高島野十郎
この人の名を知ったのはいつだったのか記憶が定かではありませんが、確かに名前だけは知っていました。この6月に偶然婦人雑誌や新聞等で三鷹市美術ギャラリー『野十郎展』の記事を目にして、どうしてもこの人の絵を見に行きたくなりました。
7月半ばようやく出会えた野十郎。代表作は『自画像』 『蝋燭』 『月』 、そして『睡蓮』、さらに『雨 法隆寺』 『菜の花』 『流』 『古池』 『朝霧』・・・。どの作品も絵と向き合ったときの思いがくっきりとよみがえってきます。
『雨 法隆寺』。雨に濡れた法隆寺、法隆寺に降りしきる雨、雨に煙った空。野十郎が描こうとしたのはいつも背景にある闇であったり、霧であったり、空であったといいます。この絵を前にしばしたたずみました。
20代、30代のころ描かれた自画像。リンゴを手にした自画像、絡子(小型の袈裟)をかけた自画像、たばこを手にした自画像。執拗とも言える自我へのこだわり。いずれの作品も眼孔から発せられる光は異様なのです。自分を見つめているもう一人の自分。燃えさかるような思いが蝋燭となったのでしょうか。
闇がテーマだったという『月』。まぶたを閉じたときの闇『無題』と目を見開いて見える闇の『月』はひとつなのでしょうか。私もまぶたを閉じてみます。
遺作となって後に彼を世に知らしめた『睡蓮』
ずっと、こういう画家にあいたいと思っていました。あれから数日が過ぎましたが、わたしの野十郎への炎はちっとも小さくなりません。