桑田が巨人退団を示唆 9.24.サンケイスポーツ(概略)
突然の退団宣言だった。実に8カ月ぶりのHP更新。その中身はあまりに衝撃的だった。
『何より、明日、ジャイアンツのユニホームでマウンドに立つのは、おそらく最後になるだろう。21年間大きく育てていただいた、ジャイアンツに心より感謝している』
題名も桑田の心情を吐露した『お別れ』。21年間にわたりエースナンバー18を背負った男は愛し続けた巨人に対し、球団のHP上という異例の形で“決別”を表明した。
自問と背信の連続だった。若手投手の台頭が目立った今季の巨人。内海、西村、姜ら20歳代前半の投手がチャンスを手にしたのとは対照的に、38歳の桑田はけがもあり、二軍生活を余儀なくされた。
一軍昇格最終テストともいえた8月21日のイースタン・ヤクルト戦は腰痛で二回途中降板。視察に訪れた原監督を失望させた。
昨年は白星なし。背水の陣となる今季、桑田は退路を断ってシーズンに臨んだ。昨オフ、毎年自主トレで訪れる豪州から初めて野球道具一式を日本に持ち帰った。
オーナーを務める少年野球チームの練習にも二軍の練習後に率先して参加した。だが、努力とは裏腹に4月13日の広島戦を最後に一軍では白星なし。通算勝利数は173でストップした。
桑田はこの日午前、川崎市のジャイアンツ球場に姿を見せた。9.24の登板に備え、キャッチボールなどで調整。「最後に有終の美を飾りたい。
勝ち負けより自分の投球をしたい。(過去を)振り返りながら、思いだしながら投げたい」と静かに語った。
巨人退団を決意した桑田だが、一方で通算200勝へのこだわりもある。関係者の話を総合すると、今回のメッセージは現役引退を表明するものではないという。
周囲には現役続行への強い意欲を示しており、巨人との決別は桑田流の“けじめ”とも受け止められる。
ただ、高額年俸とここ3シーズンで4勝のベテラン投手を真の戦力として迎え入れる球団があるのか…。
甲子園のヒーローに始まり、巨人との密約がささやかれたドラフト、借金問題、右ひじ手術からの奇跡の復活劇-。
今後、巨人は全力で慰留に努めるが、現状では波瀾(はらん)万丈の現役生活に別れを告げる可能性が高い。
●原監督は困惑・・・・・「本当なの? そんな話は聞いていない。(意思を伝える)順番が違うだろう」と、この声明が突然のものであったことを示唆した。
清武球団代表は「心情を率直に吐露したものだろう」といいながらも、去就については「これから先のことは白紙。
ウチの大投手で背番号18。彼の将来を含めて検討しないといけない」と結論は保留した。
●野村監督は気遣う
桑田の巨人退団を西武戦(フルスタ宮城)の試合後に聞いた楽天・野村監督は「人望、実績があるし、(球団に)残るんじゃないのか?」
他球団に移籍して現役続行する場合、獲得に乗り出す可能性を問われると「最近見ていないし、力が分からない。
オレの一存では決められないよ」としながらも「彼はプロ魂のかたまりみたいな男。(本当は)ボロボロになるまでやりたいんやろ」と気遣った。
■桑田 真澄(くわた・ますみ)
1968(昭和43)年4月1日、大阪府生まれ、38歳。
PL学園高では1年からエースとして、清原(オリックス)とともに5季連続で甲子園に出場し、史上最多の通算20勝をマークして優勝2度、準優勝2度。
86年ドラフト1位で巨人入団。87年から6年連続で2ケタ勝利。95年には右ひじを手術。1年以上ものリハビリを経て、97年に復帰し10勝を挙げた。
1メートル74、80キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸1億5000万円。背番号18。
●仁志だけが知っていた
大半の選手やコーチが桑田の“退団”について「知らなかった」と驚く中で、べテランの仁志だけが「プライベートでも付き合っていた。
どういう心境かは分かっていた」と落ち着いていた。
今季はともに二軍暮らしが長く、互いの心情が理解できたようで「落ち着いたら今後のこと、思い出話をしたいです」としんみり語った。
<感想>
原監督は、自軍選手の実態を把握していないことが、よく分かる。
桑田・仁志選手は、巨人の生え抜き選手・・・。確かに若手ではない。
巨人での実績を持った選手だが、原監督は彼らを見放していた。
桑田の実績もプライドも無視した監督が、「そんな話聞いてないよ」といった。無能監督を自白したようなモノだと思う。
他球団に温かく見送ってやったら、監督としての評価は高まるだろう。
巨人生え抜きの桑田を、2軍に置いていては、現在活躍し始めた生え抜き選手の,指導はできない。
チーム力を発揮させるには、他球団から入団選手には無理だ。
原監督は、生え抜き選手の中から、高橋と二岡をチームの中心選手に指定した。桑田・仁志を飼い殺しした。
今季のオフ、彼らをどうするかによって、原監督の評価は、上昇するであろう。