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悲母観音の口ひげ

2008-09-24 21:57:07 | インポート

狩野芳崖の悲母観音を芸大美術館で見てきた。いつかどこかでこの絵を見た記憶がある。それも何度も。それだけ知名度が高い作品であり、インパクトの強い作品でもある。

東京はまだまだ暑かった。上野公園はこれでもかと、たたきつけるように蝉が鳴いていた。蝉と人が蒸し暑さをさらに息苦しくしているような昼下がりの上野公園。

フェルメール展へ急ぐ人の波と別れて、芸大美術館へ向かう。2日続けて美術館へ行けることの幸せをかみしめた。

この霊的ともいえる宗教的な作品の「悲母観音」。そこだけが異質の空間だった。下書きのスケッチの数々。少々なまめかしい女性の裸体スケッチである。このスケッチにおひげは見あたらない。でも、本作品の悲母観音には口ひげがある。

何度見てもおひげがある。どうしてと、首をかしげたくなる。もともと観音様には男女の区別がないそうだが、この観音さま、顔はどう見ても男性。体の曲線は明らかに女性だと思う。

観音様の水差しのような入れ物から出ている聖水は嬰児をくるんだ球体へ向けられている。この球体をも視野に入れると、ますます怪しげな雰囲気だ

作品にはお手本があった。背景の渓谷は妙義山、球体の中の嬰児は芳崖の孫、そして観音様のお手本は定朝の彫刻だという。芳崖には子どもができなかったため、知り合いの幼子を養子にしたらしい。62才で最後まで作品への思いを持ちながら淋しく世を去っていったのかと思うと、この作品への見方もまた変わってくる。

芳崖というひとは「女性は慈悲の神である」と語っていたと言うが、それは彼を取り巻く女性達がいずれも忍耐強く慈悲にみちあふれていたためであろう。それゆえ、女性の観音様を制作しようと思い立ったのかもしれない。

美術の知識が乏しいため、様々に勝手な想像をしてみる。芳崖没後、この「悲母観音」をお手本にして多くの作品が登場したようだ。芳崖はこの作品の製作にあたって、霊的なインスピレーションを感じたのだろうか。


映画「おくりびと」

2008-09-14 23:44:33 | 映画

本木雅弘の映画を久しぶりに観た。本木と山崎努の2人がよい味を醸し出している。

映画を観ながら母のことを考えていた。いつか、自分より先に旅立っていく日が来るのだろう。いや、案外自分の方が先かも知れない。いずれにしてもお別れの日はやってくる。

お別れは不意にやってくるのかも知れないし、長患いの末にやってくるのかも知れない。家族の仲がよいとそれだけ喪失感も大きくなると、映画の中で誰かがそんなせりふを言っていた気がする。

山形県を舞台にしたこの映画は都会の人たちから観るとちょっと古い日本を思い出させるだろう。もうすでに都会の葬儀のあり方は先を行っているのかもしれない。

いつも身辺をきれいにして生きなければと思っているが、またさらにそんなことを思ってしまった。

自分も最後の最後にこんな風に旅立ちの支度をしてもらいたい。


コロー展

2008-09-10 22:21:05 | インポート

 6月の半ば過ぎ、コロー展を見てきました。子どもの頃からいつかどこかで見たことのある、心の風景画の原型をそこに見たように思いました。

 ところが、あれから2ヶ月以上経った今、最もよく思い出すのは会場でもひときわ人気を集めていた「真珠の女」であったり、「青い服の夫人」であったりと、風景画ではなく人物画なのです。コローという人がこれほどまでに美しい人物画を描いている人であったと言うことを初めて知り、ますます興味ひかれるものがありました。

 ピカソは「画家がどんな絵を描くかと言うことよりもどんな人だったか、どんな生き方をしてきたのか、と言うことに重きを置くべきである。」というようなことを言っていたそうですが、コローはどんな人だったのでしょうか。

 画家を知ると言うことはそう簡単なことではなさそうです。美術書や解説書等では結局誰かのフィルターをくぐってしか画家に近づくことができません。と思いつつ、コローの美術書を読みました。

 コローは都会の裕福な家庭で育ち、生涯を独身で通した画家でした。彼の絵に登場するモデル達は友人や親戚のごく親しい人に限られていたようです。しかも、必ずしもモデル本人を描いていただけではないことがわかります。モデルを通して女性の一瞬の美しさだけを取り出したような、どこか現実離れした目つきの女性達が殆どです。また一方、「水浴のディアナ」などは、もはや現実的な肉体美を超越していながら美そのものといえるでしょう。

ルーブル美術館所蔵の「青い服の夫人」は最晩年の作品だそうですが、画家はどんどん理想とする女性の美を深化させているようです。実際モデルとなった少女の写真と見比べて少々複雑な思いがしました。

今手元に「真珠の女」の絵が印刷されたカンバス風仕立ての大きな写真があります。まだ壁に飾る気にはなれません。やはり、飾るのならコローは風景画でしょうか。


競馬場にて

2008-09-07 23:14:54 | インポート

1年がつつがなく過ぎて、北海道への里帰りは今年も無事に終わりました。帰りの列車の窓からは雲一つ無い十勝の青空が見えました。

今回はちょっと新しい出会いがありました。

きっかけは今年初め頃に見た映画、「雪に願いを」でした。映画の撮影舞台は帯広競馬場の「ばんえい競馬場」。競馬ならぬ「馬場」(ばんば)として育て上げられた馬たちの臨場感溢れる作品です。

実家の近くにあるのに、一度も足を運んだことのない競馬場。所詮ギャンブルくらいのイメージしかないためこれまで倦厭していました。映画に出てくる馬があまりによかったので、今度の帰省の折に馬を見に行ってみようと思いました。

競馬場はとても広いのに見に来ている人は意外と少なく、何だかもったいない気がしました。このたくましい馬たちを見るだけでも来る価値があるような気がします。

初めはただ見ていましたが、試しに馬券を買ってみました。第1レース100円、第2レース200円、第3レース300円。ビギナーズラックがあるかと期待しましたが、大はずれでした。馬も人と同じで見かけによりません。足腰が強そうで太い立派な馬が頑張りがきくとは限りませんでした。騎手の力もあるのでしょうが、素人目にはどの馬が力があるのか全然わかりません。でも、見たからに弱そうな馬はやはりレースもだめでした。

馬のお披露目が各レースごとにあります。うっとりするほど毛並みのよい馬。体重が数百キロの馬たちを扱う人も大変そうです。

馬を見ていて、ふと遠野の民話を思い出しました。馬が娘に恋をして、娘も馬に恋をしてしまう、けれどもこの恋は成就しえない悲しい悲しいお話。「おしらさま」 馬の産地でもある岩手ならではの民話です。