朝106-42-57夕方105-40-62今八時過ぎ117-44-59昨夜十一時過ぎに布団に入る、眠れず二時過ぎに寝たと思う、六時過ぎに目さましウトウトして七時の目覚ましで起きる、お茶にスイッチ、横になり目薬注す、牛乳飲み、バナナ、パンで朝食、薬飲み、新聞読み、八時半にパソコン検索する、九時過ぎに目疲れたので横になる、初め身体ポカポカしていたが段々寒くなり胸も重苦しく成りだした、身体心配して十一時前に起きる、起きると何ともない、お茶にスイッチ、お茶飲み、十一時半にハローズに弁当買いに行く、入り口から少し離れたとこに車止めて降りると左足裏痛く杖突いても痛く歩き難い、店内に行き手押し車押して買い物して回る、レジで精算して手押し車置いて買い物袋下げて杖突いて車にやっとたどり着く、十二時半に家二帰る、お茶にスイッチ、昼飯食べだす、一時過ぎに終わる、薬飲み、新聞読み一時半に井下に行く、三時前に呼ばれる、今の身体の状況説明して先生前立腺手術して十三年になるなと言って採血して来週か再来週の土曜日に結果聞きに来てと言われる、psa検査一年半ぶりですと言ったら来週来たらはっきりと結果説明するからなと言った、会計で六百何十円払う、西村さん見舞いに行こうかと考えたが三階の西では今日は左足痛すぎる、来週結果聞きに来たとき見舞いに行く、関谷の綿屋の歴史書く時六年間話聞きに何十回と行って聞いているから見舞いに行かないといけないし今年九十三になる、綿屋の事知っている最後の人であるから一度会っとかないといけない、帰って三時半、風呂に湯入れる、三時五十分に入る、四時半に出る、体重七十一キロ、湿布薬五枚貼る、カイロは止め、直ぐ晩飯食べる、五時に終わる、薬飲み少し早いが五時二十分に此方に移りパソコン起動さすと母屋の方で人の声がするので行くと表がお寺の寄付と、永代供養の用紙持ってきたが寄付は何時も三千円しているのでするが永代供養は死んだらお終いと思っているからしないと言って断る、そんな事する積りも無いし綿屋の歴史書いて親父の名前、お袋の名前本の中に書いているから国立図書館に本残るからそれでよいと思う、パソコン検索して競艇、ゴルフの結果など見て八時過ぎに今日の日記書き出す。表も丸亀から山崎さんの時代に関谷に来て土地開墾して名前残って居るしそれで良いと思う、彼で十二代目関谷を開いた中の一人だが彼に子供居ないから家も終わりかな。でも三豊郡史にも町史にも土田家の事は書かれているので何百年か名前残る。、