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ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

わが家の老梅――、花は?

2009年02月12日 20時49分31秒 | 


今朝、裏道にはうっすらと雪が積もっていた。もちろん日中の暖かさで、すっかり融けて乾いてしまった。日々、ずいぶんと暖かくなってきた。

あちらこちらから花便りが聞こえてくる。わが家のボケの芽も膨らんできている。東京ではボケもきれいに咲き誇っているようだ。

裏の梅の大木を剪定しなければならないのだが、日曜日にしかできない。どうも来週から寒の戻りがあるらしい。寒くて雪が降るようなら剪定もできないし――。なかなかと心が揺れる。

思い出せばもうずいぶん前になるが、梅の剪定をしなければと予定していたが、仕事などの用事が重なりずるずると先延ばしになってしまった。さて、やろうとしたときには、もう花が咲き始めていた。花は咲き蕾がいっぱいの枝を、バカみたいに剪定した苦い経験がある。

そのとき以来、バカなことはやらないが、剪定は毎年しなければならない。やらなければ枝は伸び放題。しっちゃかめっちゃかになってしまう。「桜、伐るバカ。梅、伐らぬバカ」とよく言われるが、梅は剪定しないとよい実が生らないようだ。

ただ、わが家の梅は老木で、もう60年以上は経っているのではなかろうか。だから剪定しても、収穫量は年々少なくなってきているようだ。昨年は5キロぐらいだったろうか。

この老梅は、生っても生らなくてもわが家の守り神みたいな存在だから、ずっと長生きしてもらいたいと願っている。そのためにもきちんと整髪――いや違った、剪定をしてやらなくてはならない。

さあ、わが家の老梅は、どのくらい賑やかに花を咲かせてくれるだろうか。春が急ピッチに近づいているだけに、今から楽しみにしている。まだまだ蕾は固い。

花たちが咲き誇る時は短いが――

2008年06月27日 21時26分46秒 | 


初夏の花でもある立葵
君たちは、次々と花を咲かせていき
最後まで凛として立っている

君たちはきれいだよ
薄紅色、紅、白などの色を
誇らしげに見せて
人々に小さな幸せを与えている
私は好きだなあ

世の中には
気たちと違って
不幸せな花たちもいるのだよ

春先に
人々の目を楽しませてくれた花たち
川端の小さな花畑で咲いていた

その花畑は、今は――

(4月ごろの花畑は――)


荒れ放題になってしまった花畑
花たちはどこへ行ってしまったのか

幸せはいつまでも続かないのだろうか
きれいなものは永遠ではないのだろうか

この世ははかないものなのかもしれない
昨日の続きが今日なのではない
ましてや
今日の続きに明日があるのでもない

立葵は花を咲かせ終われば
葉を茂らせて
来年に備える

一年草の花は
育てる人が居なくなれば
いつかは枯れ果て
そのまま忘れ果てられる

でも、嘆くことはない
花咲いた周りの
土、虫、そうして眺めた人々に
潤いを与えてくれたのだ
どのくらい励みになったことか

みんな、みんな
大きな拍手をしていることだろう
さあ、元気を出そうよ

晩春に咲き始めた藤の花

2008年04月29日 21時25分12秒 | 


カミさんが友達と富山・砺波市のチューリップを観に行った。そこに広がっている何百種類のチューリップ、100万本と言われる数の花々に圧倒され、感激したという。

砺波のチューリップは有名であるが、私は行ったことがない。今日も留守番である。カミさんからの土産話と写真で、チューリップ公園の素晴らしさとチューリップの花々に「お見事」と言いたい。またいつの日にか、この目で観てみたいと思っている。



同じチューリップでも手入れや品種が違うのか、わが家のチューリップはまことに貧弱である。すでに終期を迎えている。じきに散り花となってしまうだろう。でも、陽を浴びてことさら輝きを増しているようである。

砺波のチューリップと違って、大勢の人たちの目に触れないでひっそりと咲き、家人ふたりに惜しまれるだけで散って行く。チューリップたちにも運命みたいなものがあるのかもしれない。でもいいじゃないか、たとえわずかな人数であったとしても、「おお、咲いたねぇ」と喜ばれたことを本望として散っていくことだろう。



春が来たと喜び、つきつぎと咲く多くの種類の花を愛でていたら、もう春の暮れとなってしまった。今までの花々は、黄色やピンク色などカラフルな色の花が多かったが、これからは白色系の花が多くなってこよう。わが家の庭では、白色ではないが藤の花が咲き始めてきた。

花の房はこれからも伸び続け、花をいっぱいに付けてくる。同時に、蜂や蝶、そして蟻たちも寄ってくるであろう。

どこかから聞こえてくるかな?「♪晴れた5月の~~」。さあ、もうすぐ風薫る初夏だよなあ!

車窓から眺めるピンクの花園

2008年04月25日 20時08分45秒 | 

(車窓から撮った桃の花)

用事があって電車に乗った。なぜか昔から汽車や電車に乗ることが好きだった。電車に乗って、ボケっと外を眺めながらガタこと揺られていることがたまらなく好きだったのだ。

今日は残念ながら10分足らずの間、揺られていただけだ。あまりにも短い乗車であったので、ボケっとする間もなかった。そのぶん窓からの景色に目を奪われた。桃畑が断続的に続き、紅い花が咲き誇っていたのである。

ピンクの花の中に、白い梨の花や咲き始めたリンゴの花が入り混じっている。その風情には感動すら覚えるものだ。

またいつの日にか、ガタこと揺られながらボケっと遠くまで乗って行きたいものだ。え、どこまで乗るのかって? それは――ヒ・ミ・ツ だなァ!

花を観ながらの散歩、さわやかな散歩であった

2008年04月22日 21時53分11秒 | 
世の中が騒がしい。善光寺が世界注目の的になっているぐらいだ。北京オリンピック聖火リレーが長野で行われるが、チベット人権問題で世界各地の聖火リレーが荒れている。出発地を善光寺から旧勤福センター跡地へ移したが、26日の聖火リレーは無事に終了するのであろうか。

後期高齢者医療問題は高齢者から、「老人は早く死ねということか」と顰蹙(ひんしゅく)をかっている。また、なんでか殺人は毎日のようにあるので、たいへん怖い。政治も個人もモラルというものが薄くなってきてしまったのであろうか。

今日は気温も上がり、5月末ぐらいの陽気になったようだ。どうりで散歩していてもずいぶんと汗ばんでしまった。でも、気持ちがよい。特に道々に咲いている花々を眺めていれば、騒がしい世の中のことは忘れてしまう。



河川敷に植えられた枝垂れザクラの若木は、きれいに咲かせた花も散り始めていた。川の流れをバックにしたサクラの花は、まだまだ情緒的な風情を残している。



川の流れに沿って歩いて行くと、どなたが世話をしているか知る由もないが、小さな花壇に色とりどりの花が咲いている。眺めながら花と会話をしていると心が洗われるような気分になってくる。



紫木蓮が咲いている、桃が咲いている、カイドウが咲いている――など、今は花も賑やかである。それに比べれば草花は楚々とした風情を醸し出している。踏切を渡りながら、ふっと見ればタンポポが群れて咲いていた。艶やかさはないが、電車の騒音を聞きながら育っているのか、なかなかのたくましささえ感じる。

しばし、世の中の騒がしさを忘れて、花を眺めながらの小さな小さな旅、いや散歩であった。

しっとり春雨は、哀れさをも誘う

2008年04月17日 20時56分10秒 | 
「春雨じゃ、濡れていこう」のセリフではないが、しっとりと春雨が降っている。

    春雨や美しうなるものばかり  千代女

花が咲いて美しい春であるが、雨がしっとりと降り汚れをも洗い流してくれたのか、さらに美しくなる様を千代女は詠った。しかし、現実はみんな美しくはならないで、汚れるものもある。

わが家の玄関先は風の通り道になっているらしく、この時期には花びらが撒かれるように広がる。今日も、杏や桜の花びらが春雨に濡れて、花のじゅうたん(ずいぶんと大げさではあるが)にように貼りついている。

近所のハクモクレンの花びらも道にびっしりと散らかっている。そのお宅では、朝夕に掃いているのだが、今日のように風があり雨が降れば、どっと花びらが舞い落ちてくる(これも大げさな表現か)のだ。特に、モクレンの花びらは始末が悪い。車にひかれた花びらは茶色に変色し、濡れた路面に貼りついてしまい、まことに掃きにくいようだ。

きれいな姿で人々に感動を与えてくれた花たちも、春雨での散り花となっては有情無情のごとくうたかたと消えていく。哀れを誘うものである。ま、ま、ま、少しばかり汚れた面をあげつらうのでは身も蓋もあるまい。美しさを感じようぞ。

春雨は無粋なものではない。しっとり降る雨は、世の中の汚れを洗い流してくれるかのようである。この春雨に花も葉も木々も喜び輝いている。詠おうよ、清々しき春を! ね、千代女さん!

久しぶりの花見――小さな名所(?)にて

2008年04月16日 21時04分43秒 | 
伊那・高遠のコヒガンザクラが満開になったという。この高遠城址公園へ2回花見に訪れたことがあるが、初回はちょうど満開のときであった。公園全体をおおいつくすサクラの花、花、また花で、もう圧倒され放しの体であった。ピンクの満開サクラに感動したことを覚えている。

地元にも隠れたサクラ名所(?)がある。もちろん高遠のように壮大な花の山ではないが、花咲けば人目を引く短き道路である。花咲く川沿いの道を、少し離れたところから望んでみよう。



この桜たちは、某ミソ工場が大事に育てているサクラである。ソメイヨシノザクラと違ってピンクの枝垂れザクラである。見事な花である。



毎年、見事な花を咲かせているが、何年振りかで花と再会することができた。いつ観ても見事なもので、高遠とは違った花の良さが感じられる。

庭や近辺の花たちを眺めてみれば、レンギョや白木蓮は花の命は終わろうとしている。杏の花もずいぶんと散り、サクラは早くも散り花が見えてきた。

時の移ろいには無常を感ずるものだが、散り花があれば咲く花もある。春は、子孫永遠のために賑やかに花たちが咲き誇る。こうした自然の技にはもはや脱帽以外あるまい。

暗い世の中、明るさもいっぱい、花もいっぱい

2008年04月15日 21時31分58秒 | 
この世の中、暗いニュースが多いように感じる。特に今日は、「暗くて、残酷で、落ち込む日」ではないだろうか。新聞にも『「天引き」不安・不満拡大』と大きな見出しで報じている。そう、悪名高き「後期高齢者医療制度」初回の医療保険料が年金から天引きされる日なのである。

幸か不幸か、私はまだ後期高齢者ではない。今朝、年金支給日であるので、いつものように銀行へ行った。今朝だけは、いつもより年寄りの利用者が多かったように見えたのは気のせいだったのであろうか。

総理大臣も厚生労働大臣も謝罪していたが、「説明不足」を詫びていただけだ。「後期高齢者医療制度」、そのものが高齢者への侮辱というものであろう。国の役人たちは無駄遣いばかりしている。自分達はぬくぬくと太り、うまいものを食っている輩が多い。そのくせ、お金が足りないと言って年寄りから踏んだくるというのでは、昔の悪代官よりひどい話だ。

こんな政治ってあるのだろうか? 懐も暗い、将来も暗い。ああ、嫌だ――。

明るい話題にしよう。明るい話題は、なかなか見つからない。その代り、身の回りの明るい花を紹介しよう。

 (花咲く桃畑)

桃の花は淡いピンクで可愛い。ただ、畑の主は脚立に乗って花摘みを始めていた。せっかく、この世の春と咲き始めたのに、まっとうできずに摘まれていく運命の多くの花たち。非情ではあるが、良い実をつけさせるには大事な作業であろう。

いま咲いているときだけでも、微笑んで花に語りかける。「お前さんたちよ、摘まれないように元気で生きよ」――と。

 (風に揺れる菜の花たち)

畑の片隅に菜の花たちが、語り合うかのように風に揺れている。桃のピンク色もよいが、菜の花の黄色も目にやさしく飛び込んでくる。

 (凛と咲いている桜)

桜は満開。今日の桜は、なにかしら凛と咲いているように感じる。もちろん気のせいなのであるが、なにか桜が語りかけているようにも思うのでもある。

とにもかくにも、「暗さ」にばかりに目を向けないで、「明るさ」もいっぱい、それこそいっぱいあるのだから、目を大きく見開いて見定めていこう。摘み取られる桃の花があるだけに、残された花たちがよけいに美しく見えるというものであろう。

桜、満開。気分、まんかい!

2008年04月14日 21時04分44秒 | 


桜の花を観ながらの散歩だ。このあたりの桜は、いつの間にか満開になっている。見事に咲いている。いつ観ても顔がほころぶ。もっとも咲く花を観ながら怒る人はいないだろう。



よそのお宅に咲いていた花たち。桜の種類は知らない。その見事な花に拍手を送りたい。

あちらを向いても、こちらを向いても、水仙、チューリップなどの小さな花たちや、桜のような雄大な花たちに囲まれている。もう、花園の中で泳いでいるよう気持ちだ。

幸せを満喫しながら歩いた。