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何を書くかわからない

●ゆうひつ【右筆・祐筆】

2018-01-18 16:03:38 | 歴史

●ゆうひつ【右筆・祐筆】
◆右筆 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/右筆
右筆(ゆうひつ)は、中世・近世に置かれた武家の秘書役を行う文官のこと。文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚として

の役目を担うようになった。執筆(しゅひつ)とも呼ばれ、近世以後には祐筆という表記も用いられた。

◆ゆう‐ひつ〔イウ‐〕【右筆/×祐筆】
1 筆をとって文を書くこと。
2 武家の職名。文書・記録の作成をつかさどった。江戸幕府の奥右筆・表右筆など。
3 文筆に長じている者。また一般に、文官。
「われ―の身にあらず」〈平家・一〉
 
◆右筆
ゆうひつ
祐筆とも書き,筆で文を書くこと。また武家の職名で貴人に侍し,文書を書く役目の人。右筆の文字は鎌倉時代からみえ,鎌倉幕府では引付衆の下役に,室町幕府でも右筆方があり,右

筆は奉行人などと呼ばれている。戦国時代にも大名の身辺に右筆をおいた。江戸幕府も大老,老中,若年寄の下に奥右筆,表右筆をおいた。また諸藩の大名も身辺に右筆をおくことが多

かった。

◆ゆうひつ【右筆】
中・近世における武家の書記役。執筆(しゆうひつ)ともいう。
[中世]
 武家社会が成立して以後,行政事務の繁多によって文書処理の必要性が増大したが,文盲の多い武士間では,文筆を業務とする書記がしだいに専門化した。地方の荘園でも村落内で文

書を扱える人々はごくわずかで,寺僧などを雇用して便宜をはかっている例が多い。文字が公家と僧侶の独占物であった時代が永く,仮名文字さえ民間普及は遅々として進まなかった。

鎌倉幕府は裁判を職掌とする引付(ひきつけ)に書記役を置いたが,それを引付右筆または執筆と称した。

◆ゆうひつ【右筆・祐筆】
①  筆をとって文を書くこと。
②  貴人のそば近く仕えて、物を書く役。また、その役人。書記。
③  武家の職名。文書・記録をつかさどる。
④  文筆の業に従事する者。文官。 「われ-の身にあらず、武勇の家に生まれて/平家 1」 
 
◆昔の書記役。右筆(ゆうひつ) 結構ヘビーな仕事です。
http://poliles.com/昔の書記役。右筆ゆうひつ 結構ヘビーな仕事で/
武家の書記係り 右筆
軍の編成 組織 役職
現在の私達が昔の人間の様子を伺い知ることの出来るものの一つとして、古文書などの文章が残っている為です。昔の武家には必ず書記役を設け物書きが存在していました。

他国との交渉の際に使われる、いわゆる公文書を書く係りだ。彼らを右筆(ゆうひつ)と呼んでいた。

当時の書状の殆どは、この右筆達に書かれたもので、主君は花押(かおう。今でいう印鑑、サインの事。)を書くだけだ。

鎌倉時代までは右筆を執筆、手書、物書と呼んでいたようです。安土桃山時代辺りから、右筆、祐筆と呼ぶようになった。

昔の誰それの書状だとかを、教科書や写真等で目にした事があると思いますが、上にも書いたようにその本人の直筆とは限らず、特に他国とのなんらかの交渉に使われた公文書は、ほぼ

右筆が書いた物なのです。


古い時代では、この右筆達は高度な学を有し達筆な者達が担当していた様だが、九州豊後の大名である大友義統(おおとも よしむね)が最近の右筆達は書式もなっちょらんし、字も下手だ

等と愚痴をこぼしてる記録が残っていることから、安土桃山時代になると、若くあまり才能がない人間も右筆として用いられていたようだ。

戦場でも筆と紙を持ち書き続ける!
この右筆、優雅な職業に思えるがそうではない。戦場にも連れて行かれるなかなかヘビーな職なのだ。戦場の記録や敵国との交渉に書状が必要になる為です。

又戦場でとっても重要な功名帳の記録の仕事がある。これは一度記録するとその後の訂正は絶対に出来ないルールがあった。

人の働きの評価は慎重に行わねば、後で大変な自体に発展する可能性を十二分に秘めている重要な作業なのだ。

一番槍、二番槍といって、戦場ではすこぶる評価が高いとされる行いがあって、これは、敵と接触した時に一番最初に槍を交えた者を一番槍として高く評価された。

次いで2番3番となって行き、その次が一番首、二番首と評価されていく。

一番槍に躍り出た者はすっ飛んで陣に戻り報告に行くのだが、この際右筆達は直ぐには記録をしない。

二番槍の到着を待つのだ、これは何らかの理由で一番と二番が入れ替わってしまうのを避ける為で、必ずしも手柄を上げた順に陣に戻ってこれるわけではないからだ。

戦場では軍目付(詳しくは⇒)が走り回っていて随時戦場を見ている。これら軍目付の証言も必要で迂闊に記録はできないのだ。

このように右筆達の残したものがあるから、当時の様子が伺い知る事ができ、彼らの仕事がいかに偉大かが分かります。
 
◆江戸幕府の奥右筆と表右筆 どちらが権力を持っていたでしょうか?

Q.奥右筆です。若年寄り直属の中枢部署です。
幕府官僚の出世の階段は、表右筆に勤務ののち、奥右筆に昇格するコースです。
完全に元康の家を断絶し廃止させ終わりも尾張にしてから綱吉殿が奥を連れてきたといふ

保科系統の秘密ってとこだろうね
本来、老中の補佐役、秘書役にすぎない奥右筆が老中政治の実権を握っていた。換言すれば老中が奥右筆の意見に左右されていたと言えるでしょう。幕府の右筆は五代将軍綱吉のころ、

天和二年(1681年)八月に表右筆と奥右筆とに分化し、表右筆は従来の物書きとしての職務を担当し、奥右筆は老中、若年寄の詰所である御用部屋に付属して、両者の政務補佐官兼

秘書官と言うべき職務を担当することになり、奥右筆は諸役人、諸大名などから老中、若年寄に提出される書類や届け出を整理し、また両者の決済を要する諸願書などについては事前に

先例を調べ検討し、場合によっては、その諮問に応じて当否の判断をすることさえ認められていたようです。奥右筆の権力は絶大で明和、安永の頃(1764~81年)には、奥右筆に

コネや贈収賄がなければ、諸役人や諸大名から幕府への諸願書は俗称・地獄箱と呼ばれる箱に放り込まれて、そのまま放置されていたと言うのです。幕末、嘉永五年(1852年)三河

国田原藩一万二千石の藩主である三宅対馬守康保は大坂加番(大坂城守衛の番役)就役のための加番願いを当時の老中首座・阿部伊勢守正弘に提出する一方、幕閣や奥右筆などにたいし

ても就役運動を展開していますが、そのさい、阿部伊勢守には酒肴料として金五両と、袴の布地二反しか贈っていないのに、奥右筆頭の荒井甚之丞には酒肴料五十両、ヒラの奥右筆であ

る黒沢正助には酒肴料七十両も贈ったそうです。このことからも奥右筆は幕閣の隠れた実力者だといえるでしょう。こうした重要な職務に比して身分は、それほど高くなく、奥右筆組頭

で四百俵、ヒラの奥右筆で二百俵の俸給を受ける旗本だったけれども事情によっては幕府の諸事を自由に取り扱い、諸大名を始め諸家から賄賂を取って諸事の様子を漏らすため、ながく

奥右筆を勤めている者は非常に裕福だったそうです。

◆墨痕 奥右筆秘帳
http://www.jidai-show.net/bookguide/ueda_hideto/okuyuhitsu10/
墨痕 奥右筆秘帳
(ぼっこん おくゆうひつひちょう)
上田秀人
(うえだひでと)
[伝奇]
★★★★

♪公儀奥右筆組頭立花併右衛門と、その護衛役を務める若き剣術遣いで旗本の部屋住みの柊衛悟が活躍する、伝奇時代小説シリーズの第10弾。
 
◆お江戸の役人 面白なんでも事典 - Google ブック検索結果
https://books.google.co.jp/books?id=KWaiDgAAQBAJ
中江克己 - 2010 - ‎History
もっとも、幕府の場合、仕事の量が多いので、「表右筆」と「奥右筆」とに区別し、仕事を分担していた。表右筆が公式文書を担当するのに対して、奥右筆は老中や若年寄の公設秘書官

として政務の補佐も行なった。具体的にいうと、表右筆は将軍の御内書(手紙)、判物、朱印状、老中奉書などを執筆するほか、幕府の日記をつけた。表右筆の定員は時代によって異なる

が、組頭二〜三人を含め、約三十人だった。役高は組頭三百俵、平の表右筆は百五十俵である。奥右筆の場合、老中に提出された機密書類を調査したり、 ...

◆WikiZero - 奥右筆
https://www.wikizero.com/ja/奥右筆
江戸幕府初期より右筆制度は存在しており、室町幕府や豊臣政権以来の歴代の右筆の家柄出身者などがこれに充てられていた。徳川綱吉が館林藩主より将軍となった時には、館林から右

筆を連れて江戸城に入り、特に奥右筆に任じて、自身が発給する文書の作成などを任せた。これに対して従来の右筆は表右筆と呼ばれるようになる。奥右筆は当初は綱吉側近の数名であ

ったが、後に拡大されて宝暦年間には17名程度にまで拡張された。また人数の増加により表右筆(30名前後、後に80名前後)の中から奥右筆に ...
 
◆「右筆」の使い方、ほかの品詞の結びつき
日本語コロケーションテストページ
http://collocation.hyogen.info/word/右筆。
青空文庫 約12,000作品を対象に、品詞単位で分別し、ほかの品詞との結びつきを一覧で表示できます。
分析対象が50年以上前の作品であるため、用例にも古さを感じます。これを解決するため、今後新しい文章を追加、もしくは入れ替る予定です。
プログラムを用いて生成しているため、不適切なキーワードが含まれる場合があります。
ご了承ください。(これについても精度を上げていきます)

◆天正虎狼伝1: 反 秀吉同盟ここになる! - Google ブック検索結果
https://books.google.co.jp/books?isbn=4059112895
岡田成司 - 2007 - ‎Fiction
ご無礼つかまつる」使いの者に伴われ、白髪の目立つ右筆が室内に入ってきた。家康は立ちあがり、右筆を文机の前に座らせた。使いの者は一礼し、編模戸の向こうに消える。立ちあが

ったまま、家康は右筆に言った。「織田左近衛権中将信雄宛てに、文を書いてもらうでよ」秀吉との戦を想定したとき、尾張は通り道となる。そのため、中将信雄はぜひとも味方につけ

たいという思惑がはたらいたのだ。信雄の領土は尾張・伊賀・伊勢の半分を有し、石高は百万石に近い。同盟がふたたび結ばれ高だけを見れば、それなりに心強 ...



1 コメント

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