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11月初めのこの3連休、皆さんは有効に活用して楽しんだ方が多かったことでしょう。私ですか?残念ながら、土曜日はいつも午前中は公立中学で中3数学の補習指導を2校時分行い、午後から教室で小6、その後中3の授業がありますので、休みではありません。おまけに今回は、日曜日と振替休日の月曜日は、休み返上で全国的な模試(全国統一小学生テスト・全国統一中学生テスト)を教室で連続で行い、私の休日は呆気無く潰れてしまいました。
今日のブログは、最近中3授業で学習した国語の教材に載っていた内容を取り上げ、それに関連して私が考えたことを綴ります。
『ある犬、肉をくわえて、河を渡る。真ん中ほどにて、その影、水に映りて、大きに見えければ、我が、くわゆる所の肉より、大きなると心得て、これを捨てて、彼を取らんとす。かるが故に、二つながら、是を失う。その如く、重欲心の輩は他の宝をうらやみ、ことにふれて、むさぶる程に、たちまち天罰を、蒙る。我がもつ所の宝をも、失う事ありけり。』
この古文で綴られた文章を読めば、どなたも小さい頃から知っている「イソップ物語」の中で登場する、犬と肉の寓話を思い出すことでしょう。古文で記述するほど古くから、イソップ物語は日本に伝えられていたのかと思う方も多いはずです。
この文章の出典は「伊曾保物語」です。江戸時代初期に刊行された書籍であり、「いそほものがたり」と読みます。この本の題名から、イソップ物語の翻訳本であることが、容易に分かるでしょう。これは、西洋文学の最初の翻訳本です。
1593年に、スペインの宣教師によって九州天草で、まず日本語訳ローマ字で印刷されたそうです。「伊曾保物語」は、慶長・元和(1596~1623)年間版から寛永16(1639)年刊本まで、九種の古活字本が出版され、その後万治2(1659)年刊の挿絵入り整版本も出版されて、いわば仮名草子として一般に広く普及したそうです。
この時代、日本は鎖国政策をとっていたのでは? その質問に応えるために、塾では小学5年で学習する『鎖国』に至る経緯をまとめてみましょう。
1613年 禁教令発布、翌年キリスト教徒300余人を国外追放
1624年 スペイン船の来航禁止
1629年~絵踏(踏絵)、1630年 キリスト教図書の輸入禁止
1635年 外国船の入港地を長崎に制限、日本船の海外渡航全面禁止
1637年 島原・天草の乱、キリスト教弾圧と暴政に対する反乱
1639年 ポルトガル船の来航禁止・・・鎖国の完成
この「伊曾保物語」は、安土桃山時代(1593年・文禄2年)に原型ができ、江戸時代が始まってキリスト教が禁止され、鎖国政策が完成する途上でも、読み物として庶民に広く支持されていたことが分かります。
【仮名草子について】
江戸時代の初期、庶民の啓蒙(けいもう)・教訓を目的として、主として京都で刊行された読み物。前代の「御伽草子(おとぎぞうし)」の後を受け、「浮世草子(うきよぞうし)」が現れるまで行われた。平易な仮名文で書かれ、啓蒙的・娯楽的なものや、実用的な名所記・評判記など、さまざまなものがある。
この「犬と肉(ししむら)の事」と題されたイソップ物語の寓話は、どのようなことを教訓として語っているのでしょう。
この文章の文末に、『かるが故に、二つながら、是を失う。その如く、重欲心の輩は他の宝をうらやみ、ことにふれて、むさぶる程に、たちまち天罰を、蒙る。我がもつ所の宝をも、失う事ありけり。』とまとめている通り、「欲を出し過ぎるとバチが当たる」ということで、既に持っているものさえ失ってしまうという教訓です。
欲張り過ぎると、物事を失敗するという教訓は、ガチョウと黄金の卵・金の斧・おむすびころりん・こぶとり爺さん・花咲爺さん・・・数え上げれば枚挙に暇がないほどの寓話で語られています。こうした事実を理由に、「人間は欲張りな動物である」と定義することさえできそうです。
その教訓以外に、私はこの寓話から、もう一つの教訓を読み取ることができると思います。それは、この犬を例にして、人は自分の置かれた状況を、日常では的確に判断していないということを示していると考えられます。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」という、カエサルの有名な言葉があります。仮に物欲が強かったとしても、周りの状況を正確に感知できたなら、こうした失敗はせずに済んだはずです。ですから、この寓話は、多くの人が、無論犬も、周りの現状を的確に判断できないことが多々あることを示し、諌めているとも言えます。
ところで、ネット上のコメントやブログなどでは、論理的と言うよりも感情的な意見が目立ちます。生理的にかつ反射的に感情的な批判を試みる人たちは、多くの場合、先に示したように「自分の置かれた状況を判断できない」人たちが多いようです。いじめを行う者は、いじめる対象に、自分の持つ嫌な部分を無意識に感じ取って、相手を感情的に攻撃するとも言われています。そうした精神分析的な考えに依拠すれば、常に他人に対する批判を好んでする人は、自分自身の中に、自分が批判している要素をタップリと含んでいる場合が多いと考えられます。「あなたが批判していることは、あなた自身そのものでしょう!」と、言いたくなる場合が多いように思われます。
「犬と肉」の寓話で示されたこのような教訓は、人間社会では、残念ながらいまだに充分にj生かされていません。故に、このイソップ物語は、私たちにとって永遠のテーマを含んでいて、その寓話から教訓を学ぶために、未来永劫読み継がれると結論付けることができます。
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