「マッキーのつれづれ日記」

進学教室の主宰が、豊富な経験を基に、教育や受験必勝法を伝授。また、時事問題・趣味の山登り・美術鑑賞などについて綴る。

マッキーの教室:学校も始まって

2008年01月08日 | 教室の風景
 東京の正月。帰省した人・旅行に出た人。会社も工場も休みで、やけに空気が澄んでいます。混雑する有名な神社仏閣を除けば、東京の早朝の街並みは、凛とした雰囲気を漂わせています。


ベランダから見た初日の出

 冬期講習中は、そんな町中を通り、朝7時台には教室に到着します。夜は10時近くまで仕事をして、新年は落ち着く暇もなく、忙しさの中で過ぎていきました。


冬期講習風景

 今日は、1月8日。ほとんどの都内の小中学校が、授業をスタートさせました。私も、数学を受け持っている中学で、今年最初の授業をしました。もう、私がどこを歩いても、普段と変わらない、いつもの雑踏の町の風景です。

 昨年の後半くらいから、生徒の間で、「KY(ケーワイ)」と言う言葉が、盛んに使われています。その意味は「空気が読めない(奴)」といったようなもので、その場の雰囲気が読めない人に対して、批判的な意味で使っているようです。

 若者は、結構その時代の世相を、的確に読んでいるように思います。以前は、「自己中」という言葉で、相手を批判していましたが、現代の若者は、いや若者だけでなく中高年も含め、「自己中」で「KY」な人が増えているようです。

 今日も、電車の中で、若者が足を組み、コートと荷物を隣の席に置き、イヤホーンで音楽を聴いていました。中高年が、その足を避けて通り、座れないでつり革につかまって立っていました。

 最近、こんな情景は、日常茶飯事です。何かおかしいと思いつつ、だれも注意しません。その青年は、回りに何の気遣いも無しで、自分の世界に閉じこもっているようです。わざとやっているのではなく、たぶん注意されたら、文句も言わずそれに従うでしょう。

 「自己中」で「KY」な人が増殖し、私も含めそれを注意する勇気を持たない、もしくは無関心な人が、今の世に増殖しているのでしょうか。

 ところで数日前、私が正月特訓で、早朝教室に向かっているときのことでした。途中の交差点で、自転車に乗った女子中学生が、段差につまずいて派手にひっくり返ってしまいました。そしてかごから、バトミントンのラケットやらシャトルが道路に散乱しました。それを見た数人の通行人が、無言で散乱した道具を拾い集め、倒れていた自転車を起こしてあげました。拾い終わると、その人たちはやはり無言で、何もなかったようにそれぞれの方向に歩いていきました。それが当然な行為であるかのように。

 寒い冬の早朝でしたが、その人たちの行為で、私は心が温かくなるのを覚えました。当然行うべき行為が、行われていないもどかしさ。そうした行為が、自然に行われる世の中。さて、私たちは、どちらを選択して生きているのでしょうか。




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