「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの現代陶芸入門講座(27)…田村耕一の鉄絵陶芸

2009年09月27日 | 陶芸
伝統的技法と作家の個性や独自性を焼き物で表現した田村耕一は、私の好きな作家の一人です。

かつて花器・茶碗・蓋物(陶箱)など彼の作品を、私は数多くコレクションしましたが、今は小品が残っているのみです。

彼の初期の作品は、鉄釉が中心で素朴で土着的な、どちらかというと地味な雰囲気の作品が多かったのですが、後年辰砂釉と青磁釉を使い、色彩的にも艶やかになりました。



《田村耕一のぐい呑み》



田村耕一 椿の鉄絵ぐい呑み

このぐい呑みは、白泥の上薬のかけ分けが絶妙で、そこに椿を絵付けした作品です。

形と絵付けがマッチした暖かみのある作品です。



田村耕一のぐい呑み(1986年 日本橋三越本店)






田村耕一箱書き…幼い子どものような字、清水卯一と双璧か?


同時代に、芸大の教授として、藤本能道がいましたが、私はこの2人が好対照な作品と人柄だったと思います。

鉄釉で描く大胆な筆さばきによる田村耕一の作品群は、現代的な絵画を見るようにも感じられます。

鉄絵の特色である、大胆で土着的で簡素な文様は、たいへん魅力的です。

技術と個性の融和、そして人間味ある温かい作品が、彼の持ち味でした。



《田村耕一の湯呑み》



田村耕一の湯呑み(1986年 黒田陶苑)

…暖かみのある作品で、実際に日常使っていました。

ホタルブクロは、田村耕一にとって、トレードマークと言って良いモチーフです。



箱書き


田村耕一は、鉄絵の技術で重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されました。

田村耕一は、一見地味な鉄絵の花器や食器から、晩年の色鮮やかな味わい深い作品まで、数多くの作品を残しました。

鉄絵とは異なりますが、鉄釉で人間国宝に認定された陶芸家として、石黒宗麿と清水卯一と原清がいます。



《鉄絵とは》

鉄絵(てつえ)とは、鉄分を含む顔料を用い、筆で文様を描く技法をいいます。

鉄分を含む顔料は広い地域で産出するため入手しやすく、鬼板(おにいた)、水打(みずう)ちなどの名でよばれます。

中国では磁器の創始とともにはじまり、もっとも普遍的な絵付け技法として広く行われました。

とくに、宋時代から元時代にかけて、民衆の日用の器を焼いた磁州窯(じしゅうよう)において、すぐれた作品が作られました。


鉄絵の技法は朝鮮、ベトナム、タイ、そして日本にも伝えられました。

朝鮮では高麗(こうらい)時代に鉄絵で文様を描いた青磁が作られ、朝鮮時代の鉄絵粉青(ふんせい)は鶏龍山(けいりゅうざん)の名で親しまれています。

また、白磁に鉄絵具で文様を描く技法は、鉄砂(てっしゃ)とよばれています。

日本では銹絵(さびえ)とよばれ、志野(しの)や織部(おりべ)にも鉄絵の装飾が施されています。

志野の鉄絵は、長石釉を上に掛けるので、唐津ほど文様がはっきりと現れず、釉薬を通して見える文様が味わいを出しています。

唐津は朝鮮の粉青沙器鉄絵や白磁鉄絵の系統に連なると考えられ、志野は化粧土の上の鉄絵であり、唐津は磁胎です。

陶胎に直接絵付けした絵唐津は、技法的には李朝の白磁鉄絵に近く、化粧土の上に鉄絵と銅緑彩を施した二彩唐津は、粉青沙器鉄絵に近い。


コバルト顔料を用いて白磁に藍色の文様をあらわす染付(そめつけ)(青花(せいか))のような細密な描写はみられないものの、量産品ゆえの勢いのある筆づかいや、民窯ならではのユーモラスな表現には独特の魅力があります。



《田村耕一のジョッキ》



釉薬の流し掛け風のジョッキ
(1986年 日本橋三越)



陶器に青磁釉薬を施し麦の穂をあしらったジョッキ
(1986年 日本橋三越)

(注)磁器物の青磁と、陶器に青磁釉薬を施した青磁の二種類があります



《青磁釉について》

青磁を造るために素地に施す釉のこと。

殷時代後期の灰釉に工夫をしたものが青磁釉の始まりで、1200度以上で焼成される高火度釉で、植物灰を主成分とし、酸化第二鉄(弁柄 ベンガラ)を含有する。

ボディ(胎)から釉に拡散する鉄の寄与がある場合もある。

理論的に考えれば、還元炎で焼成すれば、原料の酸化第二鉄が還元され酸化第一鉄ができ、青~緑を発色した透明ガラスになる。

還元の完全さによって、黄色がかった緑から、空色まで発色が大きく変化する。

すなわち酸化炎で焼成し、鉄イオンが薄茶色や淡い黄色に発色した青磁釉は、米色青磁と呼ばれる。

現在では石灰バリウム釉を基礎釉とし、珪酸鉄を着色剤として使用することで澄んだ青色を得ることができるが、本来の青磁は厚がけした灰釉である。


理論通りに上手く焼成できず、発色の不安定さや焼成した器の歩留まりの悪さなど、思い通りの青磁の発色を得ることはとても難しいと、複数の青磁作家から聞いたことがあります。



箱書き


田村耕一は、一貫して人柄を表すような素朴な鉄絵を得意とし、心温まるような作品群を残した希有な陶芸家でした。

私も期待し、注目していたこの作家が、円熟味を増してきた68才で亡くなられたことは、まことに残念でした。



《田村耕一陶歴》

栃木県佐野市に生まれ、同地で歿。

1941年東京美術学校図案科を卒業ののち、大阪府商業学校教諭として赴任。

1946年京都・松風研究所に入り冨本憲吉に学ぶ。

1948年郷里の赤見窯の初窯より参加、栃木県芸術祭にて芸術祭賞を受け浜田庄司の目に留まる。

1950年栃木県窯業指導技官となり、1953年自邸に登窯を築く。酸化鉄を用いて釉下に文様をあらわす鉄絵を得意とし、また青磁銅彩など磁器においても独自の発想にて新境地を切り拓いた。

1958年日本陶磁協会賞

1960,61年日本伝統工芸展奨励賞を受賞。翌62年日本工芸会正会員となる。

1967年イスタンブール国際陶芸展グランプリ金賞を受ける。

1977年東京芸術大学教授(のち名誉教授)

1986年鉄絵にて重要無形文化財保持者に認定。

1987年1月3日逝去。




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