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奥武蔵の山々の入口にある飯能駅から歩ける山として、今日の山々があります。子連れの家族を多く見かけた山歩きでした。3月5日(日)、小学2年生の娘とこれらの山を歩きました。
3月に入って、春めいてきた低山を歩く、お気軽山歩きでした。ただ、花粉症の私は、下山後にくしゃみと鼻水に悩まされましたが。
飯能駅から30分ほど歩くと能仁寺という寺があります。梅や桜が咲いた境内を散策した後、その寺の脇から続く天覧山への道を進みました。舗装道路の終点に天覧山中段という場所があり、ベンチやトイレが設置されています。
天覧山中段から、本格的な登山路となります。直ぐに分岐がありますが、左手を選びます。山の斜面に十六羅漢像が点在しています。そこを過ぎると、ちょっとした岩場があり、登りきれば天覧山山頂(てんらんさん・197m)です。
この十六羅漢像は、徳川五代将軍綱吉の病気平癒のお礼に、生母桂昌院が十六羅漢の石仏を奉納したそうで、その後この山は羅漢山と呼ばれるようになったそうです。
低山ですが、飯能の市街だけではなく、条件が良ければ関東平野を一望できるということです。明治天皇がこの山に立ち寄り、山からの景色に感動されたことが、現在の山名の由来となったということです。
天覧山から、急な下りの先に、湿地帯があります。そこを過ぎると、見返り坂の登りが続きます。登りきると、平坦な雑木林の中の登山路となります。分岐を左手に採り、涸れることなく水が湧き出しているという雨乞池に立ち寄りました。直径20mほどの雨乞い池では、かつては雨乞いが行われていたそうです。そこから、階段を登りきると多峰主山(とうのすやま・271m)の山頂に到着します。天覧山と同様に、低山ですが展望がすばらしい山頂です。
途中の「見返り坂」は、源義経の母・常盤御前が、あまりの景色の良さに振り返りながら登ったといわれています。常盤が丘と呼ばれる丘には、常盤御前の墓と伝えられる、宝篋印塔が存在しています。 見返り坂の付近では、牧野富太郎博士により新種のササが発見され、当地の名前をとって「ハンノウザサ(飯能笹)」と名付けられました。1941年に自生地は埼玉県指定天然記念物になり、現在も保護されています。
家族やカップルで、常連らしい人たちが多いように感じました。春の陽だまりハイクには最適な低山です。気持の良い陽だまりと、爽やかな展望を味わいながら、昼食を楽しんでいる人たちが多くいました。山名の案内板の下に、温度計が設置されていましたが、およそ15度を指していました。
多峰主山からの下りの途中に、御嶽八幡神社があります。また、ひょうきんな木製の人形が設置されている場所もあります。山頂から40分ほどで、バス停に着きます。そこから少し先に、四里餅(しりもち)という名の銘菓が売られている和菓子屋があります。そこまで行って四里餅を買って、飯能駅まで行くバスに乗りました。
【四里餅とは】
今を遡る百余年、この名栗川を西川材が筏に組まれて盛んに切り出される頃、四里の急流を竿一本であやつることは大変むずかしく、特にあづま峡に入ると岩数も多く、筏師の難所といわれました。
丁度その頃、あづま峡付近の小さな茶店で餅を売る親爺があり、筏乗りはいつもこの餅を食べ(しりもち)もつかず、いかなる難所も一気に乗り切ったという話が伝わっており、古来より西川名物の一つに数えられるようになったということです。食べてみれば、いわば大福餅ですね。山歩きをした後は、とても美味しく味わえます。
バスの車内も、電車の外壁にも、アニメを主題とする画像が貼られていました。お土産の四里餅を家でよく見ると、練餡と粒餡では、餅の上に付けられた四里という印の向きが異なることが分かりました。私たちは、お土産以外に買った四里餅を、バス停で食べました。日頃は餡が好きではない娘も、美味しそうに食べていました。
【標準的な歩程】
飯能駅~0.30~能仁寺~0.20~天覧山~0.50~多峰主山~0.40~永田大杉バス停
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