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関谷の綿会社、和田浜より二年早く創立

2011-12-07 22:40:46 | 日記・エッセイ・コラム

朝157-64-69夕方161-69-70今十時140-59-63、朝いつもの通り八時に起きて飯口に入れる、九時に陶病院に向かう、十時半に着く、十一時半に呼ばれる、血圧正常、薬もらい体重計る、七十五、五キロ、二か月前より五キロ増えている、心臓悪くて体重増えたらダメ、夜の大きい野菜コロッケが原因か、薦田先生の親が関谷に設立した綿会社の資料探しに行く、有った明治二十年半ば創立、和田浜より二年早い、役員薦田芳平、横内丈衛門、石川實治(曾祖父)らの名前あり、曾祖父の名前有るのは石川家が関谷の綿屋では一番古い綿屋だ。次の明治三十年初めの綿屋には祖父の石川数太郎の名前がある、でも三代続かなかった、叔父が贅沢して家屋敷売ってしまった、メガネ掛けて資料探していると目が痛くなり帰ってからも痺れている。帰って直ぐ愛媛の薦田先生の息子さんにメールして知らせる。背中膵臓あたり痛い、右首筋昨日から痛い、明日石川整体に行き電気当てる、本当に着くまで身体快調に運転いていたがメガネ掛けると右目痛く痺れ見にくくなっている、関谷の綿屋の事俺しか調べられない、昭和の中ごろまでは綿工場は屋敷の中にあった、布団綿屋は皆大きい家に住んでいた、布団綿打ちかえは小さい納屋で機械一台据えて仕事していた、今豊浜で綿の事あれこれ言っている連中はこんな事知らないだろう。調べないで言っているから始末におえない。明日東京に行く準備だ。