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ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

なにごとも継続させる難しさ

2008年09月29日 20時44分32秒 | 思うがままに


今日も寒かった。「涼しい」のではなく寒いのだ。高い山では雪が降ったとテレビで報じていた。もう冬が急接近してきているのかもしれない。なんか秋が短いような気がする。

話しはまるで変わるが、「継続は力なり」とよく言われる。こういう言葉があるということは、人間である悲しさからか「継続」させることがなかなか難しいということなのであろう。個人であれ組織であれ、森羅万象ことごとくに継続させることはたしかに難しい。

私のブログにしてもそうだ。最初は、なんとか毎日の日記代わりに書いていきたいと意気込んでいた。それがどうだ、一年経ってみたら、書く日と書かない日がある。最近は、土日は書かない日にするかと自分勝手に決める。それすらも守れない日があるのだ。

水彩画教室に通っている。4年目になるが、まあまあ続いている。一向にうまくならない自分にあきれてはいるが、「他人さまと比べない」と自分自身に誓って続いている状態である。一年目から仲間であった人の中に、年ごとに脱落していく人が何人かいる。「継続」できなかった理由はなんであろうか。嫌になったのか、病気になったのか――教室を止めた理由は知らない。

所属する会で議論が続いている。わが会以外での現象が発端となっての議論である。中には感情的になっている人もいるので、なかなかに難しい。こうした任意団体を10年20年と長生きさせるには、それなりの忍耐とエネルギーが必要である。どう継続させていくか難しい課題である。

もっとも、わが国の政治を見ても、2代続いて政権を放り出している。理由はいろいろあろう。でも、「膏薬と理屈はどこへでもくっつく」と言われるぐらいだ。政治の専門家が担当しても、政権を「継続」させることは難しいようなのである。

こうして見てくると「継続」させることは、何事においても難しいもののようだ。でも、そこに続けようという意思と気力があれば、少しでも続けられるであろう。まずまず、自分の能力に限界があることを悟りながら、一歩、また一歩、のろい歩みを続けていくことが「継続」となってくるのであろう。

がんばらずに、ガンバロウ!

さわやかな一日、歴史に触れる

2008年09月24日 19時27分16秒 | 思うがままに




急に涼しくなった。空には秋らしい雲が静かに舞っている。そういえば北海道では初雪が降ったという。もうそろそろ半袖シャツともお別れか。

地域公民館主催の文化講座を聴きに行ってきた。脳のリフレッシュとトレーニングで、まさしく文化の秋にふさわしい催しであった。地域の歴史と有名寺院とのかかわりについて講義をうけたのである。

先生から「源頼朝が信濃の国中の武士たちに――」などと聴いていると、「なるほどなあ、そんなことがあったのだ」と今更ながらずうっと住んでいる地域の昔々のことがおぼろげながらわかってくる。

ずいぶんと勉強になった。たまにはタイムスリップして、中世や近世に飛んで行っても面白いものだ。知っているようで、知らないことばかりといっても過言でないほどである。その時代の人間の息づかいまで聞こえてくるようだ。これは先生がよかったせいなのかもしれない。

今日に心境は、さわやかな天気、刷毛ではいたような秋の雲が浮かぶ清澄な空といったような気持ちである。2回シリーズであるので、次回は今日の話に出てきた個所の現地見学となる。楽しみなことである。

ソニー「α900」、2460万画素が発売になるんだって――!

2008年09月11日 21時10分55秒 | 思うがままに


またまた、新しいデジタル一眼レフカメラが発売になるというニュースを目にした。ソニーの新製品だ。

2460万画素だという。もう、びっくりだ。デジカメの画素数は、月日の経過とともにアップしていくので、それほど驚くほどのことではないのかもしれない。しかし、いくらアップしたとはいえ、2460万画素とは驚きを通り越す。一眼レフカメラの中では、もっとも多い画素数だとのことである。

私のデジカメが800万画素であるから、もう比較にすらならない。2460万画素という高機能のカメラは、どのように使えばよいのだろうか。たぶん写真の愛好家やカメラの専門家が使うことになるのであろう。

いくら新しい物好きであろうと、いくら高性能であろうとも、予想実売価格が33万円と聞いては手が出ない。というより、それほどの高性能機を必要としていない。800万画素ぐらいが、ちょうど身の丈に合ったデジカメなのかもしれない。

でも、いいなあ。こんな良いカメラが手許にあればいいなあ。このカメラで撮れば、きっとみんな美人に撮れることだろう。バンザイ!(てなことはないよな)

懲りない面々の海外視察旅行

2008年09月05日 21時09分04秒 | 思うがままに


ウェブのニュースを覗いていて見つけたニュース。またかというニュースである。テレビでも報道されたようだ。どうして人間は懲りないのであろうか。見つけたニュースというのは東京都議員の不祥事である。

議員さんたちが海外視察旅行に行って、無駄遣いだの観光旅行だのなどと悪評が高いが、また東京都議員がやり玉に挙がっている。そこに加えて海外視察報告書に他人の論文をまる写ししたところがあるというのだから、開いた口がくさがらない。

今回は民主党の都議員4人でブラジルへ、2006年に視察旅行へ出かけたときの報告書が問題になったのである。自民党員であれ、民主党員であれ、どうしてこうも見識の低い連中が議員になり、無駄な海外旅行に行くのであろうか。

海外旅行がすべて悪いということはないが、議員の視察旅行は往々にして実質は観光旅行というものが多い。国会議員であってもしかりである。

見ていて、いつも思うのだが、多くの議員さんたちは己の利益、自分たちの利益を優先して、国民のため、都民のため、県民のため……などと「民の利益」を最優先する議員さんはまるで少ないようである。そのあげく大事な視察報告書を自分で書かずに、人に書かせたり盗作したりでお茶を濁す。もう言語道断である。

どうしてこうも低俗な人間が議員になるのだろうか。悪い奴ほどよく眠ると言われるが、まだ眠っていてくれた方が性質(たち)はいい。悪い奴ほど眠らずに悪さをする――とでも言い替えたい。

こうした問題が発覚しても、結局はうやむやで終わってしまうのであろう。都の共産党では、旅行に使った765万円を返還しろと要求しているらしいが、どうせ茶番劇でしかあるまい。当事者は、「たまたま見つかってしまい、運が悪かった」とでも思っていることであろう。

今回は東京都で発覚した問題であるが、こうした問題はどこにも内在していよう。人間も生モノ。時間の経過とともに、議員を長くやっていると「心の底から腐ってくる」のであろうか。ダイコンやナスと同等になるとは、嘆かわしいことである。

小さな遭遇――交通には十分気をつけよう!

2008年09月02日 20時30分25秒 | 思うがままに


理髪をやりながらの買い物に出かけた。いつものとおりの自転車である。そこで遭遇(?)した勝手な車にむかついた。今日も蒸し暑かったので、ついついむかむかっとしたのかもしれない。

【その1】
裏道のT字路で右からおばちゃんが運転する車が来た。当然に直進すると思っていたら、方向指示のチャカポカも出さずに左折してきた。こちらは停止して待っていたのに、おばちゃんは助手席の仲間と談笑しながら、私を無視して行ってしまった。

このように方向指示ランプをつけずに急に曲がる車がいる。だいたいおばちゃんが運転している。自分は安全運転しているつもりかもしれないが、方向指示も出さないで曲がるとは言語道断である。たいへん危険である。

【その2】
信号が青になったので渡りはじめた。渡る人もまばらであったので、前の人より少し離れていた私が半分ほど渡ったとき、右折してきた乗用車がスピードを落とさず走ってきて、私のそばで急ブレーキをかけた。たぶん「もたもたしないで速く渡れ」という意思表示であったのかもしれない。

こちらは一瞬びくっとしてしまう。運転手は男性であったが、年齢は不詳。こちらは思わず運転手をにらんでしまった。

【その3】
これは今日のことではないが、歩道に車を止めて堂々と荷物の積み下ろしをしている運転手がいる。歩道を歩く人間がカニの横歩き状態で車の横をすり抜けるのだ。こうした場景は時おり見かける。いくら歩道であっても、人間さまより車のほうが優先ということなのか。

先日も見かけたが、そのときは車椅子の方を降ろしていたので、「ああ、これは当然なことだな」と納得した。店などに荷物の積み下ろしするときには、車道に止めて作業してもらいたいものだ。ただ、交通法規ではどのように定められているのかは、自転車の私にはわからない。


ともあれ、車を運転する方も、道を歩く方も、ましてや自転車に乗る人も、交通事故だけは避けなければならない。「安全」第一である。お互い気をつけたいのである。

思いやり人生――夫婦で楽しむ人生でありたいもの

2008年08月27日 21時16分52秒 | 思うがままに


今日は暑くなった。しばらく涼しかったので、少し暑さが戻ってくると身体に堪える。まだまだ8月であるので、まだ厳しい残暑が続くのであろうか。

新聞折り込みのチラシを見ても、少しずつ「秋」が訪れてきている。民間のカルチャーセンターからの講座案内チラシが入ってきた。開いてみると、ずいぶんと講座数が多い。もう、なんでもありというがごとくに羅列されている。

逆から見れば、それだけ市民からの要望が多様化しているということであろう。高齢者の学ぶ意欲も強いと思われる。それはそうだ、老人が家の中でじっと背中を丸くして、一日中なにもやることがないのであれば、それほど不幸なことはない。

聞いた話だが、夫婦二人きりの生活になったのに、夫婦が事実上破たんしている家も多いという。夫婦で年金も分けて、1階と2階に別居状態で生活している家庭が近所にもあるとその人は言う。なんと気の毒な夫婦であろうか。もはや事実上の離婚のようだ。

これから人生を楽しもうというときに、お互いに「思いやり」が欠けていたのであろうか?老後人生は、自分勝手であってはいけないと話を聞きながら思うことであった。

夫婦で別々な方向に歩いていることも悲しいことだが、己の身体の劣化も悲しいことである。「人と話さない」「歩かない」――などということがないように、頭も体も活性化させていないとボケ老人に直結であろう。今日の私は、朝から2000歩ほどしか歩いていない。どうしてものデスクワークがあったので仕方のない結果である。

私は、仲間と学び合い、友達づくりに「水彩画」と「パソコン」を持っている。知り合いには一週間に5日ぐらい出かけるほどに趣味の多い人もいる。私はそれほど器用人間ではないので、今ぐらいでちょうどよいと思っている。

特に、「水彩画」は予習・復習が思うようにできないので、もうすこし時間を割かなければいけないと思っている。水彩画の先生は、「小さなスケッチでもよいから、毎日描きなさい」と言っているが、慣れてきたこの頃は一週間に一回の授業の間、家で一度も絵筆を持たないことがある。いけないなと自戒しているのだが――。

ともあれ、だんだんと秋深しの季節になっていく。食欲の秋であり、文化の秋であり、そして人生も楽しむ秋でもあるのだ。せっかく秋を迎えるのだから、楽しく愉快に過ごしたいものである。

「金メダル」=それはトップだ。が、人生の金メダルとは?

2008年08月20日 21時24分55秒 | 思うがままに


北京オリンピックは、日々に新聞やテレビを賑わしている。日本のメダル獲得数は、ただ今現在「金メダル 8」「銀 6」「銅 8」という状況だ。中国の「金メダル 43」を筆頭として、日本は8位である。

まあ、メダルの順位はともかくとして、若者たちが熱戦をくりひろげている様子をテレビ観戦していて、こちらまで熱が入ってしまう。つい「ガンバレ!」と声援を送ってしまうのである。

さて話題は違うが、報道によると、キヤノンの小型デジカメが累計で1億台に乗せたそうである。もちろん業界第1位である。キヤノンだけで1億台であるから、業界全体では何億台に、いや何十億台になるのだろうか。すごい勢いで普及してきたことが読み取れる。技術革新のなせる技であると言えようか。

私はキヤノン製品ではないが、デジカメを持っている。今のデジカメで3代目になる。最初のデジカメは150万画素か200万画素だったか、画素数は少なく、図体は少しばかり大振りのカメラであった。2代目が500万画素、現在のものが800万画素と進化してきている。売っている最新のデジカメには、1260万画素という「超」とつくほどの高精細なカメラまで売り出されている。もはや驚きを通り越している。

知り合いのカメラ愛好家は、フィルムカメラはもちろん何台かを持っているが、1千万画素のデジカメも所有している。聞けば、展覧会に出す作品のほとんどを自分でプリントしているとか。時代の変遷には驚くほどだ。技術の進歩は、もはや「しろうと」と「専門家」の垣根をどんどん低くしている。歓迎すべき現象であり、喜ばしいことである。

デジカメはさらに革新するであろう。今はキヤノンが金メダルかもしれないが、先行きどのメーカーが金メダルを奪い返すか興味のあるところである。技術の金メダル競争は、私たちの生活を豊かにしてくれるので、競争は大歓迎というところだ。

金メダルの話題になっているが、「私の金メダル」とはなんだろうと思わず考え込んでしまう。当たり前のことだが、わが人生で本物の金メダルはもちろんのこと金メダル的な華やかな賞をもらったことは一度もない。

なにもない平凡な人生を歩んできたこと、いま健やかに生きていること、私ども夫婦を支えてくれている家族が居ること、大勢の友人知人が居ることなどなど、いわゆる「普通の幸せ」であることこそが人生における「金」であろうと信じているのである。

これは「金」であって、「金メダル」などでは決してないところがミソである。凡人には金メダルは不釣り合いである。目に見えない「金」こそがお似合いなのである。(蛇足!)

孫たちの成長と老人の日常

2008年08月19日 21時25分08秒 | 思うがままに


寒冷前線が本州付近を南下しているとかで、日中は雨であった。ただ、湿度が高く、部屋の中は蒸し蒸しという状態であった。

田舎に来ていた後半の孫たちが帰京して行った。思えばあっと言う間に過ぎ去ってしまったような気持ちだ。わが家の夏は、これで終わったようなものである。

孫たちを日々見ているわけではないので、何か月振りかで会って、その成長ぶりに目を見張ったというのが、今回の印象であった。うれしいことである。

今朝の新聞の生活雑記で、86歳のおじいちゃんが「老いの暮らし」を淡々と語っていた。「わが家は時間が停止したような生活だ」というが、昔からの生活を大事にしながら楽しんでいる様子がよくわかる。

雑記の終りのほうで「日常生活では、インターネットも、パソコン、携帯電話も一切使わない。それでどうということもない」と達観している。さすがと脱帽せざるを得ない。反面、こちらはインターネット、パソコン、携帯電話のない日常生活は考えられない。

人生の生き方楽しみ方は、それこそ人それぞれであるが、86歳のおじいちゃんの「それでどうということもない」という言葉にはずしっと重みを感じる。わが人生で、なにか大事なものを忘れているような気がしてならない。

わが妻は、今、携帯電話をいじくりまわしている。携帯メールの練習をしているのだ。実は、帰郷した息子夫婦が「ばあちゃんへ」と買ってくれたのだ。ついでに私の携帯電話も機種を新しくし妻と同じものにしてくれた。私が教えやすいようにということからであろう。

私たちの老後には、インターネット、パソコン、携帯電話などは重要な位置を占めている。パソコンを中心に据え、今まで以上に自分の世界、自分の視野を広げて社会にかかわっていきたいものである。そして私は、パソコン・ボランティアを続けながら人生を楽しんでいきたいと念願している。

帰省の孫たちを見て想うことども――

2008年08月18日 14時54分21秒 | 思うがままに


日中は真夏と少しも変わりはないけれど、朝方はさわやかな秋の風が流れてきている。ここ2~3日前からコウロギなど秋の虫が鳴き始めている。いつの間にか秋が訪れていたのだ。

親たちと帰省してきた内孫の長男は、来春、高校受験を控えている。そのため勉強が忙しくて、この夏の帰省は無理かなと思っていたが、どうにかお盆には時間が取れるということで、一家で帰ってきた。久しぶりに見る長男の大きくなったこと、イメージと違っていたのでびっくりした。

「お前、大きくなったなあ」が第一声であった。聞けば180センチ近くあるという。今どきの子どもはみんな大きくなるのか。栄養のせいか。

みんなでプールと温泉のあるホテルへ一泊旅行をしたが、大きくなった孫の食べること食べること。夕食はバイキングであったが、軽く3人前は食べたのではなかろうか。もっとも私らもずいぶんと食べたので、人のことは言えないが、育ち盛りはずいぶん食べるなあと、ここでも感心してしまった。

育ち盛りの若者は、3人前や4人前をぺろりと食べるぐらいでなければ大きくなれまい。身体の大きさに比例して、脳ミソもきっと大きく育っているかもしれない。遠く離れた都会に住むから、どこの高校を志望しているか知らないが、きっと志望校を合格するものと確信している。

うちのババさんが孫に向かってお説教していた。「パパやママはもちろん、誰しもが通ってきた道だよ。一生懸命勉強する時は今しかないのだよ。自分のためだからがんばりな」――なかなかいいことを言う。たしかにそのとおりだが、当のご本人からすれば、「なぜ、こんなに勉強しなければいけないのか」と疑問に思っていることであろう。

昔もそうであったのかどうかは知らないが、今の子どもたちに学力をつけさせようとするとお金がかかる。塾へ通わせないと有名校へ(あるいは有力校か)入学させることはできないようだ。うちの孫たちも、その嵐に中(?)に放り込まれているのであろう。

国語だ、数学だ、英語だなどと教科の勉強ばかりでなく、人間としての情操教育に力を入れて欲しいものだと秘かに思っているが、そうした考えはお腹に飲み込んでいる。できれば「本」をいっぱい読んでもらいたいとも思っているが、わが孫たちはどのくらい読んでいるだろうか。一番ちびの孫娘は「本は嫌い」と平気でのたまうている。

いやはや、世間に疎くなってきている「じじ」「ばば」は、先行きどうなるであろうかとハラハラしながら、じっと見守るより仕方がないようだ。

暑さ、熱さ、猛暑――脳も~か?

2008年08月05日 18時45分59秒 | 思うがままに


たいへん暑い日が続いている。昨日は、浜松市で39℃近くまで上昇したようだ。人間の体温より高くなったのではたまらない。脳の中が煮えくり返ってしまいそうだ。そのせいか思考能力がゼロ状態になり、ブログもなかなか書くことができない。

出先で、知り合いから「パソコンのこれこれで困っているのだが、どう直せばよいのか」と質問された。直し方はわかっているのだが、そこに入力する文字を忘れてしまったので、「そのことなら資料を持っているから、メールに添付して送りますよ」と気軽に告げた。

帰ってきて、あるべき資料を探したが見つからない。先日、整理したときにその部分の資料を部屋のどこかに置いたはずだが見当たらないのだ。そんなはずはないと、昨日はまたまた部屋の整理をして探しまくった。結果として、「どこかに置いた資料」はとうとう出てこなかった。

自分で自分の不甲斐なさを嘆くだけであった。まずは、入力文字(それは特殊なファイル名なのだが)を忘れたこと。2番目は、必要資料はあそこにあると思いこんでいたこと。いずれも失念現象である。

どうも失念現象が多くなってきているようだ。猛暑のせいだとばかりはいえない。老人性健忘症か、ボケの始まりか、どちらにしても人生のたそがれ現象であることに間違いはない。

あ、そうそう、また忘れるところだった。知人への回答は、「資料を置き忘れて行方不明のためお渡しできない。インターネットで検索した資料のみお送りする」旨のメールでお許しをいただいた。

本心を言えば、日々に発生する必要な各種データや資料はデータベース化して、すべてをパソコンに取り込んでおかなければいけないと考えてはいたのだ。脳の老化現象を補うために、パソコンの力を借りようというのだ。だが、これも思っているだけで現実化していない。

これからお盆過ぎまでの一番暑い時期に、特別な予定がないのでありがたい。じっくりと汗をかきながら猛暑をやり過ごそうと思っている。少しばかり脳を冷やしておかないといけないな!