サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

わたしの父

2008年03月23日 | 炎症性乳がん
 今日23日は、父の命日だ。だから、どうしても遺しておきたい。

父は胃癌だった。その半年前から、体重が減り、家族に隠れて胃腸薬を飲んでいた。ご飯を食べられないからお酒だけとかの日も多くなっていた。

いよいよ、おかしいと家族も気づき、
病院に連れて行った時はすでに手遅れだった。

胃だけでなく消化器系統はすべて転移して手術不能と検査途中で告げられた。

父は幼い頃、その父(私の祖父)から溺愛されて育てられたので、私たち子どもにも叱ったことがない。とにかく、誉めて、誉めて…他人が見たら、さぞや立派な親バカだったろう。

他人に対してもお調子者なくらい気前よい人だった。

しかし、幼い頃に隣家の火事で焼き出され、祖父の脳溢血で中学卒業してすぐに一家の大黒柱として働く人生だった。それが、バブルがはじけ、商売が立ちゆかなくなり、子どもたちにその金銭的負担をかけるのを気にしていたようだった。
それで、ちょっとずつ胃を悪くしていったのでと思われた。
その父に「手術不能なくらいに悪いから、あと3ヶ月持つか持たないらしい。」なんてとても言えなかった。

ただ、胃潰瘍だと言い、即刻入院。24時間の持続点滴が始まった。(今の私の治療と同じだ)

体力が弱った父は生まれ育った富士吉田に行きたがった。が、本人も「体が辛いので諦める。」と言った。

その時の主治医は最悪だった。「旅行中、何かあって大出血してもしりませんよ!」と家族を脅してきた。

父との最期の旅行にと思っていた私たちも少しびびってしまって、隣県の近場の温泉にしてしまったのが悔やまれる。

父は最期に富士山がみたかったろうに叶えさせてもやれなかった。(昨年5月、私たち家族と母とで生家を探しだした。父が言うように真正面に見える富士山が綺麗だった。)

旅行が大好きだった父。病院に帰る前、スーパー林道ではおどけてみせる最期の父の姿が懐かしい。
告知もせず、ただ弱っていく父をみるのは辛い。しかし、本人は治らない胃潰瘍がガンなのではないかと確信して告別式や私らの事を心配し信頼出来る人には頼んでいたようだった。
その日は、突然だった。母が求職中でハローワークに行くので、母の替わりに私と娘が付き添っていた。
その頃になるとお腹は腹水を何度抜いてもすぐたまっていた。モルヒネを3日前から使いだしたので意識も少し朦朧としていた。私と娘がお腹をさすると「ありがと、ありがと」と言った。
その日、風邪気味で自宅にいたパパを気にして
「早く帰ってやれ。あんちゃん(パパの事)が待っとるぞ。」と言い、私らを無理やり帰した。
しかし、その一時間後に父は意識をなくしてしまった。
駆けつける途中で携帯がなった。確かに鳴った。誰もでないし、履歴にも残っていない。

でも今にして考えれば、父からの知らせだったのかもしれない。「早く来いと…。」


今日は、墓参りにも行けないけど、心の中でずっと想っています。(合掌)

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