「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの随想:母を見舞う日帰りの新潟帰省

2010年10月28日 | 時事随想
にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ
ブログ人気投票にクリックいただけると幸いです!


10月に入って、毎週日曜日が来ると、私は新潟に帰省してる。

朝4時30分には起床して、始発の電車に乗る。

山登りの時は、思い立っても、なかなか起きることができないことが多い早朝だが、何故か目が覚める。


私の81歳になる母が、新潟大学付属病院に入院していて、その看護の帰省である。

そんなに気丈な方ではない母なので、入院中は唯一の休みである日曜日を返上して、見舞いに新潟に帰って、側にいてあげることにしている。

母には病名は告げていない。

しかし、看護師の資格があり、長年市役所の保健課に勤務経験のある母は、信じたくなくとも、自分の病状を察知しているようだ。

母と私は、お互いに本質的な病状には触れずに、医師や看護師にも本人に病名の告知をしないことについて、了解を取り付けている。

検査や治療を勘案すれば、母自身にも、自ずとその病名や病状について、認識できるはずなのだが。

ただ、そのことを言葉で断定されることが、とても耐えられないといった風に、私には推察される。



まだまだ元気な公園のムクゲ


ところで考えてみれば、私が幼かった頃を除けば、こんなに母と向き合って話をすることはなかった。

母も仕事をしていたし、特に中学生にもなれば、母と話し込むことなど無かった。

大学に入れば、尚更のこと、長期の休みに帰省するだけ。

社会人になれば、帰省の日数もグッと少なくなる。


幸いにも母の病室は個室なので、他人に遠慮すること無く様々な会話ができる。

八十過ぎの人にしては記憶力に舌を巻くが、記憶の細部では自分の都合に合わせ変質しつつある。

趣味の植物名や、全国の地名などの語彙については、記憶が衰えたといった印象は受けない。


私の父は、国家公務員であったが、五十代も半ば過ぎで亡くなっている。

当時私はまだ二十代だったが、東京から帰省し父の病室に長時間いることが、かなり精神的に苦痛だったという記憶がある。

家へ帰っていいよという父に、うんとうなずきながら病室にいると、しばらくして同じように家へ帰っていいよと促す。

家とは、無論実家のことであるが、今思えば、父は自分の本当の思いとは逆の言葉を、私に発していたように思う。


父の場合は、彼自身が年齢的にさほど年をとっていなかったし、治ることがない病状が、かなりのスピードで進行していたという状況で、看護する側にはやるせない無力感があったと思う。

私も中年となり年を経たせいか、病室に母と2人でいても、精神的に重苦しい雰囲気は感じない。

病室に母を見舞って、母と私の間に交わされる会話の時間が、とても貴重なものに私には感じられる。

ただ、すべての会話が、母を勇気づけることや、母に穏やかな時間が過ぎて欲しいという私の願いが反映されていることは無論のことである。



駅前のフェンスにからまるツル植物の紅葉


元気出してよとかけた私の言葉に、決して気強い人とは言えない母が、微笑みながらがんばると答えた声を背に病室を出た。

病院を出ると、予報より早く、傘をさそうか迷うほどの雨が降りだしていた。

個室の病室に、一人夕食をとっていた母を残して、バス停まで歩く道すがら、その時雨が母の涙雨に私には感じられた。

今が、母の人生の最晩年であることは、否定しきれない事実であると悟った。


今回、患部をラジオ波で焼く治療を行ったが、その経過が良くなく腹水がたまって熱が出た。

熱と腹水が引いたら、不完全だったラジオ波の治療を再度行い、その後にまだ本人には話していない癌センターでの放射線治療が待っている。

癌センターの治療を説明して、今までのように病名を告げないごまかしが通用するのだろうか。

それでも我々家族は、最後まで母に対しては良性と言うことで通すつもりでいる。

一進一退の治療成果に、明らかに強く反応して表情や体調に反映させる母である。

その母が、精神的にそして体力的に一連の治療に耐えられるだろうか。



最近散歩中に見つけた木…ビンの中を洗うブラシそっくりではないか
そう、その名も「ブラシの木」
ブラシノキは、フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木
開花時期は5~6月、しかし10月も終わりに元気に咲いていました


私は夜道を歩きながら、胸に去来する様々な思いに、目頭が熱くなるのを、押さえることができなかった。

バスを待つ時間も、やけに薄暗いバスの中でも、さまざまな思い出が、壊れた機械から映し出される映像のように、止めどなく浮かんできた。

私は、決して虚弱体質ではなかったが、小さい時には頻繁に熱を出しては、掛かり付けのK医院に、母におぶわれて診療を受けた。

そうだ、この人は、私の重みを肩で覚えている人だ。

この人は、うんちまみれになって泣いていた赤子の私のお尻を、嫌な顔もせずに、きれいにしてくれた人だ。

風邪で熱を出して寝込んでいる私の頭の濡れタオルが、夜中にいつしか冷たいタオルになっていたことも、覚えている。

私のおでこに、熱をはかる母の大きな手を感じた時の安心感も忘れない。

私の人生の出発点は、間違いなくこの人だ。

私の人生に座標軸があるとすれば、その原点はやはりこの人なのか。


上越新幹線で、新潟から東京までおよそ2時間。

新潟駅に併設された食品売り場で酒の肴を買い、缶ビールを手に上り列車の座席に腰掛ける。

列車が静かに発車すると、おもむろに一人宴会を始める。

ビール1本を飲みながら、車内で気持ちの整理をしつつ、夜遅い列車で家へ帰る……こうして、私の1週間のサイクルが過ぎていく。

どちらかと言えば、物事に前向きな性格であると自己判断するが、気持ちを切り替えるポイントとして、この帰る電車のわずかばかりの時間が有効に働いている。

物思いに耽り、何時しか微睡み、やがて列車は東京駅に着く。



夕食兼用の肴とビール


さて、人の子として必ず経験する親の死。(無論その反対もあるだろうが)

それが、心の準備無しに突然に訪れることもあるだろうし、病に伏せてお互いに死と向かい合う時間を共有できる場合もあるだろう。

死ぬときは、ぽっくりと逝きたいと願う人もいるだろうし、身体的苦痛を伴おうとも自分の最期を見つめる時間を望む人もいるだろう。

ウィトゲンシュタインの書に、「死は人生のできごとではない。ひとは死を経験しない。」という言葉がある。

人の死について、そのとらえ方は人さまざまと言えよう。



高さがほぼ500mになった東京スカイツリー
東京の新しいランドマークである
ミシュランガイドで最高ランクの三つ星に選出された高尾山が標高599m
その高さを越えるのも間近


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつかは… (華花)
2010-10-29 08:27:55
いつかは、経験するかな?!と最近いつも思っています。
近くに住んでいることもあり、何かにつけて両親に頼ってしまいます。もう、80になるのに…しかし、自分の両親は世間で思う80じゃない!と、思ってしまうのは、きっと、いつまでも元気でいてほしいと思う、私の勝手からでしょうね

毎週、お母様のところへ行かれる…なかなかできないことだと、思います。お母様は、きっと日曜日が楽しみでしょう。
回復されることを、ねがっております。
返信する
Unknown (マッキー)
2010-10-29 13:56:54
華花さん、コメントありがとうございます。

華花さんのご両親は、私もよく存じ上げていますので、ご健在とのこと、なによりです。

ご両親のお近くにお住まいとのこと。あれから、だいぶ月日も経ったので、あの付近も相当変わったのでしょうね。

今回のブログの話題は、私の個人的な体験から少し重い話となりましたが、多くの人が避けて通れないことなので取り上げました。

私のブログは、読後感を大切にしています。気付いたことがあれば、遠慮無く指摘してください。

華花さんのブログも拝見していますが、携帯とパソコン両方から投稿されているようですね。画像付は、携帯からかな。内容がTwitterっぽ過ぎるような気もします。

パン作りの話に限定すると、少し書くのが苦しいと思います。日常をさりげなく日記風に書き留めるといったスタンスで良いのでは。

私のブログは教育ブログなのですが、毎日神経質に教育関連の内容を投稿するのも重くなるので、「つれづれなるままに」さまざまな話題について備忘録風に記しています。

では、またブログでお会いしましょう。

返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。