因果一如

㈱HIRO建築設計、代表者のHIROと申します。ちょっと個人的、ゆるーいけどディープな話題を書いていけたら…と思います!

職人さんには敬意を払うべき!

2011-11-28 15:30:53 | インポート

実は、私が関係している息子の少年野球についてもブログを書いています。

そっちの方に、先日のナ○ツネ問題について、ちょっとした事を書いたのですが、これって仕事でも、ちょっと関係ありそうなことだな、って思ったのでこちらでも一言書こうと思います。

(知っている人は知っているでしょうが、私のもう一つのブログの記事↓)

http://blogs.yahoo.co.jp/luremanhiro/28431302.html

例えば、飲食店では、店のオーナー(経営者)と厨房に立つ人(職人)どちらが偉いのか?

建築業界で言う、工務店の社長(経営者)と大工さん(職人)、どちらが偉いのか?

・・・答えは簡単。その組織のトップ、経営者ですからね。前者が偉いに決まっています。

ただ、実際に手をかけるのは職人である以上、たとえ経営者であっても、そこに職人さんへの敬意がなければいけない、いやあるべきだと私は思います。

我々の職業である「設計」もある意味、職人的な側面もありますが、基本的にプロジェクトのとっかかり、指揮先導(経営)する立場でもありますから、とかく我々の職業は「先生」なんて呼ばれて、たいそう偉そうであったりします。

事実、偉そうであったり、センスの押し付けであったり、意にそぐわない仕事は断固拒否するような人も居ますが、私はそういうスタンスが大嫌いです。

私が思う、我々の仕事は、あくまでも、お施主様ありきの仕事であり、そのためのお手伝いをしているのだというスタンスだからです。

私のお手伝いの範囲は直接的な工事ではありませんが、知識とセンス、そして助言です。いわゆるコンサルティング業務だけなのです。

直接的な工事をする職人さんには、長年の経験やら、専門知識があります。それには、私たち設計者が真似できないような技術があります。ですから、そういう部分に敬意を払い、聞くことは聞き、助言するだけなんだ、という姿勢でやっていきたいと思います。

私の古くからの友達で建築会社の社長がいます。

以前、彼がちょっと面倒な追加作業を現場で大工さんに発注する際に立ち会ったのですが、その時彼が頼んだ言い方が、ちょっと印象的でした。

「お客さんからの頼まれてさ、ここに、こういうものを俺が造ろうと思うんだけれど、俺だけじゃ技術が無いからさ・・・手伝ってくれない?」って頼んでいました。まぁ、そうは言うものの、もちろん、自分じゃ何もする気はないくせに・・・ね!

大工さんは、笑いながら引き受けてくれました。でも、ある意味、これが仕事の全てですよね。

プロジェクトの主体はお客様。できないことのお手伝いを皆でしている。そういう、気持ちをもって、職人さんと接する事が「敬意」なのではないかな、と思います。

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支えあうこと

2011-11-14 16:27:22 | 日記・エッセイ・コラム

もうじき、今年も終わりです。年賀状等、そろそろ準備しなけりゃいけない時期になりましたね。

今年は、あの大きな災害の影響で、至るところで「支えあい」とか「絆」、といった言葉が繰り返される年となりました。

来年の年賀状の文言も、例年に同じ「おめでとうございます」というより、「今年一年も、皆様と支えあって生きていきたいと思います」とか、皆との絆を再認識する言葉の方がしっくりくる気がしますね。実際、そういう年賀状が増えそうだ、という傾向はあるようです。

さて、絆とか、支えあうとか簡単には言いましたが、勝手なもので、人は「人間」「日本人」「友達」「家族」とか勝手に作った、同じ枠の中ではそういう言葉を口にするかもしれませんが、その枠の規模が大きくなればなるほど、無関心になります。

例えば、昔、イエローモンキーの歌詞でもありましたよね。世界のどこかの飛行機事故。「乗客に日本人は居ませんでした。」と繰り返すテレビ。犠牲者は日本人でなければOKなのか?実は私も、いつもそんなニュースを耳にするたび違和感を覚えていました。でも、自分の家族が、友達が、もしそっち方面に旅行に行ってたら、「日本人が居ない」という情報は重要なソースとなり得るでしょう。

また、例えば幼い命が失われる交通事故。そうしたニュースを聞くたびに、「可哀想」だという意識を共感しているつもりでも、それは、日本の知らないどこかで起こっている事であって、それは知り合いでもなく、ましてや身内でもない。そういうところからは、本当の意味での共感であったり、支えたいと感じる力は生まれないものなのかな、と思います。

ただ、今回の震災では、誰もが支えたいと思い、不幸な境遇に共感し、また支援し続けています。今まであまり、他人事には感心を示さなかった私自身も、些細な事ではありますが、今回はできる限り寄付活動を続けています。

震災後8ヶ月、被災地が復興していく様には、本当に人間の底力を感じます。

もちろん、その源には、人々の些細な募金活動や、直接的なボランティアの力があるわけですが、そういう支援の輪の原動力は、大抵が同じ「日本人」であるというくくり、枠の中だけで発生していることに嬉しく思います。私にとっても犠牲になった人々の中には、自分の親戚や、友達、知り合いも居ません。もっとも、国籍を飛び越えて世界各国から支えられてもらっているのだから、その枠はもっと大きく、「人間」として共感できる事だったのかもしれません。

本当に不幸な災害でした。ただ、その災害自体を、またその災害を乗り越える気持ちを、共感できる枠が大きくなれたことは、人としては良いことなのかな、と思います。

まだ、振り返るには少し早いですが、今年は、色んな意味で、絆、支えあえる輪は少しでも広く持てる自分でいたいと思った年となりました。

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