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ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

すごい雷雨、そして虹

2011年07月11日 18時58分41秒 | 自然の神秘
 虹が天高く

夕刻にすごい雷雨がきた。近所に雷さんが落ちたかもしれない。ピカ! ゴロゴロとくれば、経験豊かなじじいであっても恐怖を感じるほどである。

東日本大震災がおきて4か月目。今夕の雷雨は、震災で亡くなった大勢の方々の涙雨なのだろうか。なかなか復興できないことへのいらだちの涙雨だろうか。亡くなった方々に手を合わせて祈るとともに早くの復興を合わせて祈る以外ない。

雷雨は1~2時間で止んだが、南の空に大きな虹が現れた。久しぶりに見るきれいな虹だった。なにかしらほっとしたひと時であった。

戸隠を知り、地域を知る――文化教養講座に学ぶ

2009年07月29日 15時57分34秒 | 自然の神秘


 戸隠地質化石博物館にて

先週の教室での勉強に引き続いて、今回は現地での学習となった。いや、今日ではなく昨日行ってきたのだ。昨日も雨が心配であったが、帰るころに少し雨がぱらついたぐらいで、暑くもなく学ぶにも歩くにもよい一日であった。

今回の講座は、戸隠山や飯縄山の生い立ちや化石などから歴史を学び――、いうなれば「古きをたずね、新しきを知る」2回にわたる教養講座。訪れた戸隠地質化石博物館では、実際の化石を見学しながら学芸員の先生からいろいろと教わる。

「約2千万年前は、戸隠周辺は海の中でした――」。なるほど! こんな貝や鯨などの化石を見れば納得。でも、あまりにも昔々のことゆえにぴんとこない。

館内に、こどもたちの声もする。小学生であろうか、学校で勉強に来ているのであろう。こうした博物館で体系的に学ぶことが一番理解しやすい。

昔を思い出す。中学校のころであったろうか、理科の実験室の戸棚にいくつかの化石があったように思うが、学んだという記憶があまりない。古きものにあまり興味がないこともあるが、遊び盛りのこどもにとって化石は「ただの石ころ」と同じであったのであろうか?

そのあと近くのお寺さんへより、「鬼女紅葉」の物語を聞く。謡曲にもなっているくらいだから、この辺鄙な「戸隠」と「鬼女紅葉」は、京の都で相当に有名であったのであろうと想像する。

 説明を聞きながら園内を散策

最後に、戸隠森林植物園を尋ねる。この森林植物園には何回も来たことはあるが、気ままに鳥の声を聞き、植物を観て歩いただけであった。今回は植物の先生がご一緒だ。「先生、この花は?」とか、「この植物は?」と、歩きながら受講生からの質問が多かった。先生は、いちいち丁寧に答えていたが、専門家とはいえよくぞ知っているものだと感心する。

 「あれは熊の食事した跡」

園内のところどころに水芭蕉を踏み荒らした跡が見つかった。先生は、「あれは水芭蕉の実を熊が食べた跡」だという。水芭蕉の実が好きなのだとか。「ここは熊の領域ですから、熊が出ても不思議ではない」とも言う。道理で、受講生仲間の何人かはリュックに熊除けの鈴をつけていた。

久しぶりに森林浴をし、森の空気を胸いっぱいに吸うことができた。たいへん気持ちがよい。講座で勉強することはよいことだが、たまにはリラックスして森を歩くのも悪くはないな――と主催者に感謝した一日であった。

自然の神秘――雨あがる

2008年07月27日 21時38分10秒 | 自然の神秘
 (雨あがる)

久しぶりの夕立ち、いや雷雨だ
大地への恵みの雨

 (虹の橋)

虹の橋がかかる
消えないうちに渡ろうか

 (夕焼けに染まる)

空の色は刻々と変わる
いつの間にか夕焼け色に染まる

 (空焼ける)

夕焼けから
天空が燃えだした

 (空燃える)

街が燃えるかのように
炎の色が勢いを増す

 (暮れゆく空)

陽が山に隠れると
燃える空がうす紫に変わっていく
街は静かに暮れていく

自然の神秘ドラマは幕となった