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歴史は反逆を許さない

2013-06-17 | 歴史史観
歴史は反逆を許さない

 戦争違法化と安倍首相・橋下氏暴言

 歴史家 荒井信一さんに聞く

 安倍首相や橋下徹・日本維新の会共同代表の歴史問題をめぐる暴言が内外の猛反発を買っています。暴言の背景に人類が乗り越えた古臭い19世紀的戦争観があると指摘する、歴史家の荒井信一さんに聞きました。

 安倍首相が、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と発言したのが事実と違うのは言うまでもありませんが、こんな発言が出てくる首相の戦争観が問われなければなりません。

9条に実る

 19世紀までは、国家は正義を体現している。よって戦争は国と国との正義の衝突であり、正義か不正義かを判定する国際組織もないという「無差別戦争観」が支配的でした。この考えを前提にすれば、国民は国の戦争に献身的に協力すべきだということになります。
 しかし20世紀の2つの世界大戦によるおびただしい被害を通じて、人類はこの戦争観を一歩ずつ克服し、国際社会に「違法戦争観」を定着させてきました。第1次大戦後のベルサイユ講和条約(1919年)、不戦条約(1928年)、第2次大戦後のニュルンベルク、東京の2つの裁判(1945~48年)、そして国連憲章第2条4項や日本国憲法9条に受け継がれています。
 安倍首相が、侵略かどうかは「国と国との関係でどちらから見るかで違う」などというのは、無差別戦争観に立っていると告白したようなものです。現代において通用しません。
 戦争に伴う違法行為や犯罪は認めるが、「戦争の時はどこの国もやっていることだ」「戦争だからやむを得ない」として加害責任を棚上げし、被害者に対しては受忍と過去を水に流すことを要求する論理に発展していくからです。
 橋下氏が「慰安婦」必要発言のなかで「あたかも日本だけに特有の問題であったかのように非難し」うんぬんと語ったのも同じ論理です。これは第1次世界大戦以来の歴史の蓄積を否定する、歴史への反逆と言うべきです。

訪米できず

 戦争違法化の考え方が定着するにつれて、人間の尊厳や人権を踏みにじる行為が戦争犯罪として処罰されるようになってきました。戦争の違法化を侵略と言いかえるなら、侵略において人権の侵害、女性への迫害・性暴力が問題になり戦争責任が追及されるのが現代です。
 橋下氏の「慰安婦」必要発言と一連の弁解で思い出すのは、第1次安倍内閣の安倍首相発言です。
 安倍首相は組閣直後、河野談話を受け継ぐ(2006年10月3日)としたものの、「定義されていた強制性を裏付けるものはなかった」(07年3月1日)と強制性を否認しました。
 米下院外交委員会に、「慰安婦」にされた女性たちに対し日本政府が公式に謝罪するよう求める決議案が提出(同1月31日)されます。しかし首相は「(決議案は)客観的事実に基づいていない」「謝罪することはない」(同3月5日)と開き直ります。
 ところが4月のブッシュ大統領との会談前に米紙ニューズウィーク、ワシントン・ポストの記者からの質問に答え、「従軍慰安婦にされた人びとに心の底からの同情を表したい。人間としてまた日本の首相としてこの人たちに謝罪する必要がある」(4月21日)と軌道修正をはかりました。
 記者から「これまでの発言と違う、あなたは(強制性の)証拠はないといっていた」と突っ込まれます。すると「そんなことを言ったのは私が最初ではない」「軍の関与を示す証拠はないという事実を最初にのべたのは私ではない」(ワシントン・ポスト紙4月22日付電子版)と苦し紛れに逃げの答弁を繰り返しました。
 謝罪という言葉を口にしながら、核心である強制性を否定した発言をひとごとにした語り口が印象的でした。

 今回、橋下氏は訪米断念に追い込まれました。歴史は反逆を許さないと知るべきです。

あらい・しんいち=1926年生まれ。茨城大学・駿河台大学名誉教授。専攻は国際関係史。「日本の戦争責任資料センター」共同代表。著書に『歴史和解は可能か―東アジアでの対話を求めて』『戦争責任論』『原爆投下への道』『空爆の歴史』など。

(しんぶん赤旗2013年6月11日)

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