国際現代美術展「第51回ヴェネチア・ビエンナーレ」の日本館コミッショナーをされた笠原さんという、東京都現代美術館学芸員の方の話を聞いてきました。笠原さんは専門が写真ということで、女性写真家石内都氏をこの国際美術展に選出されたそうです。
写真は全然分かりません。
が、時を同じくして朝日新聞で連載されていた「決める?決めない?‘05選択考」という記事の、不思議な扮装による写真家、澤田知子氏の話も出ていて興味深く聞けました。
新聞では掲載されていなかった澤田氏の作品のひとつ、中学生か高校生ぐらいの学級の集合写真を見せてくれました。そこに写っている30人ぐらいの生徒役を澤田氏がすべて一人で、表情や髪型を微妙に変えて演じています。
これは(おもしろいなあ)と思いました。
笠原さんは彼女の作品が
「一つの群れからはみ出さないように、でも阻害されないような目立ち方をしたい」
という、若い女性や、現代日本人の意識を表しているのではないかと語っていました。
あるいは規格化された学校への揶揄とも。
澤田氏の「お見合い写真」・・・・これもおもしろいです。また一人でいろんな女性に扮装しています。
私もやってみたいなあ(お見合いではなく、扮装の方ですが)・・・。
現代は自分で決めなければならないことが確かに多くなっているようです。
それはいいことだと思うのですが、決めないという選択もまたありなのでしょうね。
決定は時代の流れが何となくやってくれる、そんな感覚でしょうか。
自分もそういう流れに従っているときがあります。
でも、メインはそうではないと思っていますが・・・
自分で選択する、自分で考える・・・一見そのようにみえて実はそうではないことに、時々気付きながら生きています。
もう一つ、このセミナーで笠原さんの話に共感したのが
日本は「ロリータ文化である」ということ。
これまでにも様々な分野で言われてきたことではありますが、自称フェミニストである彼女の語りは痛快でした。
成熟することを怖がる傾向は日本の女性でなくとも男性にもあるように思います。
しかし、年々成熟層が日本の人口比率の中で圧倒的多数を占めてきている現在、逆に若いと言うことはさらに貴重になりつつも、これまでとはちょっと違った成熟層の文化が台頭していくことは必至です。
写真は全然分かりません。
が、時を同じくして朝日新聞で連載されていた「決める?決めない?‘05選択考」という記事の、不思議な扮装による写真家、澤田知子氏の話も出ていて興味深く聞けました。
新聞では掲載されていなかった澤田氏の作品のひとつ、中学生か高校生ぐらいの学級の集合写真を見せてくれました。そこに写っている30人ぐらいの生徒役を澤田氏がすべて一人で、表情や髪型を微妙に変えて演じています。
これは(おもしろいなあ)と思いました。
笠原さんは彼女の作品が
「一つの群れからはみ出さないように、でも阻害されないような目立ち方をしたい」
という、若い女性や、現代日本人の意識を表しているのではないかと語っていました。
あるいは規格化された学校への揶揄とも。
澤田氏の「お見合い写真」・・・・これもおもしろいです。また一人でいろんな女性に扮装しています。
私もやってみたいなあ(お見合いではなく、扮装の方ですが)・・・。
現代は自分で決めなければならないことが確かに多くなっているようです。
それはいいことだと思うのですが、決めないという選択もまたありなのでしょうね。
決定は時代の流れが何となくやってくれる、そんな感覚でしょうか。
自分もそういう流れに従っているときがあります。
でも、メインはそうではないと思っていますが・・・
自分で選択する、自分で考える・・・一見そのようにみえて実はそうではないことに、時々気付きながら生きています。
もう一つ、このセミナーで笠原さんの話に共感したのが
日本は「ロリータ文化である」ということ。
これまでにも様々な分野で言われてきたことではありますが、自称フェミニストである彼女の語りは痛快でした。
成熟することを怖がる傾向は日本の女性でなくとも男性にもあるように思います。
しかし、年々成熟層が日本の人口比率の中で圧倒的多数を占めてきている現在、逆に若いと言うことはさらに貴重になりつつも、これまでとはちょっと違った成熟層の文化が台頭していくことは必至です。