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大寒間近の真っ青な冬晴れの空に向かって、模型飛行機を飛ばす。
自宅近くの運動公園で、ゴムの復元力で手に乗るほど小さいバルサ材を使って作られた飛行機を飛ばす、中高年のグループを日頃見かけます。
特別悪天候の日は除き、猛暑の夏の日も、厳寒の冬の日も、飽きずに飛行機を飛ばしています。
それらの飛行機は、市販品ではなく自慢の自家製飛行機らしく、飛行する姿勢や滞空時間を競っているようです。
今日は風もなく、飛行機を飛ばず絶好の日和でしたが、その十数人の人たちが一斉に飛行機を飛ばす動作を中断し、真っ青な天空を指さして興奮していました。
「あり得ないだろう!」
小さな動力無しの飛行機が、見えなくなるほど空高く飛んで行くなど考えられないことですし、よく飛行機を見失って右往左往するその人たちの姿を日頃見慣れている私は、そう感じました。
それにしても真剣な眼差しと興奮した様子は、ふだんの様子と異なっていました。
半信半疑で私も指さす冬晴れの空を凝視しましたが、遙か上空に羽田から飛び立ったであろう本物の飛行機が、飛んでいるのが確認できただけでした。
それでもしばらく空高く指さす方角を凝視し続けると、「あっ!」何かきらりと光ってゆっくりと旋回している!
ほんの手のひらに乗るほど小さな模型の飛行機が、考えられない高度を保ちながら、機体が太陽光線を時々反射させ、ゆっくりと旋回している光景は、ちょっと信じがたい事でした。
私の目では、太陽光を反射した時だけ飛行機を確認でき、またすぐにその機影を見失ってしまいます。
それでも遠視の人たちが多いであろう老人たちの指さす方角を凝視し続けると、また再び飛行機が確認できるということを繰り返しました。
後日、グループの老人からカメラ撮りさせてもらった飛行機
紙飛行機と言うよりも、バルサ材を使った軽量模型グライダーと言ったほうが良いでしょう
どれほどの時間が経過したのかは分かりませんが、どこかへ飛んでいってしまうことなく、その模型飛行機はしだいに高度を下げて、私の目にもその動きが確認できるほどになり、やがて飛ばした老人の手に収まりました。
無風状態で、運動公園上に緩やかな上昇気流が生じ、その気流に上手く乗って、公園上空を動力無しの模型飛行機が長い間滞空するという、極めて稀な条件がそろった奇跡的な出来事だったようです。
趣味、すなわち何かに虜になることですが、特に男性は女性より凝り性と形容できる趣味に没頭する人が多いようです。
興味の無い人から見ると、なんと酔狂なという印象を持たれることに夢中になっている人が、私の周囲には結構います。
古い幟旗を収集する人、蓄音機とそのレコード盤を収集する人、マッチ箱を集めている人、拓本に夢中な人、道無き道とも言える山道を踏破しその足跡を国土地理院の地図にプロットすることに夢中な人……。
読書・映画鑑賞・音楽鑑賞など、履歴書に必要性に迫られて記す程度の趣味は、「虜になる」という形容が誇張に感じます。
しかし、のめり込むほど没頭して初めてその真髄を体感できるといった趣味が存在していることも事実です。
小さな動力無しの模型飛行機が、それを作った老人の意を解して、まさに意思を持ったかのように青空を自由に飛び続ける偶然。
それは、青空に向けてパチンコのようなゴムで、数え切れない回数、飛行機を飛ばし続けた結果得られた奇跡といってよいでしょう。
あの飛行機は、かなり良くできた作品だったのでしょうが、再び同じことが同じ飛行機で起こることは、無いように思えます。
あの老人は、脳裏に焼き付けた奇跡とも言える軌跡を、再現させる為に際限なく、挑戦し続けるのでしょう。
虜になるほどの趣味は、宗教のようなものかも知れない。
部外者には理解できず異質に感じ、
没頭するものには無くてはならないものになるからだ。
この時期、ベランダから冠雪した富士山を眺望できる機会が多くなります