行くまでの経緯 1
祭り好きが乗じて、京都の祇園祭をテーマに卒業、修士論文を書き、祇園社の祭神、牛頭天王・素戔鳴尊に興味を持ち、下の『日本書紀』の記述に出会いました。
「素戔鳴尊、其の子五十猛神を師ゐて、新羅国に降到りまして、曾尸茂梨の処に居します」
素戔鳴尊がいる「曾尸茂梨」とはどこなのか。私の頭に常に残りました。
行くまでの経緯 2
その疑問に答えがでないまま、書き上げたのが浄土寺に関する二つの拙稿・「(論文?)浄土寺伽藍配置私考(『小野史談 51,52号 それぞれ2008、2009年』)」、「(研究ノート)東大寺播磨別所・浄土寺伽藍配置考 -重源の迎講との関連-『京都民俗 27号 2010年』」です。
内容は耳にタコができるかもしれませんが、①~③の内容です。①浄土寺境内の八幡宮は、東大寺復興のスポンサー源氏への敬意を表すもの。②古法華山を背面軸に配し、そこに日が沈む旧暦3月15日ごろに、迎講を行い、当麻寺のような山越え阿弥陀を表現する ③その際に、加古川は三途の川、古法華山は重源が訪ねたとされる宋の天台山・西の異国の浄土と見立てられている。
このような異国の浄土観と浄土寺の大仏様・天竺様という建築様式の垂木部分が韓国の民家と類似していることにも関心を持ちました。(写真1)
行程概略
上の二つが韓国への憧憬の理由でした。そして、円高、閑職という熱い思いと、公私の条件整い、2011年8月24日より30日(朝)まで、私は5泊6日の韓国への旅を決意しました。
行程の基本方針と目的は、曾尸茂梨とされる諸説の場所を巡ること、その中で、韓国の寺院習俗や伽藍配置から浄土寺との関係を見つけ出すことです。
訪れた寺院や王陵、遺跡は以下の通りです。
慶州市―芬皇寺、皇龍寺、瞻星台、仏国寺、石窟庵 伽?山、高霊周辺―海印寺、深源寺、法水寺址三重石塔、黄龍寺 釜山、金海-梵魚寺、三光寺、首露王稜、首露妃稜
残念ながら研究上の大発見はありませんでした。
それでもなお、今後の研究や人生において、大きな意味をもつ旅になりました。そこで、できるかぎり、小野市の浄土寺と照らし合わせながら、韓国の寺院のあれこれを紹介します。
2011年ジオシティーズウェブページ「韓国寺院旅行記」『祭と民俗の旅』に掲載。
2019年本ブログに移設掲載。写真の移設が自動的にできなかったため、随時掲載予定。
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