蓮の道

日々の暮らしの中で気がついた事や、感じた事などを書いています。

普通の人

2010-05-27 00:26:54 | Weblog
最近ラジオを聴く機会があって思った事があります。
ラジオのなんて云うんでしょ?(アナウンサー?)の人の意見は、
とても常識的と言うか、「みんな」の枠から出ない事のような気がします。

わざとそうしているのでしょうか??
ほぼ、たぶん80%近くの人がそうだよねって思う意見。
嫌な言い方をすれば、世の中の風潮にあっている意見。普通の人の意見。

本当にそう思って言っているのかな?と思いながら聴いてます。

学校の教育って、いわゆる「普通の人」に育てるためのものだと考えていた時期があります。普通の人ってのは、規格内の人って意味です。
ある程度の事が出来て、こう言ったらその言った意味をあまり違いなく理解し、社会が上手く都合よく流れるための人材。
誰にでも替わりが出来る人。つまりは、いついなくなってもそれほど社会、会社的には問題ない人。

これにはランクがあって、学歴が上がれば、その普通の基準の「ある程度」が高等になり、理解できる言葉の語彙も増え・・・。
でも、その他の人でも替わりの出来る人である事は違いありません。

ラジオから聞こえてくる会話はとても楽しそうで、ほとんどの人が違和感を感じない会話が繰り広げられています。当たり前の意見。普通の意見。聞こえてくるから仕方ないけど、つまらない人だなって思いながら聴いてます。だって他でも同じ意見は聞けるから。

私が聞きたい話しは、話をしたい人は、その人独自の感性で今同じ生きている世の中をどう感じているか、私とは違った、他の誰とも違ったその人独特の角度から見た感じ方とか意見です。特別な言葉という意味じゃなくて、心を伴ったその人の意見という意味です。
当たり障りのない意見だとお互いが知り、本心とはズレた当たり障りのない話しをするなら、話なんかしない方が良いんじゃないかと思ったりします。(私はそんな話をすることをたくさんしてきてます)
普通の人にずっと憧れてきたけど、他に替わりがいるなら、その人でなくても良いなら、生まれてきた理由が分からなくないですか??

ここの所一カ月ほど、週に5日はラジオが聞こえてくる環境にいたので、
ラジオを聴きながら私が感じた違和感について、なんとなく断片を書いてみました。
(普通の人という言葉に対して、長年すごく考える事がたくさんあって、ここでは書ききれないのでまた書きたいと思ってます)

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