰か。賭博場の胴元、その仕掛け人=国際金融資本である。

  その時、登場して、デフォルトを受け入れる替わりに、金融統制をかけるつもりだ。経済支配が完成する。その時、すべての取引は停止される。証券の電子化は 完成寸前だ。ネットの寸断で、情報は隠蔽される。その時、資産の勘定は恣意的に操作される。莫大な国家負債と電子化された証券情報。国家は負債のために、 債権者の言いなりになる。国家は電子化された証券保有者に、踏み絵を課す。従順である者とそうでない者は振り分けられる。

 ファシスト体制の経済的側面の完成に向けて、動きが始まった。