”佐世保事件”
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石仏
>>4 samuraiさん
そういえば、日本が富国強兵にまい進した原因のひとつが、清の艦隊が横浜港に入港し恫喝、さらに呉にも行って、東郷平八郎にばかにされ、佐世保に不法入港し上陸した水兵が乱暴狼藉を働いた上、鎮圧に出動した警官を殺害した”佐世保事件”と侵入した事件だったな。 歴史に学ばない中国。 これらに関して面白いブログを見つけたのでご覧下さいー
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan7.html
前略・・これらの艦隊を「北洋艦隊」、このように清が欧米の軍事技術を取り入れたことを「洋務運動」といいます。
清の恐ろしさを日本に理解させるため、さっそく日本に見せびらかしに行きます。
名目は「親善訪問」ってことにでもしておいて、ご自慢の定遠、鎮遠を含んだ数隻の艦隊で日本にGO!
所変わって、こちらは日本。場所は横浜。
清の艦隊が「親善訪問」ということで、東京湾に入ってきました。
さすが清の北洋艦隊、船も大砲もでかい。
「大艦巨砲主義」ってやつか?
戦うとしたら、どうやって戦ったもんかなぁ・・・
日本もさすがにビックリです。
北洋艦隊は呉にも来ました。
名目は「親善訪問」に加えて「ちょっと船の調子が悪いんで、港に入って修理させてくれないか?」とのこと。
勿論、修理は建前で、呉軍港の地形や軍の配備などを調査するのが目的です。 軍艦6隻で大砲向けられては断るわけにも行きません。
結局、入港を許可します。
この時、呉の守りについていたのが、かの有名な「東郷平八郎」
当時は呉鎮守府で参謀長を務めていました。
当然、清のご自慢の軍艦、定遠を観察しに行きます。
東郷さんもビックリしました。
その大きさではなく、「主砲に洗濯物が干してある」ことに。
しかも甲板では、煙草のポイ捨てまでしています。
日本人にとって、刀をはじめ武器というのは、己の命や大事な物を護るための大事な物。 軍艦だって、またしかり。
ましてや主砲なら、神聖な物といっても過言ではありません。
軍規の厳しい日本では考えられないことです。
「こんだけ、たるんでりゃ、勝てるかもしれんな。」
ちょっと自信を持ってしまった東郷さんでした。
清の行動、裏目に出てます。
北洋艦隊は、長崎にも入港します。
入港してから10日ほどたった、ある日。事件が起こりました。
5人の清国水兵が遊女屋(世界最古の女性サービス業)にやってきました。
が、あいにく空いている娼妓(女の子)がいないというので、空くまで待っていたところ、後から来た別の水兵が、ひょいと先に部屋に通されます。
ま、馴染みか予約かなんかだったんでしょう。
ところが、待たされていた清国水兵達はブチギレです。
怒るくらいならまだしも、手当たり次第に家具を投げ、乱暴を始めました。
「粋」じゃありません、大人げないです。(それ以前の問題だという話もある。) 遊女屋で大暴れなんかしたら、当然警察がやってきます。
警察が現場について、一応、その場は収まったかのように見えましたが、水兵達の怒りの矛先は警察官に・・・
水兵、抜刀。警察官に斬りつけます。
当然、逮捕。
これで終わったかに見えた事件でしたが、2日後再燃。
清国水兵約450人が逆襲に来ました。
他国の兵隊が街を(警察を)襲う・・・って、それ侵略?って感じです。
結局、清国水兵は警察官と衝突。
死者10人、重軽傷70人以上という大乱闘に発展しました。
当然、日本は怒りました。
治外法権がある欧米とは違い、清と結んだ「日清修好条規」では、外国人犯罪を取り締まる権利があります。
乱暴した犯罪者を取り締まるという、あたりまえのことに大して、兵隊が街を襲うなんて・・・
これを機に日清関係は悪化。国交断絶のうわさが出るほどでした。
これらの事件を「長崎事件(又は長崎清国水兵事件)」といいます。
結局、北洋艦隊を使って日本をびびらせ、清に逆らわないようにしようとした、清の作戦は、裏目にでてしまいました。
北洋艦隊と戦う方法を考えさせる機会を与え、東郷平八郎に対清戦の自身を与え、日本の清への敵愾心を煽っただけでした。
http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan7.html