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お墓にシバを、草引く

2012-12-29 22:41:12 | 日記・エッセイ・コラム

朝142-58-66夕方136-56-74今九時半過ぎ、167-77-67外に出たから高い、朝六時半に目さまし八時過ぎに起きる、お茶にスイッチ、牛乳飲み、パン納豆で朝食、薬、血圧測定記入で九時過ぎ、新聞読み十時、山本の産直に行く、ミカン、花松、シバ買う、帰って十一時、お茶にスイッチ入れて花松神棚に上げる、台所の上の金神さんに供える、仏さんにリンゴ上げる、十二時半に昼飯食べる、終わり薬飲み、一時半、お墓にシバ上げに行く、墓の前、横に少し草生えていたので引く、行く時裏道、帰りは表から帰る、途中で美喜恵さんに会う、本どんな感じしたと尋ねる、風呂場夕方工員が並んでいた、あたらし屋船でふりやの塩運んで来て猫車でふりやまで持って行っていた、幸七さんかその前の人、あの三尺道を塩街道と言っていたと教えてくれる、帰って直ぐ港に行く三尺道の所に塩街道として書きこむ、波止のとこに灯篭有ったとこに下ろしていたとか。今日は憑いてる、表居るかなと思い自動車に乗り見に行く、車有ったので直ぐゆたーんして帰り、合資会社の出資者の紙持ち表に行く、行くと家に入ろうとするとこ、この土田源治の名前お墓の横の墓にあるのだけと教えてと言ったら見に行くと言い、お墓に行く、表のお墓と思っていたが隠居のお墓との事、隠居(熨斗屋)の事、表は奥の真ん中にある、山崎時代に丸亀から来たと言った、碑文に書いてある、婆さんが無くなった時建てた、徳川の初めだ、熨斗屋の墓碑に関谷姓にして書いてあるのを知らなかったらしい。熨斗屋、本家が徳川初期に関谷に来て土地を開くと書いているが分家が鎌倉か、天文かその時代から関谷と書くのはちとオカシイ、墓碑に三十くらいの関谷が書いてある、源治の子孫大阪辺りにいるらしい、土田家の土は土に点付けて四角にしていると教えてくれたので出資者の土田姓見ると全部に土に点ある、土田一党だ、帰って五時、腹減ったので晩飯食べる、明日か明後日の午前中注連縄、お鏡モチ買って供える。七時半マルナカに買い物に、帰って八時過ぎ、此方に傘持って移りパソコンの前に居る。明日は雨。今日も朝背中に二枚カイロ張る。車510キロ走る。