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野十郎

2006-07-25 19:10:00 | アート・文化

高島野十郎

この人の名を知ったのはいつだったのか記憶が定かではありませんが、確かに名前だけは知っていました。この6月に偶然婦人雑誌や新聞等で三鷹市美術ギャラリー『野十郎展』の記事を目にして、どうしてもこの人の絵を見に行きたくなりました。

7月半ばようやく出会えた野十郎。代表作は『自画像』 『蝋燭』 『月』 、そして『睡蓮』、さらに『雨 法隆寺』 『菜の花』 『流』 『古池』 『朝霧』・・・。どの作品も絵と向き合ったときの思いがくっきりとよみがえってきます。

『雨 法隆寺』。雨に濡れた法隆寺、法隆寺に降りしきる雨、雨に煙った空。野十郎が描こうとしたのはいつも背景にある闇であったり、霧であったり、空であったといいます。この絵を前にしばしたたずみました。

20代、30代のころ描かれた自画像。リンゴを手にした自画像、絡子(小型の袈裟)をかけた自画像、たばこを手にした自画像。執拗とも言える自我へのこだわり。いずれの作品も眼孔から発せられる光は異様なのです。自分を見つめているもう一人の自分。燃えさかるような思いが蝋燭となったのでしょうか。

闇がテーマだったという『月』。まぶたを閉じたときの闇『無題』と目を見開いて見える闇の『月』はひとつなのでしょうか。私もまぶたを閉じてみます。

遺作となって後に彼を世に知らしめた『睡蓮』

ずっと、こういう画家にあいたいと思っていました。あれから数日が過ぎましたが、わたしの野十郎への炎はちっとも小さくなりません。


白馬との出会い~信濃東山魁夷館

2006-07-10 21:59:00 | インポート

Higasiyamakaii

夏の訪れを感じさせるネムノキの花。今年はまだみていません。涼しい夏です。

東北に気候が似ているという長野。意を決して日帰りで行ってきました。

東山魁夷。長年のあこがれでありながら、超有名画家へのいささかのためらい。そんな2つの思いを胸に抱きながら、あの「白い馬」をみてみたいという気持ちは日々ふくらんでくるばかりでした。

あいにくの雨模様。傘も差さずに走って飛び込んだ東山魁夷館。前庭は滴で輝いていました。そういえばこの景観・・・建物といい前庭といい土門拳記念館にそっくりです。

春夏秋冬・・・恐ろしいほどに澄み切った樹木や草原に現れた白馬。作家はそれを「心の祈り」と表現しています。こちら側に作家がいて、あちら側に白馬がいる。行きたくても行けない、およそ到達し得ない絶対的な時間と空間。わたしにはそんなふうに感じられました。

遺作となった「夕星」・・ゆうぼし。心の中の風景画。1本だけ高さの違う木立。それらが何を意味しているのか、解釈は専門家が語ってくれているでしょう。

常に追い求めたのは心の安定ではなく、画家としての心の躍動感だったのでしょう。61歳の時に再び海外へと旅だち、心をむなしくして製作活動に励んだという生涯に心が洗われた気がしました。

新幹線に乗車していた時間の方が長野にいた時間よりも長かったかも知れません。まぶたに浮かぶ「白馬」はしばらく心の励みになりそうです。