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都路華香

2007-02-18 11:21:15 | インポート

雨模様の一日、午後から所用で東京へ行きました。平日の新幹線は意外にも混雑しており、前日に思い描いていた車内での優雅なコーヒータイムはお昼寝タイムになってしまいました。

自由になる時間は2時間、東京、上野界隈で今行きたい、行ける美術館となると「東京国立近代美術館」しかありません。『都路華香展』を見たかったのです。

平日とあって館内は予想外に静まりかえっていました。自分の視界内に人が2~3人しかいないのです。ひとつの絵を独り占めできる密度です。

京都生まれで竹内栖鳳らとともに楳嶺門下生の四天王と呼ばれた華香、この人の絵には京都でお目にかかっています。殆どすれ違っただけですが、見覚えがありました。今回この企画に当たっては海外からの取り寄せもあったようですからおおむね初対面です。

元々染織作品の下絵だったという『吉野の桜』。桜の木に花びらが白く煙っています。50㎝ほどの距離から見ると、米粒大の花びらが幾重にも丁寧に描かれており、遠くから煙のように見えたのは花びらの輪郭がぼかされているからでしょう。

『緑波』草原のような海原。

『松の木』松の梢越しの満月。満月のくっくりとした存在感。

この人は建仁寺の禅師に参禅していたそうですが、その精神世界を感じるには時間があまりにも不足していました。それと自分の世界の奥行きも。息せき切って美術館にかけ込み、日常世界との切り離しができないまま絵画に向かったからでした。そう感じてはいたけれど、それほど悲観的にもならず、絵画の空間を楽しめました。人が少なかったことが最高の幸せでした。

欲張って大観の『生々流転』と常設展の一部も走って通り過ぎました。これまでこの美術館を訪問しなかったのは人混みを恐れてのことでしたが、平日にこれほどの余裕で見られるとは・・・都会の美術館訪問のこつをつかんだような気がしました。

1年に2~3回ぐらいは仕事を休んで、平日にこんな美術館めぐりができればと思います。どうせこれからもまとまった自由時間の確保は難しいのだから、もっと割り切って生きなければと思います。


映画~幸福な食卓

2007-02-12 23:12:32 | 映画

「父さんは今日から父さんをやめようと思う。」

このフレーズで始まる瀬尾まいこ原作の映画、「幸福な食卓」を見ました。

展開は殆ど原作通り、キャストもイメージ通りと言った感じでした。あえて言うなら、お父さん役はもう少し線が細めの方がいいかなと思います。

母親が家を出てアパートから通って来るという、現実にはなかなかあり得ない話ですが、それはとても理想的だと思います。もちろん子どもがある程度大きくなってからの話ですが。成人近くの子どもを抱えた家族が、毎日朝晩顔をつきあわせて生活するのは、息苦しい。どうしても煮詰まってしまうように思います。DNAが似通っているのですから。

父さんが父さんをやめるなら、母さんも母さんをやめて一度他人になればいい。家族につきまとう金銭的なことを含めた周辺問題がクリアできるなら、この方法はなかなかグッドでしょう。

(家族の)問題を癒すのは家族では無理なわけで、他人の力を必要とする・・・と言うようなことを言うシーンがありますが、この言葉には共感します。

私も家族と離れて、通いでもいいから一人で生活してみたいです。ぜいたくでしょうか。


70才から絵筆を握った画家

2007-02-04 12:25:00 | アート・文化

絵で表現することが自分に課せられた使命のように感じる人がいるのではないだろうか。

70才で初めて絵筆を握ったというアルフレッド・ウォリス展を庭園美術館で見てきた。この展覧会をネットで検索したときに、ウォリスという人が「70才から絵筆を握り独学で描いた画家であった」というフレーズに惹きつけられた。彼を絵画へと突き動かした原動力は何だったのだろうか。それを確かめなければならないような気がした。

ウォリスが描いたのは大半が帆船や汽船、灯台や海といった彼が住んでいたイギリス南西部の海浜風景だ。30才までは船乗り、その後は船具商だったというから船や海浜を描くというのは彼にとっての日常を描くと言うことになる。しかし驚いたのは晩年にこの絵を売って生活の糧としていたということだ。

70才から趣味で絵筆を握ると言うことがあってもおかしくはないし、日常を描くということももっともなことだと思う。ただウォリスが絵を描き始めたのは単なる趣味からではないような気がする。安息日には仕事を休むと言って絵を描かなかったというのだから。

彼の絵を一目見て私は小学生の図工の作品を思いうかべた。1枚のカンバスの中に描きたいものを全部組み込んでしまうと言う手法は幼い子どもが絵を描くときによくやる方法だ。しかも空から地上を見下ろしたかのような平面的な作品や遠近感もあやふやな絵が多い。その絵にウォリス自身が満足していたとは思われないが、船乗りらしい力強さにあふれた彼の絵は見るものを魅了する力がある。「名も無き画家」と言われながらもこうして世に出て多くの人を惹きつけてきたのだろう。

この日、岐阜出身アーティスト、日比野克彦氏の講演会も開催された。段ボールアートや岐阜の長良川での様々なプロジェクトを主催したこの人の仕事も紹介していた。日比野氏は若き芸術家達へのアドバイスとして、”その人らしさ”と言うことをいっていた。「身体とイメージしたことが余り無理なくスムーズに出てくること」が自分らしさだというのだ。何だかわかったような気がした。帰りの新幹線の都合で最後まで話を聞くことはできなかった。

庭園美術館を出ると風が吹いていた。自分もようやく長い暗やみから抜け出られたのかも知れない。


ゴッホの部屋

2007-02-04 12:09:03 | アート・文化

まだ2月初旬なのに、新幹線の車窓から見た風景はもう春です。それでもわずかに安達太良山は冬景色。そういえば数日前のラジオニュースで、東北でももう福寿草が咲いていると言う報告もあり、暖冬のおかげで久しぶりの美術館めぐりをしました。

まず向かったのは東京都美術館。印象派のコレクションを誇る美術館、パリ・オルセー美術館展。10時半なのでもしかするとそれほど混雑していないのではないかという淡い期待は裏切られ、朝からもう人の波ができていました。体力は万全なので用心のためにマスクをかけて、人の波におされながらもゆっくり一つ一つの絵をみました。

最初に目にとまったのはホイッスラーの「母の肖像」  余り体調のよくない母を描こうとした彼の決意が凝縮されているようです。

スーラの点描画は何とも穏やかです。描いた方は計算されつくした構図や色彩でしょうが、見る方はその平静さを淡々と受け止めればいいのかななどと思いながら目を細めてみました。

初めての写真展といわれる19世紀初頭の写真作品。モノクロに手彩されたものもありましたが、本当に写真なのか絵画なのか、一見するとよくわかりません。日本ではまだ江戸時代、天保のころの作品です。

ゴッホの「アルルの寝室」   黄色を基調とした明るい色彩の中にゴッホの孤独と病がかいま見えるようです。ベッドの右側の壁に掛けられた4枚の絵。上の2枚は鮮明な肖像画であり下の2枚はよくわからないが風景画のようでもあります。この寝室にゴッホは「絶対的な休息を表現したかった」と言っていたそうです。しかし休息という静けさは余り感じられず、むしろ色彩が明るすぎてゴッホの孤独さが際だっているような気がしました。

バジールとかルノワール、モネなど、19世紀の若き芸術家達の交友関係を知る手がかりになる作品もたくさん展示されています。重い図録を買ってしまったのはこれらの芸術家達が集まっている作品をゆっくり見たかったからでもあります。

展示の最後に驚いたのはジョルジュ・ラコンブという人の「ベットの木枠」の彫刻でした。「存在」「誕生」「愛」「死」という4つのテーマからなるベッドの木枠。生々しくもプリミティブな作品で、この印象派展においては異質な感じがしました。原初で普遍な テーマなのでしょう。

最後にもう一度作品展を一巡したとき、ゴッホの「部屋」がまぶたに焼き付きました。