◆青い山脈
●青い山脈 (映画) - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/青い山脈_(映画)
青い山脈(あおいさんみゃく)は、石坂洋次郎の小説『青い山脈』を映画化した作品(日本映画)。
1949年・1957年・1963年・1975年・1988年の5回製作されたが最も名高いのは、1949年の今井正監督作品。主題歌の『青い山脈』は、日本映画界に限らず、広く知られている。(主題歌については、「青い山脈 (曲)」の項目も参照のこと。)
作品中、ラブレターの文に「恋しい恋しい私の恋人」と書かれるべきものが、「変しい変しい私の変人」となっているエピソードは名高い。
1949年版
監督は今井正、主演は原節子、池部良。正続2編(正篇7月19日公開、続篇7月26日公開)。モノクロ、スタンダード。
昭和24年7月19日封切り
監督
今井正
出演者
原節子 池部良 若山セツ子 杉葉子 伊豆肇
木暮実千代 龍崎一郎
音楽
服部良一
主題歌
藤山一郎、奈良光枝「青い山脈」
◆「青い山脈/藤山一郎・奈良光枝」の歌詞 って「イイネ!
「若く明るい 歌声に 雪崩は消える 花も咲…」勇気をもらったり、泣けたり、癒されたり…、この歌詞をチェックしてみて!人の心を打つ「言葉」がぎっしり!
西条八十:作詞
服部良一:作曲
一.若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲
青い山脈 雪割桜
空のはて きょうもわれらの 夢を呼ぶ
二.古い上衣よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの 旅の乙女に 鳥も啼く
三.雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく峰の なつかしさ
見れば涙が またにじむ
四.父も夢みた 母も見た
旅路のはての その涯の
青い山脈 みどりの谷
旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る
◆原節子・池部良主演 「青い山脈」(1949年版)
https://youtu.be/D7G_k_Bygo8
◆あおいさんみゃく【青い山脈】
石坂洋次郎の小説。
昭和22年(1947)発表。
第二次大戦後まもない地方の町を舞台に、高校生らの男女交際などを通して解放された青春の姿を明るくユーモラスに描く。
歌謡曲。昭和24年(1949)発表。
西条八十作詞、服部良一作曲。発表当初は藤山一郎、奈良光枝によって、続いて昭和38年(1963)、神戸一郎、青山和子によって歌われた。
今井正監督・脚色による映画の題名。
昭和24年(1949)公開。出演、原節子、龍崎一郎、池部良ほか。
第4回毎日映画コンクール撮影賞受賞。
松林宗恵監督による映画の題名。
昭和32年(1957)公開。「新子の巻」「雪子の巻」の2本立て。
出演、雪村いづみ、司葉子ほか。
西河克己監督による映画の題名。
昭和38年(1963)公開。出演、吉永小百合、浜田光夫ほか。
河崎義祐監督による映画の題名。
昭和50年(1975)公開。出演、三浦友和、片平なぎさほか。
[補説]~はいずれもを原作とした作品。
はの主題歌として発表されたもの。
◆青い山脈
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_0603.html
《蛇足》 敗戦後、大衆文化の世界では、軍国主義の重苦しい桎梏(しっこく)から解き放たれた喜びを謳歌する作品が次々と生まれました。歌謡曲でそうした風潮を代表したのが『りんごの歌』と『青い山脈』でした。
『青い山脈』は、昭和24(1949)年、同名の映画の主題歌として作られましたが、映画の完成が遅れたため、藤山一郎と奈良光枝のデュエットで一足先に発売され、爆発的にヒットしました。
このB面にあったのが『恋のアマリリス』です。あまり知られませんでしたが、この時代に青春を過ごした人びとの一部でカルト的な人気を博しました。
映画は、石坂洋次郎の朝日新聞連載小説が原作です。
古く封建的な考えの残る地方の女学校に赴任してきた新任の女教師が、生徒間の争いの仲裁をしたことから、町の封建勢力と対決せざるをえなくなり、彼女の新しい考え方に共鳴した教師や生徒たちの協力を得ながら古い考えに立ち向かっていく、という話です。
女教師を原節子、高校生(旧制)を池部良、女生徒を若山セツコ、杉葉子などが演じました。
『キネマ旬報』の「邦画ベスト100作品」の1つに選ばれたことがあります。
(二木紘三)
2007年8月17日 (金) | 固定リンク
この曲が好きです。明日への勇気と希望が沸いてきます。
戦後間もない昭和24年に発表された同名の映画主題歌だ
そうですね。
♪古い上衣(うわぎ)よ さようなら
さみしい夢よ さようなら♪
・・・戦争は終わったのだ。これからは、われわれ若者の時代だ・・・
青春の躍動、そして、未来への希望・・・
『歌は心の走馬灯
人生 絵模様 歌舞台』…SHU-SHIN
♪青い山脈…胸弾む軽快なメロディーと、味わいのある歌詞。日本語の美しさ、歌の素晴らしさを堪能させてくれる名曲です。
十数年前、英国に出張していたとき、
海外駐在員達の溜まり場になっていたロンドンのカラオケ・バーで居合わせた全員で合唱した思い出があります。私達は、懐メロとしてただ単に懐かしむのをやめて、
積極的に歌い広め、若い人に継承していきましょう。
詩も曲も素晴らしいですね。ただ単に輝く青春賛歌ではなく、新生日本の賛歌でもあると思います。当時中学生(もちろん新制ですよ)だったわたし達も、この歌を聞きかじってよく唄いましたが、流行歌とはいいながら叱られませんでした。この歌を聴くと、端整な歌い方の藤山一郎や美形歌手の奈良光枝を昨日のごとく思い出します。
♪雨にぬれてる焼け跡の 名も無い花も振り仰ぐ♪のところにくると、一面の焼け野原が目に浮かんできます。
雑草は強いものです。焼け跡に千草やはこべが花をつけたのは何ヶ月も経たないうちだったと思います。何もかも焼け尽くされて、昭和21年に入学した小学校は青空教室、まともな授業が出来るようになったのは6年生から、基礎学力が足りないと今でも思います。それでも言論が自由になったことは何にも換えがたいものだと、この歌を聴く度に思います。私は私の自由を奪うものを一番怖れます。
ちょうど今頃の時期、梅雨の合間の晴れた日になると、「六月の、ある、晴れた日曜日の午前であった」という、「青い山脈」の書き出しの一節を思い出します。
「青い山脈」は、青春時代に本で読んだり、幾つかの映画を観たりして、物語や登場人物を忘れることはありません。しかし、それ以上に、この歌はいつも身近に感じられて、永い年月を経ても決して色褪せることはありません。
作詞:西條八十、作曲:服部良一のこの歌は、一時期捨て去られても、また復活して日本の名歌として歌い継がれて行くのではないかと思います。NHKの懐かしの名曲放送では、必ずラストの曲で藤山一郎先生(そう言いたくなる様な気品が有りました)のもと、全歌手が合唱してフィナーレになりましたね。
そんな歌、歌手がこれからも出現するでしょうか。出現することを念じます。
この映画だけは何度でも機会があれば見たい映画です。この映画を見るたびに【戦争に負けて良かった】と思わせてくれる映画です。原節子のような美しい女優らしい女優は今までに出なかったと思います。突然引退して忽然と世間から消えてしまった経由も、神秘的でまるで映画そのものです。主演者たちも溌剌と演じていて、自然体でした。現代の映画では【主役】が理屈っぽく喋り過ぎて、気楽に鑑賞したいと思うのは、やはり年のせいでしょうか?
最後に原節子という女優さんは、声がとても深みのある声で、今もあの声が耳に残っています。脇役の演技が光った父兄会の会議のシーンでは笑わせてくれましたね。曲についての思い出は、ハイキングやバス旅行での合唱曲はこの曲に決まってました。懐かしい曲の紹介有難うございました。
私が「青い山脈」に初めて接したのは、少年の頃に家の白黒テレビで観た舞台中継でした。たしか、2夜に分けての中継放送だったと思います。
火事の夜に和子をおんぶして歩く六助、古ぼけたトラックでリンゴを運ぶ新子と六助、雪子先生が遠くを指さしながら「遠くの山々が真っ青だわ」と言ったラストシーンなど、今でもよく憶えています。
この舞台がいつどこで上演されたのか知ったのは、40年以上経ってインターネットが普及してからでした。昭和37年(1962年)11月に明治座で上演され、雪子先生役は白川由美さんでした。
昨年9月には原節子さんが永眠され、そして今年の6月には白川由美さんも永眠されました。心に残る物語の主人公を演じた方々の逝去は、ほんとうに寂しいものです。