月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

163.獅子噛のない上地車?大阪市だんじり今昔-摂津名所図会より3-(月刊「祭」2019.8月19号)

2019-08-23 06:33:05 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
 
●だんじりと布団太鼓の古い絵図  
 地車や布団太鼓、屋台の古い絵図は、なかなか残っていませんし、残っていても19世紀後半ころのものが多いです。ところが、「摂津名所図会」には寛政八年(1796)~寛政十年(1798)の成立で、今で言う大阪市内のだんじりと布団太鼓の祭の様子がえがかれており、当時の様子を知る貴重な資料と言えます。そこで、その絵を見ると意外なことが見えてきました。 今回もだんじり編で、だんじり本体部分の拡大図で本体の様子を現在の大阪市内のだんじりと比較しながら見ていきます。
 
 
 
↑大阪市若宮八幡大神宮蒲生四丁目だんしり
↑摂津名所図会のだんじり
 
 全体では、現在のものは当時のものより、やや小さめになっているようです。現在残っているだんじりで古い物は江戸末期のものや明治期のものがあることから、「摂津名所図会」が刊行されてから、間も無く小型化の流れがあったのかもしれません。
●彫刻と刺繍
 
↑大阪市杭全神社泥堂だんじり
 
 
 
↑大阪市若宮八幡大神宮蒲生四丁目だんしり
 
 
 
◯1獅子噛
現在の上地車の象徴とも言える屋根の獅子噛は、この当時では見られません。また、他の彫刻もあまり絵では見られません。
 獅子噛は、弘化三年(1846)の杭全神社市だんじりには見られます。しかし、嘉永五年(1852)の大阪天満宮のだんじりには見られません。「摂津名所図会」の時代にはなく、19世紀中頃より次第に獅子噛は広まっていったようです。
 
 
↑嘉永五年(1852)大阪天満宮のだんじり。獅子噛はない。
 
 
 
◯2刺繍か彫り物か
 そして、水引幕は現在にも引き継がれていますが、
「摂津名所図会」の本文にも
 特に東堀十二濱の車楽ハ錦繍を引はへ美麗を尽くして生土(うぶすな)の町々を囃しつれて牽めぐるなり。これハ大坂名物の其一品なるへし
と、「錦繍」とあるように縫い物が飾られていたことがわかります。現在のものは、水引幕は前部のみで、後部は彫刻になっています。四本柱にも見事な彫刻が彫られており、一方、絵を見ると、だんじりの後部にも水引幕があり、四本柱にも布がまかれています。
 
●前てこと綱元   
↑今福西之町だんじり
 

↑杭全神社野堂北だんじり
◯4(◯3は写真番号付け間違いによりなし)台木
 現在はの台木は、岸和田のものは長方形のままのものが多いですが、上だんじりは、雲?などの模様がついています。また、精巧な彫刻も彫られていますが、「摂津名所図会」のものは、正方形に近い形になっています。
 
◯5てこ
てこは、やや「摂津名所図会」のほうが細いでしょうか。おもしろいのは、現在のものはてこを持つ人が、棒の上まで体を出していますが、「摂津名所図会」のものは、体を屈ませており、むかって右側の人はてこを完全に泣いてしまっています。
 また、上の野堂北だんじりのてこは下の後部の写真のように、杭全神社のものなど、今のものはかなり短く、太くなったものもあります。急ブレーキで止まる時に紐を離したら、てこが落ちて止まるようになっています。
 細長いてこから、各地域の運行の仕方に合わせて進化していっているようです。
 
杭全神社野堂北だんじり後部のてこ
 
◯6綱元
綱元に穴が開いていて、そこから綱をつなげる構造になっているのは昔からのようです。管理人はこのしくみが一番新しいと考えていたので、新鮮な驚きでした。
 
 
 


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