gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ときめきの~<a href="http://www.village.ohira.miyagi.jp/ ">大衡村ふるさと美術館</a>

2005-04-30 23:26:44 | アート・文化
P506iC0002818335


菅野廉(カンノレン)という洋画家をネットで知り、大衡村を訪ねました。

大衡村は宮城県の北部にあります。

4月下旬にしては日ざしがまぶしく、車中は真夏のようでした。

この方は、蔵王の山々がお気に入りだったようです。
同じ場所で、幾度も蔵王を描いています。
「お釜」と呼ばれる湖の色彩も季節によって微妙に変化しています。
風景を見ていない人の目に、画家の描いた「お釜」はどのようにうつるのでしょうか。

何度見ても飽きない風景を心に思いうかべるとき、会いたい会いたいという思いがつのるのでしょう。

この美術館の解説に「菅野氏の恋人は蔵王だった」と、表現されていました。

わたしもこの連休中に
『ときめきの風景』に会いに行こうと思います。







カタクリの花

2005-04-28 23:55:23 | アート・文化
DSCF0055


山にはカタクリの花が群れて咲いていました。
ニホンカモシカにも遭遇しました。

花が群れて咲くのは人間のようです。
ひっそりと離れて咲いている花もまた、人間のようです。
野生の動物に踏みしだかれて、首が折れている花もありました。

聖書に
「神は人の目に喜びを与えるべく花を作られた」というようなことが書かれていた記憶があります。
清々しいむらさきの色に、確かに神を感じました。

連休は野山でスケッチしようと思います。


空の青さは~黒田記念館

2005-04-12 21:44:32 | インポート
あれは夢だったのだろうか・・と思うことがあります。
いつも、いつまでも気になっていることがあります。

確か小学生のころだったと思います。
大空の向こうに夕焼けが燃えていました。
沈みゆく太陽の光が、すじ状の雲の流れとともに・・大空のかなたに輝いていました。

よく見ると、雲の流れの中を動いている車がみえます。
地上は車などどこにも見あたらない一面の草の原。
でも、確かにどこかの風景をうつしだしていました。

大空を、確かに車が動いてみえました。

子ども心にその不思議な光景をいつまでも見つめていました。

記憶は様々にすり替えられるそうですが、あの光景は確かにまぶたに残っています。

オーロラとも違う、どこかの町の様子が大空に映し出されていたのです。

なぜそんな現象が起こったのでしょうか。

不思議で不思議で仕方がありません。
今まで幾度となくその光景を思い出してきました。


黒田記念館で6枚の空の絵を見ました。
気になる絵は他にもたくさんあったのですが、空に心ひかれました。
するとまた、子どもの時に見たあの空が思い出されました。

本当のめあては、「智・感・情」
3枚の女性裸像にありました。

専門書を読んだわけではないので、この3枚の絵にどういう解釈があるのか知りたい気もします。
大きく腕をひろげている「感」は菩薩観音のようでもあります。

見れば見るほど不思議な絵です。





桜吹雪の中で~東京芸術大学大学美術館

2005-04-10 09:58:11 | アート・文化
DSCF0128


東京は桜が満開でした。
そのためか上野公園の人出はピークだったのでしょうが、極力人を避けて歩きました。
どこへ行っても人、人、人・・・人混みは苦手です。
ここ数年、東京一人歩きで肝に銘じているのが人混みに近寄らない・・です。

自分は自閉的な傾向があるのかも知れません。
精神医学的なな見地からすると、人は広汎性発達障害のいずれかの症状を多かれ少なかれ有しているそうです。

今回国立博物館で『ベルリン至宝展」開催のため、芸大美術館が閑散としていて幸いでした。

芸大美術館で裸体画をたくさんみました。
安井曾太郎、原撫松、熊谷守一、林武、藤島武二らの作品です。

以前は裸体鑑賞には抵抗がありました。
凝視することができませんでした。
人目を気にしていたからです。

昨年ワイエスの「そよ風」をみてから、実物以上の美や醜を表現できる裸体画に関心を持つようになりました。
裸体画が醸し出す背景を少し感じることができるようになったからかも知れません。

特に藤島武二の『男裸体』と、原撫松の『裸婦』はいずれも後ろ姿でした。
若い女性の裸婦と年老いた男裸体。

人の群れを避けるように歩いた公園の道ばたで、シャガを見つけました。
野草を移植したのでしょう。
都会の公園で群れて咲く不自然さがいっそう目をひきました。







太陽からの贈り物~<a href="http://www.dnp.co.jp/artscape/md

2005-04-09 22:03:30 | アート・文化
DSCF0119


決して生き生きとした花ではありません。
見ようによっては水分がたりなくてしおれているようでもあります。
でも、この焼け付くような黄色の色彩は太陽の光そのものです。

気分があまり晴れやかではなかったのでゴッホの「ひまわり」もしおれてみえたのでしょうか。
それとも、ゴッホの末路を知っているからそうみえるのでしょうか。
花瓶に生けてあるひまわりが頭を垂れている様は、まるで人が救いを求めているかのようでもあります。

東京新宿の損保ジャパンへゴッホのひまわりを見に出かけてきました。

モンシロチョウは黄色や紫色の色彩にひかれて集まり、赤色を感知しないそうです。
赤い花にモンシロチョウが集まるのは、花の中心部にあるおしべやめしべの黄色にひかれてのことだそうです。

この強烈な黄色にわたしは惹かれません。
ずっと見ていたい絵ではありません。
妙に心が落ち着かなくなり
むしろ、神様助けて・・と叫びたくなる。

でも、この絵がとても好きだという人もたくさんいるでしょう。
それはすでに生まれたときからの違いなのでしょうか。