月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

154.淡河八幡神社の屋台と祭(月刊「祭」2019.8月10号)

2019-08-08 08:26:27 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

●淡河八幡神社の祭
淡河八幡神社は神戸市北区になっていますが、播州に属していました。おそらく北区で唯一の播州地域と言えるのがこの氏子地域でしょう。その祭もまた特徴的なものとなっています。今管理人は旅行中ですので、手元に資料もないまま覚えていることだけを書いていきます。


●四年に一度の祭り
この地域では確か12ほどの村を4地区に分けて年番制で祭をしています。当番地区は10月第1日曜日の秋祭りで屋台を担ぐだけではありません。中学生は神輿を担ぎ、2月11日のお弓神事もとりしきります。

また9月末には稽古屋台を地元に持っていきその宮で練習しますが、歳田神社地域の当番の時は、地域で屋台を持っているのでそれで練習をするようです。

●稽古屋台
播州では珍しい家屋屋根の屋台です。9月の最後の日曜日?か土曜日かに淡河八幡でなく、地域の神社で練習します。この時、太鼓打の中学生か小学生の運動会がずっと重なっており、毎回運動会と太鼓のダブルヘッダーだという話を2006年頃に聞きました。
さらに驚いたことに、屋根の部材に正徳年間(1711〜1716)の墨書きがあったそうです。これを即制作年代とするには早いのではないかという声もありますが、かならずしも早すぎると言い切れないと考えられます。神輿の先導の太鼓は中世の絵図には確認されています。この時は太鼓の打ち手も歩いていましたが、灘のけんか祭りでは神輿太鼓たる屋台を思い起こさせるものが、18世紀中頃にはすでに出ていたことが、文書から分かります。もしかしたら、稽古も祭りの一環と考えたら現行最古かもしれません。


●本番の屋台
本番では、着物の内側を思わせるものを法被として着ています。これは、吉川の若宮神社では伊勢音頭の歌い手がこれの着物ぐらいの長さのものを着ていました。また、東灘区のだんじりの昔の写真を見ると、浴衣地で、似た衣装を着ていました。
4、5年前に売店の方から聞いた話だと、この祭では屋台も人も決してカッパを着ないとのことです。気概は見習いたいですが、管理人にはできないです^_^;

神戸市北区大澤町ではかつて淡河から屋台を買っだことがあるという話を聞きました。


橘正義の彫り物と金具
精巧な彫刻が明石の名彫刻師橘正義(明治10年ごろだそうです)によってなされています。「橘正義 彫刻師」でグ●ると、東京の柴又帝釈天の彫刻にも名を連ねているようですが、昭和でのこと!?、みたいなので、別人でしょうか。
人物もさることながら、鳥や麒麟の体のねじれ、羽毛や鱗の一つ一つを丁寧に表現していることに驚きます。

金具は珍しい人物ものです。うすい屋根とよく合います。



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