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しんぶん赤旗日曜版・対談 映画「少年H」 主演・水谷豊さん 監督・降旗康男さん 

2013-08-07 | 各界インタビュー
対談 主演・水谷豊さん 監督・降旗康男さん 

映画「少年H」が問う生き方

 妹尾河童さんの自伝的小説『少年H』が、降旗康男監督、水谷豊さん主演で映画になりました。揺れ動く時代の中で人はどう生きるのか、今日に問いかけます。10日からの公開に先立ち、降旗監督と水谷豊さんが話し合いました。

先生が「少年兵になるな」

 水谷豊 ご一緒に仕事をさせていただくのはテレビドラマ「赤い激流」以来、36年ぶりですね。思えば僕は24、25歳で降旗監督は40代前半。監督に現場で僕の若い頃のことを見られてますから、格好つけることは何もなかった。再び監督の現場に出るということが楽しかったです。
 降旗康男 年輪を重ねてこられた水谷さんに会えるのが楽しみで、毎日撮影がどんなふうになるのかなと。
 水谷 僕は昔から戦争ものと時代劇は似合わない俳優だと思われてたんですね。でもチャンスがあったら戦争の時代のものをやりたいと思っていました。
 僕は終戦の7年後に生まれてるんですけど戦争というのは人が人としていられなくなったり、持ってた価値観を全部変えられてしまうような時代だと思うんです。そういうことを表現しておきたいというのは、俳優の本能みたいなものかもしれませんね。それが今回、「少年H」と出会って、Hの父親役を演じることができて本当にうれしいです。
 降旗 僕は原作者の妹尾河童さんより4歳年下で、同じ時代を生きてきて、映画化のお話を頂く前に原作も読んでいました。
 終戦の前の年、僕が国民学校(小学校)4年生の時に、郷里(長野県松本市)に「もう戦争は負けなんだから、少年飛行兵とかに応募したらいけないぞ」と言ってくださった先生がいました。その先生と「少年H」のお父さんがダブったものですから、個人的な思いでお引き受けしました。
 当時は、そんなことを言ったとばれたら、警察か憲兵にしょっぴかれる時代でした。にもかかわらず言ってくださった。映画化はささやかではありますが、活動家としての先生への恩返しです。

戦争中こんな家族がいた

 水谷 僕の演じる妹尾盛夫役は、あてはまる年代の俳優さんは、原作を読んだらみんなやりたくなるんじゃないかなと思いますね。戦争の時代にこういう人、こういう家族がいたんだと。人が人として生きにくい中で、本当に人間らしく生きようとしていた。「人って何だろう」ってことを日々考えているのが俳優ですからね。とても興味深かった。
 降旗 「少年H」の家族は、戦争中も戦争に負けた後も誰もいわゆる立派な人になりませんでした。
 水谷 僕にとってのネックは神戸弁だったんですよ。これがうまくいかなかったら作品を壊してしまう。実は僕は、盛夫役は神戸出身の俳優さんがやった方がいいと思ったんです。でも、ほかの人がやっていることを想像したら我慢できないんですよね(笑)。この父親役をやるのは僕しかいないと。
 降旗 河童さんは、今、水谷さんを「お父ちゃん」と呼んでますね。
 水谷 ハハハ。「お父ちゃん、ごめんね。僕、大変だったでしょ」って言うんですよ。写真を見ると、確かに似てるんですね。
 降旗 打ち合わせはしなかったですね。やりやすい雰囲気をつくって、そこで俳優さんがやってくださることを観客代表として見てね、ああ、こういうことかなと思ったら、それでいいんではないかなと思っていましたから。
 水谷 現場に入ったら、監督が何をどうしようと思っているんだろうということをいち早く見つけます。見えてくるものがあるんですね。監督がどの世界へ行こうとしているのか。恐らく監督は言葉で説明できないところにいきたいと思ってるのではないかな、と。
 降旗 悲しい顔でやってくれと言ったってね、悲しい顔でやってもらった顔が、おかしい顔になる場合もあるでしょ(笑)。僕はあまりしゃべるのはうまくないんで、言葉で言うことへの不信があります。

伊藤蘭さんと29年ぶり共演

 水谷 原作が素晴らしいと、映画になった場合にがっかりされることが圧倒的に多いんです。でも今回、映画になってがっかりしたという声は、聞いたことがないんですね。原作の河童さんも喜んでるんです。それがうれしい。監督を邪魔しなかった。ハッハッハ。
 降旗 信頼してました。
 水谷 伊藤蘭さんとの共演は29年ぶりです。彼女と結婚してからは、もう一生、共演はないかもしれないという思いはありましたからね。僕は原作を読んでるとき、どうしても「少年H」の母親の敏子さんに蘭さんが重なってしまうんです。プロデューサーの方に、「これ、僕がやらなかったとしても、敏子さんは蘭さんがいいと思いますよ」と言ったぐらい。
 降旗 敏子さんは妹尾家の重石(おもし)になる人ですね。Hとお父さんは羽が生えて外を飛び回ってる、それに糸をつけて引っ張っているのは奥さんだっていう感じですよね、この家族は・・・。蘭さんは適役ですが、共演する否かはご夫婦の問題だから、「お任せします」と言いました。(笑)
 水谷 まず蘭さんに、「これ面白いから読んでみて」と原作を渡しました。しおりの位置が後ろのページに移動していくのをチェックして・・・。
 河童さん夫妻と食事をしたとき、蘭さんが河童さんに聞いたんですよ。「この敏子さんってどなたがおやりになるんですか」って。そしたら河童さんが「あなただよ」って(笑)。蘭さんは、本気にしないで「またまた」って笑ってました。
 それで「僕はこの映画の撮影期間中に60歳になる。還暦のお祝いに敏子役をやってくれないか」と。
 降旗 キャメラの前ではお二人とも実際の夫婦ではなく、妹尾一家の夫婦でしたよ。
 
「バスに乗り遅れるな」と

 水谷 H役の吉岡竜輝君は、よくこういう子が見つかったなと。河童さんの小さい頃にそっくりなんです。
 降旗 河童さんの持ってる、ちゃめっ気を感じさせる少年でね。選考を経た最後のオーディションで全員一致だったと思います。
 水谷 この映画が6月、モスクワ国際映画祭で上演された時、監督と蘭さんと僕の3人で、ロシアの人たち大勢と一緒に見たんですけど、本当に皆さん、すごかったですね。笑って手をたたくし、泣くし・・・。見終わった後、興奮してわれわれに話しかけてくる人もいました。
 それを経験して、戦争に勝った国も負けた国も、普通に暮らしている人たちには、通じるものがあるんだなと感じましたね。
 降旗 僕が子どもの頃、「バスに乗り遅れるな」という標語がありました。ドイツと同盟を結んで、戦争のバスに乗らないとダメという風潮が生まれ、戦争に突入していきました。そういうときに、バスに乗ろうとしなかった盛夫さんたちの姿を見て、どういうことでああいう行為を取れるんだろうと思いを至らせていただけたら。
 ただ映画や小説は各人各様のものなんですね。一生懸命、2時間の中に込めましたので、どうぞ見てください。それぞれの人の心に何かが芽生えればいいと思います。
 水谷 僕は、この作品は人間賛美なんだなと。どんなに大変でも前に向かって生きていくぞ、と。人って素晴らしいと思えました。
(しんぶん赤旗日曜版2013年8月4日号)

ふるはた・やすお=映画監督。1934年、長野県生まれ。57年、東京大学文学部仏文科卒業後、東映に入社。66年、『非行少女ヨーコ』で監督デビュー。74年、フリーに。おもな監督作品に、『新網走番外地』シリーズ、『冬の華』『駅 STATIОN』『居酒屋兆治』『あ・うん』『鉄道員(ぽっぽや)』『ホタル』『単騎、千里を走る。』『あなたへ』など。映画人九条の会代表委員。

みずたに・ゆたか=俳優。1952年、北海道生まれ。68年、テレビドラマ『バンパイヤ』で初主演。主な作品は、テレビドラマ『傷だらけの天使』『熱中時代』『男たちの旅路』『相棒』シリーズ、映画『青春の殺人者』『幸福』『逃れの街』『相棒』劇場版、『HОME 愛しの座敷わらし』など。『相棒-劇場版Ⅲ-』が来年春、公開予定。

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