バスケと人生の日々~陽のあたる場所へ

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スティーブ・ジョブス成功への道~大学卒業生へのスピーチ

2011年11月19日 | 日記

       

 

 

 

      今日は朝から雨、結構降り続く。

     全国的に高校では新人戦真っ盛り。11月下旬にさしかかるのに、震えるような寒さはない。

     12月の声を聴くと、またたく間に暮れて新しい年を迎える。

      毎年、暮れも盆も正月もない。例年、12月30日練習納め、1月2日練習始め。

     今回は元旦のみオフにして頑張る。選手たちも期するものがあるみたいだ。

 

      先月、世界最高峰ハイテク起業家スティーブ・ジョブス氏が亡くなった。56歳という若さ。

     デジタル時代を築き上げた申し子であり、コンピュータから音楽、携帯電話産業に革新を

     もたらしたアップル創業者であり、最高経営責任者である。

      彼は大学中退後、実家ガレージで手作りのアップルコンピューターをスタートさせたが、

     テクノロジー関係の本格的教育を受けたことはなく、ビジネス経験もなかった。

 

      では、どうして成功の道を駆け抜けていったのだろう?

 

        テクノロジー特有の優雅さを理解する心と美意識、

       コンピュータは単なる娯楽や仕事の道具にとどまらないという信念があったという。

       コンピューターは人生に欠かせないツールに成り得ると

 

       コンピューター「マッキントッシュ」に始まり、後にメディアプレイヤー「iPod」、

     そして多機能携帯端末スマートフォン「iPhone」、さらにはタブレット型コンピューター「iPad」と、

     アップル発のITイノベーション革命の波を次々と起こし、世界市場を席巻した。

 

      しかし、ジョブス氏の波乱万丈な人生は凄い。

     76年から84年は、コンピューター「アップルⅡ」の成功で上昇期、84年からは取締役会との

     権力闘争の末、85年にアップルを追放される挫折期。(創業者が9年後に追い出されるとは!)

     その後すぐ、NeXTコンピューターを創立して、映画プロデューサーのジョージルーカス氏から

     デジタルアニメーションの制作スタジオを買い取り、これが後のピクサー。

      97年、アップルがNeXT買収から復活期の始まり。古巣アップルに戻ったジョブス氏は、

     経営に苦しむ同社を立て直し、ビジネス史上最大の復活劇と言われるほどの成功を収めた。

 

         彼は、努力を傾ける対象が何であれ、複雑なテクノロジーでも、

               シンプルで美しいという感覚に妥協することなく、きめ細かい目配りとエゴは

               人並み外れたものであったらしい

      オレゴン州ポートランドのアートスクールであるリードカレッジに進学したジョブス氏は、

     6か月で中退、その後も友人宅を泊まり歩き、空き瓶回収で生活費を捻出しながら

     キャンパスに残った。こっそり聴講したカリグラフィー(西洋書道)の授業で、

          その後の生涯を通じて追及していくことになるエレガントなデザインへの息吹を感じ取ったという。

 

        彼は、この時の体験について、2005年にスタンフォード大学卒業生向けスピーチで振り返り、

       美的センスを養うことと技術的な理解を深めることの大切さを「点と点がつながった」と

            表現している。テクノロジーと芸術性は相互を補うものであり、

            コンピューターの新しい世界は創造性への新たな橋渡しになると実感した

            と述べている。 (Youtubeにて日本語字幕入りで見れる)

 

     このスピーチでは、自身の生い立ちから上昇→挫折→復活まで赤裸々に語っている。

     最後に、「死」に絡めて独特な言い回しで卒業生に素晴らしいメッセージを送っている。

     ここにあえて書かないので、気になる方はご覧ください。

       (スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業スピーチと入力検索で)