月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

407.御神火夜話-若い人たちのお宮の参拝事情-(月刊「祭御宅」2023.1月1号)

2023-01-06 21:40:58 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-
●火を囲んで聞く話
 小学生の教材にもなっている、三年とうげ。そのもとの話は、「温突(オンドル)夜話」という本に所収されています。寒い夜は、温突であたためた暖かい部屋で、お話を楽しみましょうといった意味でしょうか。
同様に、民俗学者・宮本常一も「炉辺夜話」という本をだしています。いろりで聞いた話というところでしょう。冬の夜は、火を囲んで様々な話をして楽しんだのは、日本でも朝鮮半島でも共通するのでしょう。
現代はスマホなどの普及で、そんなことも減ったのかもしれません。ですが、管理人はひょんなことから地元三木市の大宮八幡宮で総代をつとめることになり、大晦日から正月にかけて神社で焚かれる御神火のもりをしました。その火を眺めながら聞いた話をすこしばかりしたいと思います。

●本殿での御神火点火から境内のお焚きあげ用の火への点火
大晦日の夕方、各町氏子総代のもと、宮司さんが本殿内で御神火を点火されます。本殿内から火打ち石らしき音がきこえました。昔は火縄にその火をうつして、各町にその火を持ち帰り、金物作りの火や、仏壇の灯明などに町いられていたそうです。

その火は同じく大晦日の夜十一時に、境内のお焚きあげ用の火に点火されました。参拝者の暖をとることができる火ではありますが、本来は古いお札などをお焚きあげするための火です。ですので、ゴミやたばこの吸い殻をもやすことはできません。
この日は、境内にたてられたテント内の豆炭の焚き火にもうつされました。そこで、聞いたり見たりした、若い人たちのお宮さんへの参拝事情について話していきます。




●若い人たちの夜の参拝
大宮八幡宮でも大晦日の夜の十二時=新年の零時を待って参拝しようとする人たちがたくさんいました。行列は石段下まで続いていました。深夜の参拝者ほとんどが若い人たちでした。

そして、新年を迎えた時には、まるでどこぞの繁華街のように「あけおめ~」や、「ハッピーニューイヤー」などの元気な声がひびきわたりました。そこから、お宮への参拝がはじまります。
しばらく長い行列がつづいていましたが、おみくじが人気だったようです。青年団の後輩はおまいりだけすませたあと、家に帰って、人が少なくなったのを見計らって、おみくじだけを再び買いに来ていました。


御神火夜話
 さて、管理人は混雑中は帰路の案内をしていましたが、それが一段落するとテント内の小さな炭火のもりをしました。その時は夜の一時から2時ころでした。
炭火のまわりにあつまったのは高校は卒業して今年度二十歳になったばかりの人、次年度二十歳を迎えるという若い人たちでした。参拝をすませて、暖をとりつつ休憩しているとのことでした。たばこを火にすててしまったのを注意すると、すごく素直に謝っていました。このての素直さは最近の若い人たちの特徴のようにおもえます。
もっぱら話の中心は、わかれたくっついたの最近の恋愛事情、そして、仕事や学業の近況報告でした。
大学の単位が危機にあるような子もいましたが、大丈夫だったのでしょうか^^: スマホでの申請は便利なようですが、先生に頼みこんでの単位の融通がききにくそうにも思えたので、そのへんは昔より大変そうな気がしました。
さて、そのなかの一人のお兄さんがいうには、夜中の参拝をすませたあと、しばらく眠ってすぐに、初日の出をバイクで見に行きたいとのことでした。近くの雌甲山に行こうかといっていましたが、伊勢の夫婦岩から初日の出が拝めるという話をすると、それもいいですねーとのことでした。まさか、本気にいこうとするとは思いませんでした😅
コンビニでであったときは酒を買っていて、飲んで家ですごすことになったそうです。いずれにせよ、夜ほとんど寝ずに参拝して、酒盛りするのは若いからだと思いました。

●編集後記にかえて-神なき時代?-
このように酒盛りして、騒いでオミクジ買っての若い人たちの様子を見ると、「神なき時代」といいたくなるのかもしれません。
ですが、管理人があった若い人たちは地域の氏神さんに参拝して、祭もしている人たちでした。そのなかで、安易に神がいないというのは、あまりに無粋な気がします。
そのような思いをこの本の拙稿にしたためました。ご興味ありましたら、ぜひご一読ください。








406.WBC日本代表を「栄冠は君にかがやく」で応援したい(月刊「祭御宅」2022.12月2号)

2022-12-03 01:40:29 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-

下の文、本来なら選手をつけるべきかもしれませんが、煩雑になるので、省略します。

●サッカー日本代表の快挙

サッカーワールドカップで、日本代表がドイツ、スペインに競り勝つという大金星をおさめ、予選一位通過をきめました。もしかしたら、優勝かも。。、!?という期待も膨らんできます。
サッカーで日本代表がベスト4にはいった場合は、大躍進といえるでしょう。
 
勝っても、「大金星」はない野球日本代表
では野球の場合どうでしょうか?
 
野球の場合、ベスト4では全くの期待はずれということになります。ドミニカ、キューバ、プエルトリコ、そして、アメリカに勝ったとしても、「大金星」という表現はおそらく使われません。
 
●日本文化として定着した野球
アメリカで生まれたベースボールは日本では「野球」として、親しまれました。そして、高校生による夏の甲子園は、俳句の季語となるほど、「日本文化」として定着したといえます。
かつての高校球児は、プロ野球だけでなく、ダルビッシュ、田中、野茂、新庄、松井などメジャーリーグで活躍する選手、イチローや大谷のようにメジャーリーグの歴史に名を残す選手もあらわれるようになりました。
そのような野球大国・日本から選びに選び抜かれた代表選手を称えるにふさわしいのは、「栄冠は君にかがやく」に思えてきます。
 
―優勝してからの編集後記ー
 アメリカで生まれたベースボールは日本では「野球」として親しまれ、そして、2023年。日本代表は見事に優勝しました。「栄冠は君に輝く」がうたわれることはありませんでしたが、日本代表は世界中から尊敬されました。それは、体格的には必ずしも有利とはいえないながらも、それを補って余りある技術の高さにたいしてだけではなかったようです。試合後やデッドボールの後の礼など、日本の球児が幼い頃より教育される礼儀が染みついていることで、まさしく「栄冠は君に輝く」精神だったのかもしれません。
 

405.写●●です、--祭行脚四半世紀+1年、新企画予告1--(月刊「祭御宅」2022.12月1号)

2022-12-03 01:34:13 | ブログ運営など
●月刊「祭御宅」新企画
機械音痴、カメラ音痴の管理人が祭行脚をはじめて、今年の11月で26年がたちました。気がつけば、はや四半世紀+1年がたったことになります。四半世紀の年だった昨年は気がつかずに記念企画ができませんでした😵
なので、四半世紀+1年の記念企画を3本だてで開催します。
まず、一本目の企画の予告です。

機械音痴、カメラ音痴、経済音痴な三音痴の管理人の御用達カメラ
 今でこそ、高性能で使いやすいスマホカメラやミラーレス一眼レフデジタルカメラを使用しているかんりにんですが、かつての御用達は、、、、

「写る●です」などの使い捨てカメラでした。30枚から40枚程度のフィルムをどう使うか悩みに悩みながら撮影したものです。
よくよく考えれば、まともなカメラを使って、安いフィルムを買うほうが得だと気づいた頃にはデジタルカメラが普及しはじめていました。

●20年前の使い捨てカメラを現像!!
さて、使い捨てカメラや、フィルムカメラの場合、多くの人は現像を写真屋さんに頼む必要があります。そして、管理人の部屋にはまだ現像をしていないカメラが、四点あることにきづきました。おそらく20年ほど前のものです。
これらには何が写っているのでしょうか??
祭や社寺仏閣であることは間違いありません。現像した結果を報告します。


404.明治時代、大宮八幡宮の喧嘩最強屋台はどこ??

2022-11-27 18:43:33 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●ゴンタ太鼓
どこの神社にもゴンタダイコやゴンタヤッサともいうべき、気象の荒い人が集まる屋台というのがあります。きっと読者の皆様のなかでも、あの神社やったらあっこ、この神社やったらここ、というのを思い浮かべている方もいらっしゃるでしょう。
三木市大宮八幡宮では、ゴンタといえば語弊がありますが、迫力のある屋台といえば、播州最大級の下町屋台を思い浮かべる方が多いでしょう。あの大きな屋台をかつぐのは、よっぽどの気概がないとつとまらないようにおもいます。

しかし、この記事では、昔のゴンタ太鼓は新町だったことが書かれていることに触れました。これは、明治四年(1871)のことです。しかし、喧嘩がもっとも強い屋台はべつにあったとのことです。


●昭和二十五年(1950)座談会「明治初年の三木町」*より
上記座談会の記録によると、明治四年(1971)ごろに生まれたとおもわれるM氏が、興味深い発言をしています。
「喧嘩をよくした。屋根の瓦をめくって放つたりした。」
めちゃくちゃですね😅
まあ、今でも毎年のように喧嘩はありますが、瓦を放るなんてことは、なかなかありません。M氏がものごころついたころと考えると、明治十四年ごろの話でしょうか。そして、M氏は続けます。

●喧嘩最強は、、、













「一番強かったのは上町でした
まさかの上町でした。


今となっては、家の件数がおそらくもっとも少なく屋台の保持を断念した上町です。その状況は明治時代でも同様とおもわれます。人数が少ないはずの上町が強かったのは一人一人がスーパーサイヤ人のようにが喧嘩がつよかったということでしょうか。さらにM氏は続けます。

「上町は旦那衆で太鼓かきの人を雇つたから、そいつが強かつた
江戸時代の檀鶴が出ていた文政時代ころまでは、上町の庄屋さんのご子息は、当番の年は檀鶴で能を奉納していたようです。その他のもろもろの「担い物」をするのは雇われ人とのことで、主役が屋台になってからも、人を雇う祭はしばらく続いていたようです。

*編輯・青甲社編集同人『青甲 八、九、十月号』(青甲社、1950)所収

403.前後の逆転、上下の逆転-鳥居清満の橋合戦-(月刊「祭御宅」2022.11月3号)

2022-11-27 11:43:00 | 民俗・信仰・文化-社寺、神仏像、祭具工芸-
●ボストン美術館所蔵の浮世絵展
兵庫県立美術館で2022.9.10から11.20まで、|| ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵 -武者たちの物語という特別展示がおこなわれました。
今回はその中の、鳥居清光作、宇治の橋合戦を題材にした絵について、「あれ?」ということがあったので、それについて書いていきます。

宇治の橋合戦
まずは、平家物語(リンク先122コマ目*)で、筒井浄妙の橋合戦のおおよその内容をみていきましょう。
多数の平家の軍勢と宇治川を隔てて戦うことになった、僧兵の筒井浄妙。人一人しか通れない狭い橋の上で、最前線にて死を覚悟しながら戦います。
その最中に、同じく僧兵の一来法師が、「悪しう浄妙」といって浄妙を飛び越えて、最前線にうってでました。一来法師は戦死、浄妙はなんとか生きて平等院にもどった
というところまで、管理人は読みました。そのあと、浄妙がどうなったかはウィキぺdアなどでしらべてください^^

●一来法師が浄妙を飛び越える平家物語
 「平家物語」では一来法師が浄妙を飛び越えていました。展示されていた絵のうち、一点は名前がありませんでした。北尾重政による天明七年(1787)の作品です。

一方、鳥居清満による宝暦五年~十三年(1755-1763)頃の作品では名前が書かれています。しかし、よく見ると、飛び越えている上側が浄妙、飛び越えられている下側が一頼(来)法師となっています。つまり、平家物語が指し示す場面とは上下が逆になっています。では、なぜこのようなことがおきたのでしょうか?




●古典の読み違い??(管理人妄説)
 さて、上のリンクにある平家物語の本文を引用してみます。
「一来法師という大力剛の者、浄妙坊後ろに続いてたたかいけるが」
 「浄妙房甲の錣(しころ)に手をおきて、悪しう候浄妙坊とて肩をつんど跳り(おどり)越えてぞ戦ひける。」
太字でしめした「が」はこの時代の言葉では、所有をあらわす「-の」の意味になります。「我が故郷」の「が」は、「私の故郷」という意味で考えられるでしょう。
しかし、同時代のものと考えられる「化け物の嫁入り」という本では、「-ができます」と、現在と共通する主格の助詞としてつかわれています。「が」を今と同じ、主語につく言葉として平家物語を読むと、
「浄妙坊が後ろに続いて戦う」ことになり、「甲の錣(しころ)に手をお」いた、誰が?、「浄妙坊が」ということになります。
このような、絵がかかれた江戸時代と平家物語が成立した時代の言葉の違いが、武者絵の逆転現象を生んだのかもしれません。

*永井一孝 校注『平家物語』(有朋堂、大正11)

402.須藤護「日吉山王祭と山の神信仰」祭の名著紹介(月刊「祭御宅」2022.11月2号)

2022-11-20 21:16:45 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

●信仰を支えてきた人たちは誰?

 昨年5月から今年5月まで日吉御田神社当家をおつとめされていた須藤護先生(日吉御田神社氏子・元当家、元龍谷大学国際文化学部教授及び学部長)が2011年に『国際文化学研究』(龍谷大学国際文化学会)に寄稿された文章です。

管理人の足りない脳みそでの解釈は下の通りです。

ーーーーー
日吉大社の熱い祭。えげつなく急な山や石段を二本の棒のバランスがとりづらく重い神輿を担いでおりてくる。そして、実は山から下ろすためには山にかついであげてもいる。播州の祭好きにとっても一目で虜になる熱い熱い祭。


その熱い祭をへて、山の神が里に下りて来て、再び帰る祭の図式を描き出します。また、古来の自然崇拝から神社神道へ変遷した過程と、それでも今なお残る古来の信仰を指摘しています。
 そして、祭や神への信仰は歴史上に名を残した人物だけではなく、各地の年長者や若者が中心となり支え続けられていたことを、先学を参考にしながら述べています。

若い人たちや地元関係者が熱狂的になる祭、それは、ばか騒ぎに見えながら、実は中身のあるもの。そんな当たり前でありながら、忘れられがちなことも簡潔な文章で書いてくださっています。
ーーーーー

 須藤先生は、管理人がボンクラ学生時代に最もお世話になった先生です。管理人に研究とか学問について教えてくださった大学の先生は、たくさんいます。しかし、祭への心構えを背中で示してくださった大学の先生は後にも先にもこの方だけでした。     
 にもかかわらず、、、、須藤先生のことを別の方に話す時にかぎっては、「大学時代の先生が」と言うべきところを、なぜか「友達が」と言い間違えそうになったり、実際に言い間違えてしまったりします。
 管理人にとっては、学問の先生である以上に、祭や人生の先生です。たえず、祭をする人たちに肯定的な目を向けてくださる、、、、というより、ご本人自身が祭が好きすぎて、移住先で当家・宮番をお引き受けになる「祭人」であり、移住先にもかかわらず当家を任されるほど信頼できる方が書かれた文章です。ぜひご一読ください。

そして、日吉御田神社総代会と氏子中のみなさまのご協力を得て執筆なさった、『日吉御田神社 宮番の記 滋賀県大津市坂本』『日吉御田神社 宮番の記 滋賀県大津市坂本』(サンライズ、2022年)サンライズ、2022年)も名著です。
 


402.ワクチン製造会社による祭の○○破壊-企業イメージ戦略の失敗-(月刊「祭御宅」2022.11月1号)

2022-11-11 16:56:08 | 新型コロナと祭、民俗
●企業のイメージ戦略としての祭
 祭では、企業が協賛することで、その企業のイメージを地域でアップさせるということがあります。播州では、サンテレビ放映に協賛する企業のCMはおなじみのものとなり、それらもまた、テレビを見る楽しみのひとつになっています。
企業がイメージ戦略として、祭を利用することは一概に悪いこととはいえません。また、相互にメリットがあるからこそ成り立つものともいえるでしょう。そして、新型コロナが流行って二年、そろそろ三年がたとうかという今日では、新型コロナのワクチンを製造流通した某外資系製薬会社もこれらの協賛になのりをあげました。

●-景観破壊-某外資系ワクチン製造製薬会社の祭を使ったイメージ戦略の失敗
 この製薬会社の祭をつかったイメージ戦略は、全都道府県の祭に協賛し、そのあかしとして社名入りの提灯をその祭で献灯するというもののようです。
しかし、それが本当に成功しているのかというと、かなり「?」がつきそうなものもいくつかみられたので、その原因について書きます。

1)新型コロナのワクチンには、否定派も一定数いること
 もともと否定的な見方をしている人が、その企業名を見ても嫌悪感しかそだたないことでしょう。しかし、否定派の拒否感を大きく、肯定も否定もしない派や肯定派にとっても、その会社に対するイメージを悪くするには十分のものもフェイスブックには掲載されていました。

2)社名を書くのみで、他と様式も違う提灯
企業や個人による提灯の献灯は、企業名をかくものであっても、写真のように大きさを揃えて行われます。また、反対面には「御神燈」など同じデザインが施されます。このようにして、統一性のある提灯を掲げることで、祭の景観をよくすることで、企業は地元での信頼を得ます。


一方管理人が見た某ワクチン製造会社の提灯は 下のようなものでした。おそらく、会社の方で製作したもので、社名のみかいた提灯を、各都道府県でそれぞれの祭の様式にあわせることなく使い回しているようです。不自然で周囲と調和しない提灯は目立ちますが、「御神燈」の言葉や御神紋のない提灯は「悪目立ち」しているといえるでしょう。また、その提灯を祭の曳き車につっている写真も見ました。
地元の方の強い強い希望がないかぎりは、このような提灯の掲げかたは、控える方が企業イメージを護るためには賢明に思えます。


●協賛時の心もちについて
 「金を出したる、宣伝させろ」で祭の紹介もろくにせずに、悪目立ちの提灯をとるだけでは、宣伝にはなりません。

編集後記
 管理人は反ワクチン派ではありません。
ワクチンをうったし、もしかしたらワクチンが役に立ったのかなという経験もこの二年間でいくどとなくしています。もちろん、副作用の心配も全くゼロとは思いませんが、今のところその実感はありません。
今回は、あくまで企業イメージをさげないための提灯戦略についてかきました。






401.韓国ハロウィンで死亡事故はなぜ起きたか私考(月刊「祭御宅」2022.10月2号)

2022-10-30 15:54:05 | 韓・朝鮮半島および仏教、ヒンドゥーアジア文化圏諸国-社会-

本記事では、神事としてのハロウィン、その神を信仰している人のハロウィンについては一切のべていません。本記事では、形骸化したハロウィンについてのべております。

●韓国梨泰院(イテウォン・이태원)の死亡事故
昨日夜、ハロウィンの名のもとに韓国ソウル特別市の梨泰院で、人々の行列が倒れ約150人が死亡するという痛ましい事故がおきました。
ここでは、なぜこのようなことがおきたのかを考えてみます。


●ハロウィンという骨のない祭の警備のしにくさ
 まずは、ハロウィン自体が例えば、京都の祇園祭での山鉾巡行などのようにメインとする催し事のようになんらかのメインイベントがあるわけではありません。そうなると人の流れの予測は難しく、警備をするがわの動きの統制をとることも非常に難しくなります。

●韓国における若者が打ち込める祭の少なさ
 ところで、熱い祭人の国民性を持ちながら、だんじりや、屋台、山車のまつりのような大人数が参加しやすい祭文化はあまりというか、ほとんど見られません。
神仏分離がはやくおこなわれすぎ、水陸会とよばれる日本における神輿の巡行にあたるものが朝鮮時代に規制されていたこと、高層マンションなどへの入居を推奨し、古くからの地域的なつながりがうすれたことが原因であると、管理人は考えています。



日本ならば、祭に打ち込むわかものにとって、つまりハロウィンに参加する一定数の若者にとってはハロウィンはただのどーでもいいイベントとなります。ハロウィンへの期待はさして大きくなく、安全対策もできた祭で熱くなることができるところが、日本のハロウィンの事故のなさの一員といえるのかもしれません。




400.祭前日、祭の日に出してほしい宿題(月刊「祭御宅」2022.9月5号)

2022-10-17 00:24:03 | 教育の政(まつりごと)
●祭前日と宿題の思い出
 某ボンクラ祭ブログ管理人が小学四年生のころです。その当時は祭が10月16.17の固定日開催でした。管理人が通っていた三木市立三樹小学校は16日が2時間、17日が1時間の授業で帰っていたと記憶しています。
大宮八幡宮のお膝元の小学校、太鼓の音が聞こえるなかでの学習に身が入るわけありません。受かれたボンクラ祭ブログ管理人は宿題の漢字ドリルもせずに学校にいってしまいました。でも祭やしかえらせてくれるだろうとおもったのですが、、、。当時のons先生は、心を鬼にして、漢字ドリルの宿題を居残りでするように命じてきました。そのときは、先生の親心知らず恨みに恨みまくりました。ですが、今思えば、祭前に受かれる気持ちをもちながらも曲がりなりに仕事しているのは、あのときの経験があったからかもしれません。
祭前は「しっかりやることやりましょう。」忘れたら、そのつけ・忘れた宿題は「祭でも払わせましょう」という方針が小学校では望ましいと考えます。
では、祭当日の宿題はどうでしょうか

●祭当日に出してほしい宿題
実は、祭の日だけは宿題は出さないであげてほしい。そんなことを今年の九月までは考えていました。しかし、それは間違いであることに気づきました。
出してあげてほしい宿題がたったひとつだけあります。それは、日記です。楽しかった出来事を生き生きとかく子ども、おみこっさんばかりでたいこのところにいけなかったくやしさ、「おみこっさんどい、おっさんなんどい」ゆうて怒られたことも書く子がいるかもしれません。祭で気もそぞろで、やっつけ仕事のめちゃくちゃな文章を書く子どもが多数を閉めることだと思います。
でも、それらの記録を大人になってみかえしたとき、きっとその人にとっての宝物になることでしょう。

謝辞
 この記事は、香川県琴平の香川氏の子ども時代の祭の日の日記をみせていただいたことがきっかけでできたものです。香川氏の文章、やっつけ仕事でありながらも、祭の楽しさがいきいきとつたわる名文でした。改めて感謝申し上げます。



399.助っ人参加の心得(月刊「祭御宅」2022.9月4号)

2022-09-21 21:47:34 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
-9年前の記事の続編-
何年も前に、下のような記事をあげました。
そこでは、
1)地元関係者の運行の指示に従うこと
2)地元の掛け声や太鼓の打ち方を尊重すること
などをあげました。

<月刊 「祭」 祭前特別号 第22号>助っ人参加のマナー  - 月刊「祭御宅(祭オタク)」

三木の秋祭が近づいて来ているので、「上げ」ます。10月は、播州では祭月です。各地で屋台が組み立て、衣裳付けされて、練習の太鼓の音が響き渡ります。今回は、祭前という...

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今回は、その記事の続編とも言える内容をあげたいとおもいます。

●安全第一、限界は素直に伝える
せっかく、助っ人にきているのだから地元のおもいに応えてがんばりたくなるもの。でも、無理は禁物です。怪我をしたり、熱中症などで倒れたりすると、助けどころか、迷惑になってしまいます。
なので、体力の限界などは素直に伝えましょう。

●きつい言葉はあって当たり前
関係者は、大きな屋台やだんじりを人力でけがなく動かすことに全神経をつかっています。もちろん、その中ではどうしてもきつい言葉をかけざるをえないこともあります。その言葉に我慢ならないのであれば、あまり助っ人にはむいていないといえるでしょう。

●もちものの管理
天候不良への対処
 管理人自身あまり得意ではないのですが、なるべくコンパクトに荷物を運ぶようにしています。たとえば、夏場ならば携帯、財布のみ。
秋ならば、それに加えて薄くてあったかい上着を腰にまくなどで対応することもあります。
雨が予想されるならば、防水の地下足袋を準備するのもいいでしょう。
気を付けなければならないのは、関係者が助っ人の分まで用意しきれていないこともありうるということです。
天候をある程度予想し、なんらかの準備をしておくことがおすすめです。
もちろん、若い人のなかでは、そんなもの不要とばかりに、体ひとつで参加する人もいます。それでも耐えられるならば、その必要はありません。管理人は年を取るごとにそれらが必要不可欠となってきています。

壊れて困るものはもたない。壊れても文句は言わない。
祭りだからこそ、お気に入りのアクセサリー財布、時計などをつけたくなるものです。でも、つける場合は、壊されても文句を言わない覚悟で臨む必要があります。もちろん、本当に壊れても文句をいってはなりません。