月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

140. 大阪天満宮青物市場地車-シンプルな説得力-(月刊「祭」2019.7月21号)

2019-07-25 22:20:31 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
●大阪天満宮天神祭
日本三大祭のうちの一つとも言われる天神祭。
催し太鼓に並ぶ花形の一つは地車です。
大阪天満宮に残るただ一台の地車で、青物市場の地車です。
江戸時代初期か中頃あたりから地車は多い時で数十台を数えたそうですが、大塩平八郎の乱で天満宮の社殿とかなりの数の地車が焼けてしまったそうです。
さらにその後弘化時代に天満宮で火災があり、嘉永五年に復旧工事がなされました。その同年にできたのが、現在の天満宮青物市場地車です。そして、以前紹介した船型山車もこの時に復旧がなされました。


●大阪で唯一の三屋根地車


横から見ると中心が一段高い社殿式の屋根がたいており、表彰台のようになっています。祭の様子を見る限りでは、青果市場の方は主に曳き手として参加しているのでしょうか。

鳴り物については、昨年の記事で書いています。

●彫刻
見る限りでは、上部は創建当時のもの、下部の天神縁起の場面は、雲の形などを見る限りでは後に作られたものと推察しています。ですが、確証は持てません。
a


b

↑上の写真aは地車上部の龍の雲、bは地車下部の天神縁起の雲作り方が少し違います。

●天神縁起の彫刻

彫刻はおそらく一枚板を彫ったものと見受けられ、地車彫刻によくある迫力あるものとは言えません。ですが、上の写真のように天拝山でご祈祷する道真さんの背中しか地車外部からは見えません。ですが、ご尊顔までしっかりと彫り込まれていました。

●相野藤七の彫刻
先述の通り、天満宮の大再建が嘉永五年に行われました。それと同時に、地車、船型山車も創建、改修がなされました。そして、兵庫県地車研究会の村岡眞一氏によると、いずれも相野藤七の手によるものだと言います(大阪天満宮社報 68 てんまてんじん 平成二十七年)。
四天王寺や高槻市の永井神社、地車では今福西、先代今福北のものなどが彼の手によるものだそうです。当時大阪最高峰の技術をもつ一人とも言われています。

そこで天満宮地車の彫られている題材を見ると、獅子、龍、鶴、亀。。極めてシンプルな題材です。現代の地車彫刻のような華やかさにはかけると言わざるを得ません。
しかし、一つ一つの彫刻を見ると、まるで一枚一枚付いているかのように見える鱗や湧き上がっているように見える雲など、精巧の代名詞にもなりそうな作品で彩られています。
本当にすごい彫刻師は使い古された題材で見る人を納得させる技量があるものかもしれません。





謝辞
昨年に続き今福北地車関係者の皆様には多大なご厚情を賜りました。改めて感謝申し上げます。

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