左半分闘病記

脳出血の左半身麻痺の闘病記

鬼平犯科帳を歩く⑫ゴール

2010-09-18 17:29:14 | Weblog
皇居を見たりするのと違い、
ゆかりの地を歩くのは、
考えてみれば、何もない、
でも、ニの橋の上から、川面を見ていると、
粂八の船で、鬼平が出てきそうで楽しかったですね。
2万歩ぐらい歩いたようでしたが、
歩数計では12000歩でした。
2時間30分、今回はきつかったですね。
しっかり左足をいじめましたね。
早めにお風呂に入って、
今日歩いてから見ようと楽しみにしていた鬼平のDVDを
かき揚げに冷酒で楽しみましょう。
さすがに富岡八幡に行けなかったので、
今度、欲張らずに、
ゆっくり見に行きましょうね。

鬼平犯科帳を歩く⑪六間掘

2010-09-18 17:22:37 | Weblog
疲れたですが、せっかくだからと探してみましたが、
よくわかりませんでした。
足も重いので、終了としました。
本所周辺でこれだけ大変ですから、
リハビリも装具もない時代ですから、
どうしましょうですね。
まあ、その頃に、話の中にも出てきますが、
脳卒中で助からないですね。

鬼平犯科帳を歩く⑩弥勒寺橋

2010-09-18 17:15:28 | Weblog
清澄通りの反対にやっと見つけました。
何も残っては有りませんがね。
まだ、コンビにもなく、お蕎麦屋さんがあったのですが、
入り口のスロープと段差で、断念しました。
いつも少し食べ物を持ってくるのですが、
自販機で水分補給は出来ましたが、疲れました。

鬼平犯科帳を歩く⑨五間掘

2010-09-18 17:04:25 | Weblog
江戸の頃の交通の中心が水上だったわけで、
六間掘りより、水を引き入れてとなっていますね。
今は、公園になっていますね。
やっと休めると思いましたが、ベンチは、
住んでいる人がいて、空いていませんでした。
弥勒寺橋の跡があるはずですが見つかりません。
その辺に,熊婆のささやがあったのですね。


鬼平犯科帳を歩く⑧弥勒寺

2010-09-18 16:57:44 | Weblog
ここを見たかったのが始まりですが、
弥勒寺は、たくさん話に出てきますね。
戦争の空襲でなくなった方たちが供養されています。
良かったですね。左足はパンパンで、
たどり着きました。
今はひっそりとしていますが、
江戸の頃には、参拝者でにぎわったのでしょう。

鬼平犯科帳を歩く⑦二の橋

2010-09-18 16:47:47 | Weblog
この橋のたもとに軍鶏なべ五鉄があったわけですね。
三つ目、四つ目は知っていましたが、
清澄通りが二つ目とは、隅田川よりの橋の数とは、
知りませんでした。ここもよく、車で通り過ぎた事が有りますが、
景色を見ながら歩き、立川を眺めたのも初めてですね。

鬼平犯科帳を歩く⑥鳥料理かど屋

2010-09-18 16:33:16 | Weblog
文久2年の創業で、池波正太郎さんがひいきにしていて、
あの軍鶏なべ五鉄のモデルだそうです。
ここまで来れば、菊川ー森下間、一駅分歩きましたね。
最初から見るつもりだった、弥勒寺が最後になったのが、
いやですが、ここまでくれば行くしかないでしょう。
道路の勾配を見て、左足が低くなるような側を
歩いています。

鬼平犯科帳を歩く④たてかわ

2010-09-18 16:19:30 | Weblog
まだのこっているのですね、隅田川より引いたたてかわ
横川を右に行けば、深川の粂八の船宿、左に行けば、平蔵の住んだ入江町、桜屋敷と

なるわけですね。この辺は、コンビにもないし、休むところもない、
さっきあった公園で休めばよかったと、
思いながら、今回のコースはきつそうです。

鬼平犯科帳を歩く③榎稲荷神社

2010-09-18 16:07:57 | Weblog
武家屋敷の面影を貴重なお稲荷さんで、
階段が怖かったので、
鳥居の下よりお参りさせていただきました。
この辺は、小さな起伏が多く、
道路の勾配がきつく非常に歩きにくいですね。
低い土地なので、家の部分を高くしているせいか、
たくさんの掘割りと端の名残ですかね。