因果一如

㈱HIRO建築設計、代表者のHIROと申します。ちょっと個人的、ゆるーいけどディープな話題を書いていけたら…と思います!

自分スタイル

2011-10-27 18:31:03 | 日記・エッセイ・コラム

とある外国のジョークでこういうのがあります。

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・・・世界各国の人々を乗せた客船が沈没の危機に面している。

救助に来た小船に乗り移る為、すぐに甲板から海に飛び込めば助かるのだが、いくら乗務員が促しても、誰一人飛び込まない。

で、気転を利かせた乗務員が、お国別に、声を掛けて飛び込ませる。

まず、アメリカ人に。

「飛び込めば、ヒーローになれますよ!」・・・アメリカ人、颯爽と飛び込みました。

次、イタリア人には

「飛び込めば、女にもてますよ!」・・・イタリア人、下心丸出しで、飛び込みました。

また、ドイツ人には

「規則だから、飛び込んでください!」・・・ドイツ人、あわてて、飛び込みました。

最後に、怖がって飛び込まなかった日本人に向け、

「みんな、飛び込んでいますよ!」・・・日本人、周りを見ながら、飛び込みました!

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周りに右へならえ、の日本人を皮肉ったジョークです。

どうやら、日本人は他と違うのが嫌みたいですね。人と同じだと安心する、そういう国民性なのかな?

いやいや、そんな人ばかりではないです!私の場合は人と同じのを好まない傾向もありまして、今思えば結構、場違いなこともありました。

例えば、事務所を始めたころですが、「自分スタイル」を貫こうと、社会人とは似つかわしくないカッコで一時期仕事してました。

ジーパンにTシャツとか、どんな場所でもカジュアル。お客様の打ち合わせもそのカッコのまま。誰がスーツでいようが、関係なく、夏には半ズボン、サンダルで仕事に出かけたり・・・と、まぁ、好き放題。

終いには、誰かに「サンダル履きで仕事するのは、HIROさんと、こち亀の両さんくらい」と言われちゃったりしましたね。

よく考えると、浅はかだったな、と思いますね。(汗)

まぁ、昔ですから!そりゃぁ、今では、ちゃんと空気読んでます。支度も、スーツです。はい、大人ですから!

それに、フォーマルともカジュアルともとれる微妙な会合の時とか、誰かに電話して

「今日、どんなカッコしていきます?」とか聞いちゃいますよ。

お祝いのお包みとかだって、

「いくら包む?」とかも聞きますよ。みんな聞きますよね?

きっと、人と同じがいいのかな?誰かと同じだと安心するんでしょうね。

大人になって、やっと日本人になれた気が・・・日本人の感覚では、みんなに合わせる=大人、なんですね。

う~ん、でも、やっぱどことなく小さくまとまってると感じる気もするんですよね。

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今が正解!

2011-10-26 11:31:21 | インポート

気付けば、社会人になった20歳、11年間勤めていた会社(とあるゼネコンです)を辞めてから11年経ったっていうことに気付きました。

かれこれ、独立してから、会社勤めと同じだけの期間を過ごしたことになるんですね。

まぁ、そもそも、この道22年間も同じような仕事をしているとは夢にも思っていませんでしたが、なにはともあれ、何とか食うに困ることなく、日々過ごしております。

その会社を辞める時、辞めて独立するんだ、という旨を皆に明かした送別会、「是非、頑張ってくれ!」と応援してくれた先輩、また、たいして面倒見てもらった覚えもないのに「辞めたって、食っていけるわけない」と余計なお節介とも思われる、ある意味、親心的な激励?をしてくれた先輩、色々いました。前者の人の中には事務所立ち上げ時に、仕事をいただいたり、なかなか会う機会は無いですが、すごく感謝している方もいます。(ただ、後者の人には未だに会いたいと思ったこともないですが・・・!)

もちろん、独立をするまで、色々面倒見てもらった会社、そして上司にはすごく感謝しておりますし、出先で会社の名前を掲げた工事現場を見ると、未だに懐かしく思い、現場監督さんの中に知っている顔を探したりします。そして今でも順調に業務拡張し続ける会社、自分も一時期その会社に席があったことを誇りに思います。

ただ、反面、退社を決め、同じような業種(工事はしないですが)で飯を食っていこうと決めたからには、大げさにいえば、会社と肩を並べるつもり・・・私が書いた図面の工事見積もりをしてもらうくらいの関係になりたい、と思ってはいましたが、未だにそういうお付き合いをする機会が無いのが残念です。

はたして、当時の決断は、正しかったのかな?などと、考えてみたりします。今、私が置かれている立場は、成功なのか失敗なのか、って。

給料面で言えば、いやらしい話、今は、正直、会社勤めでは貰えない額を稼げていると思います。さほど贅沢はしないまでも、欲しいものは殆ど手に入る、行きたいときには普通に外食もできるし、旅行にも行ける。妻と子供、きっちり養っていくだけの稼ぎは保証されている・・・くらいにはなりました。勤務時間も縛られることなく、日々の仕事の都合で動くので、面倒な上司も居ないし、すごく気楽ではあります。

反面、色々なお客様の都合によって縛られているので、いつでも休みだけれど、いつでも勤務中、のような感覚です。他の会社が忙しい時期には私も忙しかったりするので、結局はウィークデーの休日はなかなか取れませんし、長期の休みも、なかなか取れません。

小さい会社ですから、人に頼ることができないので、私自身が病気をしたり、休みを取れば、仕事が進まないのでお金を貰えない、ってこともあるので、そういう意味での緊張感も日々続いています。

それでも、自分が好きで始めた商売。
「俺はできる!」っていつまでも胸を張っていたいもんですね。

もし、あのとき、会社に残る選択をしていたら・・・のほほんと過ごしていたんでしょうね。

今頃は、設計課長あたりになってたかな・・・毎日、決められた時間に出勤して、上司に言われた図面を毎日書いて・・・あ、考えてみたら、無理ですね!

想像しただけでストレスになりそう!!

やっぱり、会社勤めは向いていないみたいです。今が良かった!

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まだまだだなぁ・・・

2011-10-24 19:58:06 | インポート

先日、母方の伯父が亡くなり、葬儀に参列しました。

伯父は、88歳、とまぁ、世間的には「長生き」の部類での大往生でもありましたが、第一線を退き、隠居生活をされていた割には、比較的参列者も多く、中には涙して参列される方もちらほら・・・あまり、接点は無かった甥である私にとっては、生前の伯父の人徳を垣間見るような気持ちでいました。

で、ふと思ったのが、もし私が今、死んだならば、どれくらい参列してくれるだろうか?

100人?200人、いやもうちょい、いるだろう。

自分の親戚、妻方の親戚、子供の学校関係者、仕事関係、友人・・・関係者なんて大体そんなもんでしょ。思った以上に大したことは無いなぁ。

そもそも、親戚以外、泣いてくれる人なんて居るのかな?、それに、訃報自体は誰が連絡してくれるだろう?

う~ん、残念ながら思った以上に自分には人望が無かったのかもしれませんね・・・

考えてみれば見るほど、自分の浅はかさとか、薄っぺらさに気付き、そもそも、そんなところで人徳を計っている自分を情けなく思うのと同時、普段、人に対して誠実でいるか、とか自己中心的な振る舞いや行いをしていないか、とか改めて見直す機会になりました。

普段の生活でも、仕事でも同じ。一人では何もできない、支えられて生きていることを実感し、人とのつながりを大切に、常に周りを大切に思える人に、今まで以上に、なっていかなければなりませんね。

伯父の祭壇には、常に子や孫に説いてきた、自筆の書が飾ってありました。

「真心」

・・・なるほどな。考えると、深いものがある言葉だな、と実感しました。

残る余生(まだ先はわからないですが)ちょっと心の片隅に置いておきたい言葉です。

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ソーシャルネットワーク

2011-10-19 12:09:49 | インポート

最近は、色んなネットワークを駆使して、情報を共有する世の中になりましたね。

ちょっと前まで、インターネットといっても、掲示板とかチャット、ブログやホームページとかで情報発信してただけだけれど、最近では特定の人たちだけとつながったり、ダイレクトに情報を共有する、っていうのがあたりまえのようです。

必死で「今の若いモン」についていこうとする40代・・・私もその方法として、色々試してみました。

mixi、アメーバ、ツイッター、facebook・・・

他にも、色々なところでマイページを開設して、色々試してみたのですが、どれもなかなか続けることが難しいですね!難しい、というより、はまると、色々やるんですけど、すぐに飽きちゃうんです。

身内(知ってる人に)発信するだけならメールでも電話でもいいし、ネット上の友達(知らない人)には、あまり個人的な話は興味ないだろうし・・・なんて考え始めると、結局、放置しちゃう。

とりあえず、今ブームなのが、facebookだけど、なんだか、これもすぐに飽きちゃいそうな予感。

なんか、上手い利用方法はないものかな・・・

そもそも、このブログの更新頻度じゃ、続くわけもないか!(苦笑)

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またまたしばらくぶりでした

2011-10-12 18:37:33 | ブログ

前回の更新が2月・・・

8ヶ月も前でしたが、その間、いろいろなことがありました。

まずは、3月11日の「地震」。これには触れざるを得ないでしょう。

2時46分、私は普通にPCに向かいFMラジオを聴きながら仕事をしていました。

最初、地震と感じたのは小さい揺れでしたが、みるみる大きな揺れ!立っているのも大変な中、本棚が倒れそうになるのを片手で押さえ、出口確保にドアを開けました。

生放送のラジオでも「落ち着いてください!」を連呼。どれくらいだったか、かなり長く感じました。数年前の新潟中越地震のときにも感じなかったような強く、長い揺れでした。心拍が早まるような、焦りと動揺を押さえ、冷静にどうすべきか考えました。

携帯電話は不通。これはただ事ではないな、と感じ、すぐに家に変えることを決めたのですが、道路が大渋滞。信号機の停電と、踏み切りの遮断機が下りたままになっていて、どこもかしこも大渋滞でした。

それでも、通常の3倍くらいの時間をかけて家に帰ると、子供たちは、学校から強制帰宅させれれていました。

校庭に避難した時のまま、上履きのまま帰宅していました。避難後、校舎内には入らず、ランドセルも学校に置きっぱなしで帰されたようでした。

テレビをつけると、各局すべてが地震関連ニュース、そして津波の映像・・・

時間を追うごとに拡大する被害。津波での数々の犠牲、原発の津波被害による放射能汚染・・・歴史的な災害に日本全土が飲み込まれていきました。

もちろん、それからは私の周りの仕事の状態も色々変わりました。

地震によって、不足した電力のための計画停電、そして節電。また、建築材料の供給不足によっておこった、工事遅延や工事着手の保留・・・そして、何よりも、東北、いや日本全国に渡って大きな悲しみの伝播が生んだ自粛ムード。

テレビでは、一切バラエティーやお笑い、マンガも無く、CMは公共広告機構のみ。仕方ないとは思いつつも、そうした状況が気持ちが沈む要因ともなったのか、私自身も大きな悲しみに暮れました。

被災地の惨状が伝われば伝わるほど、そんな中でも恵まれた環境にいる自分自身を申し訳なく思うと同時、段々と無気力になっていきました。

実は、前の記事の通り、業務の方も2月には拡張ムードだったのですが、地震直後から拡張計画も「見送り」ました。

今後の情勢がどう変わるかも予想できませんでした。

計画停電で、仕事にならない日も幾日かありました。夜の計画停電には、信号機が消灯し、コンビニでさえ真っ暗。信号機が稼動していないので、大きな交差点では警察官の手信号が行われたものの、車は大渋滞。家に帰って、キャンドルの明かりの下で家族で細々と夕飯を食いました。外は、夜の7時、どんなに賑やかな街中でも真っ暗。あんな真っ暗な路地裏は産まれて初めて体験しました。

ガソリン不足も一時期深刻でした。

値段がどうこうよりも、手に入れることが難しく、あまり遠出もできない状態で、近場なら、自転車を多用していました。

そんな状態、あの震災の日から昨日で7ヶ月。

私の住む地域では、いつの間にか平静を取り戻しつつあります。

計画停電は一時期だけで、殆ど苦にならぬ程度で済みました。それでも、車関係のお仕事に携わる人は、ピーク時の電力調整のため、木、金休みだったようですが、この10月から土日休みに戻ったそうです。

建築材料不足もほぼ解消され、地震前の日常を取り戻しつつあります。

私自身、日々仕事に追われ、また以前のように週末は子供の少年野球に追われる日常を過ごすようになりました。

申し訳ないようですが、震災前と何ら変わるところはありません。

被災地では未だ復旧とは程遠いかもしれませんが、遠く離れた我々が頑張って、これからの復興の石杖を築いていかなければ、と改めて思う7ヵ月後でした。

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