月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

398.宮に入っておわる祭-阪神編-(月刊「祭御宅」2022.9月3号)

2022-09-14 21:01:00 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
多くの祭り好きにとって「宮出」といえば、屋台が宮からそれぞれの屋台蔵にかえる寂しい時間となります。いいかえれば、祭りの終わりを意味します。
しかし、宮出は祭の「はじまり」を意味し、宮入は祭の終わりを意味する屋台やだんじりもあります。前回は三木編とも言える内容でしたが、今回は阪神編です。
今回も前回同様、「宮入」は儀式などを伴う正式な宮に入る行事をさし、そのようなものとは関係なく物理的に境内に入ることは「宮に入る」と言葉を使い分けます。

●神輿を先導する太鼓
 大阪市内では神輿を先導する太鼓が数多くみられます。その保存庫が境内にあるところもみられ、なくとも宮への帰着=宮入が祭の終わりとなります。

↑大阪市櫻宮神社の枕太鼓

↑大阪市大阪天満宮催太鼓、動画終わりには帰着先の大阪天満宮門前がみえます。

屋根のない枕太鼓や催太鼓だけでなく、宮付きの布団太鼓も多くが神輿を先導し、宮入で役目を終える=祭りが終わります。何度かあげている大阪市杭全神社や、西宮市大市八幡神社、西宮神社がなどが管理人の脳裏にはうかびましたが、ほかにもあることでしょう。数年の中断の後、大市八幡神社の布団太鼓は2014年に復活しました。大市八幡神社の太鼓はもともとは氏子域内の下大市という地区のものでした。そして、神輿ももともとは下大市のものだったということです(久下隆史「祭礼」『下大市の民俗』西宮市教育委員会、1982)。

↑杭全神社の布団太鼓
↑西宮神社の布団太鼓



大阪市此花区鴉宮神社の南上太鼓も境内に蔵がある布団太鼓で、神輿も祭りに担がれるそうですが、神輿を先導するのかどうかは管理人は確認していませんが、宮入あるいは、宮に入ることで祭りが終わる太鼓ではあります。

↑鴉宮神社と布団太鼓の蔵

↑鴉宮神社境内の南上布団太鼓

●一台だけのだんじり、布団太鼓
 宮に一台だけのだんじりで小屋が境内にあるものは、宮に入って祭りが終わるものとおもわれます。下の写真にあげたものも実際には確認していないので、宮入で祭りが終わるのか、宮に入って祭りが終わるのかはわかりません。
↑神戸市東灘区魚崎八幡神社
大阪市東成区八王子神社境内のだんじり

●複数台のだんじり小屋が境内にある
 阪神地域、摂州では、複数台のだんじり小屋が境内にある神社が数多くみられます。都市化に伴い、各地での土地の確保が困難だという話をききました。
たしかに、このような地域は、神戸市東灘区、尼崎市、大阪市など、より人口が密集している地域によくみられます。
↑神戸市東灘区本住吉神社
↑神戸市東灘区本住吉神社「祭り終わり」を意味する宮入前のだんじり

↑城東区八剱神社境内のだんじり小屋

↑尼崎市貴布禰神社境内の小屋に入って祭りが終わる御園町だんじり。ほかにも数台のだんじり小屋が境内にある。

●複数台の内一台だけ境内に蔵がある
複数の布団太鼓のうち、一台だけ境内にあるのが澪標住吉神社の北中太鼓です。
北中太鼓は、同じく複数屋台中一台だけ境内にある屋台である三木市大宮八幡宮明石町屋台や、三木市岩壺神社岩宮屋台に共通する動きをします。それは、宮入したのち、他の太鼓とともに宮を出て、ともに担ぎ合わせた後、再びもどってくるということです。
同様のうごきをする屋台や布団太鼓はほかにもみられるかもしれません。

↑境内の蔵にしまう前の北中太鼓

編集後記
 ここ十年、大阪の夏の祭りに足を運ぶようになりました。そうすると、七月から十月の自分達の祭りのおわりがあっという間に感じられるようになりました。





















397.宮に入っておわる祭-三木市内編-(月刊「祭御宅」2022.9月2号)

2022-09-13 10:24:41 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-

管理人にとっては、「宮出」といえば、屋台が宮からそれぞれの屋台蔵にかえる寂しい時間となります。いいかえれば、祭りの終わりを意味します。

しかし、「宮入」が祭りの終わりとなる屋台やだんじりも複数存在します。今回はそれらを紹介し、なぜそのような、祭りの成り立ちになっているのかを考えたいとおもいます。今回は三木市内編です。
●神輿を伴わないけど宮入でおわる祭
三木市内では、屋台が宮入して終わる祭りがいくつかあります。別所町美坂神社東這田屋台もその一つで、神社境内に屋台蔵があり、宮入をして本殿前で後屋台を据え、相撲や獅子舞の奉納の後祭りが行われ、境内の屋台蔵に屋台が納められて祭が終わります。

↑宮入する東這田屋台
↑境内の蔵の中の東這田屋台
獅子や相撲のあるなしなどの違いはありますが、志染の御坂神社も二台の屋台が祭り二日目に宮入し、屋台蔵におさめられて祭りが終わります。この二台は旧安福田屋台、旧志染中屋台で、もともとはそれぞれの村に屋台蔵があったとおもわれます。それぞれの屋台が安福田、志染中以外の村をふくむ年番制で運行されるようになったことで、屋台蔵が宮の中につくられました。

若宮八幡宮の宿原屋台、大日神社の細川中屋台、細川の三坂神社大柿屋台も同様だとおもいますが、「宮入」は先にすませて、後は「宮に入って」おわっているかもしれません。
●御先太鼓としての宮入
六社神社の屋台、垂穂の御酒神社の屋台、篠原神社の屋台、そして、今は運行していませんが、かつての吉川の若宮神社の屋台は神輿を先導する御先太鼓です。市外近隣域では、神戸市北区淡河八幡神社、三田市加茂神社などがそれに当たります。屋台が境内にあり神輿を先導するので、神輿の御旅所へのお渡り・渡御で祭が始まりますが、先導する屋台は宮出が始まりとなります。神輿はお宮へお帰り・還御で、先導する屋台はお宮への宮入で祭りが終わります。

↑六社神社屋台

↑若宮神社屋台


↑淡河八幡神社屋台

↑加茂神社布団太鼓 
 小野市久保木住吉神社の久保木屋台は、神輿を先導して宮入した後、再び宮を出て村を巡行します。
 
 ↑宮入した後、再び出発する久保木屋台 
●境内に屋台蔵があるが、宮の外に一端出る屋台
 大宮八幡宮の明石町屋台と岩壺神社の岩宮屋台は境内に屋台蔵がありますが、一度宮を出てから再び境内にもどってきます。しかし、宮に入る行為をして祭がおわることに初めて気がつきました。
↑石段を下り一の鳥居を出て町内を巡行後、再び一の鳥居をくぐって境内に入る明石町屋台。

こうしてみると、宮出=祭の終わりが常識であった管理人ですが、宮入や宮に入ることで祭りが終わる屋台があることに驚きました。しかも、自町もそうだったとは知りませんでした。しかし、明石町屋台はもともと昭和の初め頃までは一の鳥居の外、喫茶ミモザがあったあたり、今の三木ホビーあたりに、屋台蔵があったとのことです。
編集後記
統一教会と政治家の癒着に国民が怒りを抱くのは、幹部と一般信者の関係、つまり、北朝鮮や中国、ロシアの政治家と国民の関係を、日本にも持ち込もうとするのではないかという強い強い疑念からです。
 全国で何年かぶりの祭が開催されます。来賓として参加される議員さんには、徹底的にきれいな体になって参加されることを強く望みます。

396.新居浜太鼓台、「大工」の技(月刊「祭御宅」2022.9月1号)

2022-09-02 00:04:46 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●ド迫力の刺繍で知られる新居浜太鼓台
新居浜太鼓台といえば、何をれんそうするでしょうか? 多くの人が幾重にも重なる布団屋根、四分割された水引、高い位置にかざしられた高欄幕、そして、屋根をおおいかくす布団締めの龍を思い浮かべると思います。また、それらをとりはずした太鼓台同士の鉢合わせを連想する人もいるかもしれません。
新居浜太鼓台の装飾品では、やはり刺繍がもっとも目立ちます。しかし、目立たぬところにも、職人の技がのこっていました。それを新居浜市あかがねミュージアム展示の太鼓台を見ながら、示していきたいと思います。









↑上五枚:新居浜市あかがねミュージアム内の久保田太鼓台

しかし、精細かつド迫力な刺繍のかげに普段は覆い隠され、また、鉢合わせなどではずされても多くの人がめにとめることもない、本体にも、大工の技がのこっていました。

●大正十四年(1925)製作太鼓台の大工の技
写真の太鼓台は、旧の中筋太鼓台で大正十四年(1925)製作のものだそうです。この太鼓台は、太鼓台の内部構造がわかるように、一面だけ刺繍の装飾品をつけててんじしてあります。


横を見ると、赤でかこんだところが高欄幕をとりつける棒、そして、水色でかこんだかなり下側に実際の高欄の架木(ほこぎ)、平桁(ひらけた)、地覆(じふく)の三本の水平部材があります。






そして、地覆の下側を見ると、「水くり」という水を逃がすための隙間をあける加工が施してあります。比較的見られることの多い播州屋台の高欄でも、水くりはないものがよく見られます。
ほとんど陽の目をみることのない新居浜太鼓台の高欄に水くりが残っていることに、大きな驚きを感じました。



編集後記
25年ぶりに管理人は四国の太鼓台どころ新居浜と豊浜を訪れました。25年前は青春十八切符で、時には親切な方に車にのせてもらいつつの旅行で、今回はお気に入りの自家用車での旅行でした。土地勘は残念ながらほとんどなくなっていましたが、太鼓台の美しさは当時のままでした。25年でつけた少しばかりの知識で太鼓台をみると新たな発見があり、若い頃の情熱がよみがえる感じがしました。

395.間違いが!?-教科書の中の祇園祭-(月刊「祭御宅」2022.8月3号)

2022-08-30 20:38:25 | 屋台・だんじり・神輿-子どもへの指導、後継者育成-
●伝統文化への理解??-教科書にのりはじめた祇園祭-
 教科書に祇園祭がよく掲載されるようになってきました。いや、もともと掲載されていたのかもしれませんが、かなり、めだつようになってきました。
とはいえ、教科書を書く人は、社会科教育や道徳科教育の専門家であって、祭の専門家ではありません。なので、教育効果が高まる作りにはなっているものの、祇園祭に参加したり、祇園祭の歴史をちょっとかじった人には「あれ?」とおもわれる間違いが過去にもあったし、現在にもみられます。

●過去 -某社会科教科書の指導書-
 某社会科教科書、小学六年生・歴史分野の指導書(教科書に沿って先生方が授業するための手引き)の記述です。
室町時代ごろから盛大になった山鉾巡行を室町文化のひとつとして位置付けての学習です。祇園祭の画像は2枚ありした。一枚目は山鉾巡行が描かれた洛中洛外図の鶏鉾の本体が前面、長刀鉾の長刀が下から少しでているものです。もう一枚は現在の長刀鉾の写真です。
そして、教師の指導の要点かなにかに「長刀鉾が当時からかわらないことにきづく」といったことが書いてありました
昔の鶏鉾と今の長刀鉾をくらべても、、長刀鉾の変化の様子はわかりません。
もうひとつ、祇園祭の創始伝承を史実として取り上げているところも問題点として指摘したメールをおくりました。
丁寧なメールでのお返事では、指摘に対するお礼の言葉をたまわり、また、真摯に間違いを認める旨のメールをいただきました。おそらく、後に発行されたものでは訂正されていることでしょう。

●現在 -ぎおんまつり・小学2年道徳科-
 小学2年の道徳科「ぎおんまつり」でも間違いがみられました。まずは、辻回しの掛け声は、「ヨーイトセ」ではなく、動かしはじめの「エンヤラヤ」のかけごえとされています。

↑ヨーイトセの声での辻回し北観音山


↑ヨーイトセの声での辻回し放下鉾
次は間違いかどうかはかなりグレーな表現ですが、「壁にぶつかりそう」なのが角に差し掛かったときとなっています。山鉾巡行路の「角」は大きな山鉾が方向転換できるだけの十分なスペースがあり、壁に当たりそうなことはありません。「グレー」としたのは、角に差し掛かる前の狭い直線道路の表現ならば、そういうことまあるので、ギリセーフといったところでしょうか。
これらの間違いについては、指摘のメールは昨今だしたのて、返答までにしばらく時間がかかると思われます。

●訂正すべし、されど責めるべからず
これらの間違いにたいしては、実際に祭りに取り組まれている方のこともあるので、訂正すべきです。とはいえ、教科書発行業務のうち、もっとも事実確認が困難を極めるもののひとつが、これらの歴史民俗的な内容といえるでしょう。間違えてしまうのも、無理はないので、それを笑ったり責めることも術喜多はないと思います。
歴史認識の是非はさておき、日本の義務教育の教科書は子どもが目標に到達できるように、考え抜かれて作られています。教科書をうのみにするのは危険ですが、そのよさは、存分に行かし享受したいものです。

編集後記
 某カルト教団と政治家との繋がりが連日報じられています。国民の関心の高さは、政治家たちがカルト教団幹部と信者のような関係、盲目的な服従の関係、徹底的な搾取被搾取の関係、北朝鮮の総書記と国民のような関係をこの国でも作ろうとしているのではないかという疑念によるものだと思います。


394.朝日に向かう太鼓台(月刊「祭御宅」2022.8月3号)

2022-08-29 21:13:49 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の題材-
●ちょうさ展 於:アクト琴平
ちょうさ展が香川県仲多度郡琴平町で9月15日まで開催されています。





素晴らしい作品を「ボンクラ管理人の解説なしで、写真だけ見る」が理想かもしれません。ですが、それはもっと理想的な現地に足を運んで実現していただければと思います。
ここでは、展示されている旭町太鼓台について見ていきたいと思います。

●旭町太鼓台の四神



旭町太鼓台のかけ布団には、多くの太鼓台や屋台のように四神が配されています。しかし、多くの太鼓台や屋台は図1のように南・朱雀を前面としていますが、旭町太鼓台は図2のように前が、東・青龍となっています。
それはなぜでしょうか?




前面の東・青龍(「旗岡太鼓台」の文字は、疫病退散のメッセージの送り主、太鼓台は旭町太鼓台)

左面・北・玄武

右面・南・朱雀

後面・西・(白)虎

●旭(あさひ)に向かう太鼓台
 旭町太鼓台が東の青龍を前とするのは、旭(あさひ)は東から上ることによると思われます。そして、旭町の町名は、金刀比羅宮内の摂社・旭社に由来すると思われます。

金刀比羅宮内の摂社・旭社

この旭社もまた、旭町太鼓台と同じく東側を向いています。旭社はの屋台は天保八(1837)年に再建されているので、太鼓台が旭社を踏襲したものなのでしょう。

旭社の地図(上が北、googlemapより)


編集後記
この記事は、展示があったからこそできました。情熱的にこの展示を実現されたK氏始め展示の関係者、そして琴平の祭関係者の皆様にお礼申し上げます。






393.コロナ禍中の屋台・だんじり運行の中止、決行の選択とその理由(月刊「祭御宅」2022.8月2号)

2022-08-22 17:31:18 | 新型コロナと祭、民俗
●新型コロナウィルスの大流行下での屋台・山車・だんじり運行
新型コロナが再び流行しています。管理人は家庭の事情でかつては屋台・だんじり運行の決行については強い反対意見を持っていました。しかし、反対すべき家庭の事情が大きく緩和されたことと、新型コロナウィルスによる死亡率がかなり減少してきたことから、屋台、だんじりの運行をしたいという気持ちになっています。
だからといって、絶対に運行すべきだとはいえません。また、個人単位で参加を取り止める人の意思も尊重すべきであると考えます。
ここでは、開催の是非はさておき、運行する地域しない地域の特徴をみていきます。

↑京都市八坂神社祇園祭の鷹山。今年、196年ぶりに復活した。




●運行する地域、しない地域
祭見聞をしていて、屋台や山車、だんじりなどを運行する地域ととりやめる地域それぞれにわかれています。そして、管理人が見聞する限りでは、とりやめる地域と運行する地域は、はっきりとした特徴がみられました。
まず運行を実施する地域は、比較的人が多い地域です。一方運行をとりやめる地域は、人が少ない地域・いわゆる過疎化が進んでいる地域です。
その理由としては、とある運行をとりやめた神社のご神職さんの言葉が印象的でした。
「やりたい気持ちはある。だけど町中ほど病院や検査所があるわけでもない。担い手も恒例の人が多いなかでやるのは怖い」
とのことでした。
過疎化による担い手の高齢化と、医療資源の不足が、運行中止の決断の要因となっているようです。

管理人としては非常に残念でしたが、責めることはできませんでした。



392.粉河のだんじりの前後切り替え(月刊「祭」2022.8月.1号)

2022-08-12 12:23:49 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●粉河寺の中の神社の祭
 毎年、7月の最終土日は粉河寺内の産土神社で祭が行われだんじりが運行します。今年は新型コロナウィルスの流行により、祭でのだんじり運行は中止となりました。
町内の駐車場にだんじりを出し、引き回しも行われました。

↑粉河寺山門この門の向こう側に神社がある

↑粉河寺本堂と左手に見える産土神社の鳥居

産土神社

●据え置き形態から運行形態へのバージョンチェンジ
据え置き形態
祭の一日目は下の写真のように、「もちばな(ひげこ)」をたててかざられるとのことです。もちばなは、もともとの地元の呼び名、ひげこは、折口信夫が書いたことによって広まった呼び名だそうです。灯籠のようなものの上に竹が噴水のように周囲にたれさがっています。

運行形態
 運行時はもちばなははずされ、提灯がともされます。よくみると、岸和田だんじりでみる舵とりようの後ろでこのようなものが前後についており、車輪にブレーキをかけるためのてこは、舵取り用のてこが長い方についています。


実際の運行時は前後の切り替えをてこを前後にもってくることでできる構造になっているようでした。
↑まずは、ブレーキ用のてこの入れ換えのみの映像。


↑こちらは、舵取り用のてこもいれかえる映像。方向転換もともなうときは舵取り用のてこもいれかえるようです。

この記事は、本町だんじり関係者Hさま、産土神社ご神職さま御一同のご厚意で書き上げることができました。御礼申し上げます。

編集後記
昨今話題になっているカルト教団の存在から、宗教団体の非課税をやめるべしという暴論を、カルト教団とのつながりがある輩が多数いた集団の実質ボスが発しました。
必要なのは我々のような祭を行う全うな宗教団体への非課税へのとりやめではありません。必要なのは、カルトとつながりある議員の更迭と、カルトの規制です。






391.カルトと宗教の別(月刊「祭」2022.7月5号)

2022-08-01 00:32:13 | 民俗・信仰・文化-時事・コミュニケイション-
混同される言説
この本の著者が「カルトと宗教は違う」とSNSで言い、昨今の報道などを批判していたので、それに倣います。
この記事では、カルトの見分け方を考えてみました。
もう一つこの統一協会というカルト集団できになることがあるので、記事にします。
ニュースで議員さんがたが、統一協会との癒着をめぐってあれこれニュースがでています。そのときに、言葉にされるのが「政治と宗教との関係」という言葉です。
しかし、今回話題になっているのは、「政治と宗教の関係」ではあません。「政治とカルトとの関係」です。議論の余地はありません。「縁を切れ」です。
しかし、それぞれの議員さんがもっている信仰など、例えばプライベートでお参りして、それをブログに書くなどは許してもいいでしょう。
統一協会などカルト集団と政治との距離、宗教と政治との距離は分けて考えられるべきです。

390.虫干しと試し運行(月刊「祭御宅」2022.7月5号)

2022-07-27 17:29:33 | 新型コロナと祭、民俗
●虫干し(土用干し)
播州の屋台をもつ地域では、よく虫干しがおこなわれています。時期は、多くが新暦7月の半ばから末におこなわれます。
地域によっては新暦8月におこなわれるところもありますが、盆月におこなうべきではないという考えから新暦8月におこなわないところもあります。
ただ、旧暦では盆月は七月になるので、新暦であっても7月はまずいという考え方もできてしまいます。なので、他地域の虫干しの風習にあれこれ言わないほうがよさそうです。
コロナ禍で自粛を余儀なくされたことをふまえ、担ぎかたや屋台の組み立てかたなどを確認するため、そして、失われた楽しい時間をすこしだけでもとりもどすために、虫干しの日に運行が少しおこなわれた地域もあります。
 
●三木市大宮八幡宮新町
屋台の組み方を思い出しながら屋台が組まれました。このときは法被をきていません。




 
午後0時半から、台車で駐車場まで移動し屋台が担がれました。法被に着替えていました。地下足袋の裏が、はがれているなどのトラブルにみまわれている某氏も。。このときは管理人も生まれてはじめて担ぎましたが、かたむいているほうはかなり重かったです。動画はまた後程あげたいと思います。


 
 
●姫路市高丘神社西今宿屋台
私服で、狭間、伊達綱、擬宝珠などはつけずに運行しました。
 


ゆっくりのヨーヤサの練りはかっこよかったです。

 


公民館で彫刻などの写真をとらせていただきました。









388.伝承の再現だんじり-大阪市城東区諏訪神社-(月刊「祭御宅」2022.7月4号)

2022-07-27 11:30:28 | 屋台・だんじり・神輿-装飾の工芸、新調、改修、修復-
令和元(2019)年、諏訪だんじりは新調されたそうです。そこには地元の伝承や文化財への敬意があらわれていました。

●ひとまずだんじり全景
このサイトによると、新調だんじりは本体製作は大下工務店、彫刻は辰美工芸が担当したとのことです。




●獅子ではなくよく見たら、、
 後面の懸魚を見ると見事な獅子、、ではありません。

実は、、、











獅子舞です。
諏訪神社は豊臣時代から伝わるとされる獅子舞がつたわっているとのことです。市の無形民俗文化財に指定されております。だんじりのような華やかな文化いがいのものも大切にされていることがつたわってきます。


●左専道
獅子舞は正面の番号持ちにも彫られています。文字には、「左専道」とあります。

左専道は、もともと左遷道とよばれていたそうです。菅原道真が太宰府に左遷されたときに諏訪神社にたちより岩に腰かけたという伝承がのこっています。
正面懸魚にその場面か彫られています。


そのおりにすわったという腰かけ岩は今も残っています。