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ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

青天のへきれきと言うべきか!?

2015年11月09日 18時59分32秒 | 健康
 9月末の人間ドックでの内視鏡検査で胃に異物が発見された。日を改めて再び内視鏡検査をした。先生曰く「太い内視鏡を使っての検査」だという。そのため麻酔をしての検査のため、気がついたら終わっていた。

 結果、「早期胃がんを疑うので、内視鏡を使って切除しましょう」となった。一瞬、耳を疑ってしまった。『早期胃がん?』、なんでなんで私が胃がんなんて? とても信じられない。

 私の思惑とは無関係に10月中旬の入院となり、翌日内視鏡で患部が切除された。結果は良好で、2日間の絶食と重湯に近い3分粥から7分粥となり8日目に退院となった。以来、ずっとお粥とやわらかいおかずにつきあっている。いわば病気中であるから、食べる楽しみ、飲む楽しみとは無縁の食事内容であるが、病後を楽しみにしている。でも、よくしたもんで、そんな食事でもだんだんと楽しみになってきている。

 入院中に主治医の先生に、「小さいとはいえ患部を切り取ってもらいましたが、ほかの場所にできるということもあるのですか?」と質問すると、先生はいとも簡単に「当然にありますよ」とご託宣。こちらは内心ガックリだ。

 まあいいか、現実は現実として受け止め、これからどう病気とつきあっていくかだ。当然に「ガンに負けない」という気持ちを持ち、明るく、強い意志で日々を過ごしたいと思っている。もちろん肩ひじを張らないで自然体で生活していきたい。

 来週、病院へ行き切除した患部の検査結果を聞きに行くことになっている。先生から、どのようにご託宣されるやら?

胆のうを摘出ーー親身な病院に感謝!

2014年04月29日 18時55分56秒 | 健康
4月16日に手術した。胆のう摘出手術に合わせてヘルニアの手術もしたので、およそ3時間ほどかかった。全身麻酔であったので、こちらは何も知らず気が付いたら病室のベッドの上だった。

胆のうを摘出したので、胆石は全部取れたようだ。一番大きかったのは約2センチもあった。そのほか大小の石があり、砂状の物は多数だったとのこと。自分ながら、よくもこんなに多くの石どもを長い年月抱えていたものだと思う。

4月25日に無事退院した。入院して思うことは、主治医の先生がとても親切に対応してくれたこと。病棟の看護師のみなさんも親身になって日々対応してもらったことが身に染みた。感謝しても感謝しきれない。ありがたいことだった。

これで身軽になったが、栄養士さんから日々の食事について教えてもらった。これが一番の課題である。一言でいえば、油を少なく、塩を少なく――ということになるが、難問である。妻は今からお手上げ状態である。

もう少しこの世に生かさせてもらいたいので、食事に注意しながら健康増進を図ったいきたいと念願している。

いよいよ石とお別れだ!

2014年04月03日 20時22分39秒 | 健康
人間ドックで受診するたびに指摘された「胆石」。胆石発作が起きて、手術することになった。

今月中旬に入院・手術となるわけだが、早く終わらないかと待ち遠しい日々を過ごしている。

80歳近くなっての全身麻酔での手術は初めてだ。先生に全幅の信頼をおいているので、なんの心配もないが未知の世界にドキドキはしている。

人様からは「私もやったけれど、こんなにピンピンしているよ。なんの心配もないよ」と励まされている。ありがたいことだ。

退院後にまた報告しようと思っている。

鼻大出血、その後――

2009年05月01日 14時03分10秒 | 健康


♪晴れた五月の~~  歌が流れてきそうである。気持ちのよい、よ~く晴れた5月を迎えた。

20代前半のころ、メーデーの祭典に参加したこともあり、歌を唄った記憶もある。今朝、花火が揚がったので、きっと街中ではメーデーの行列もあったことであろう。

たかが鼻血、されど鼻血――。大量に鼻出血し、救急車のお世話になって一週間。まだ、左鼻にはガーゼが詰まったままになっている。そのため気分もあまりよくない。まだ、唾を吐くと少しばかり血の塊が見られるので、見えない鼻の中で出血が続いているのかと思う。

わが家の看護師的な妻は、お医者さんの「安静にしていなさい」という言葉を守って、なにかと行動を制限してくる。妻は「夜になると、また出血するのでは?」とトラウマになって怖いと言う。それはそうであろう、また何時に大量出血されてはたまったものではないだろう。本人だって嫌だ。

仕方がない。病院へ行く7日までは患者面して静かにしていることにする。明日のパソコン相談会にスタッフとして参加する予定でいたが、やむをえない、初めて欠席することとした。また、GW明けには水彩画教室があるのだが、こちらも欠席する予定である。こちらは5年目で2度目の欠席ということになる。

ただ、もうすぐ娘一家5人が来るので、いささか身体に影響が出てくるかなとは思うが、逆に賑やかな孫たちに囲まれて「やまい」なんて忘れ治ってしまうかもしれない。

外のさわやかな天気のように「気分、大快晴」とはいかないが、早く気分がよくなるように静かに養生するほかあるまい~~な!

真夜中に救急車で……

2009年04月25日 16時27分53秒 | 健康


今日未明、救急車で病院へ駆け込んだ。というのは、いつものとおり寝ていたのだが、真夜中の1時半ごろ突然鼻血がどばっと出始め、あわててトイレへ駆け込んだ。

たかが鼻血だ、じきに止まるだろうと思っていたが、タオルが真っ赤になっても鼻から口から血が滴り続ける。これはおかしいと思っていると、心配して起きてきた妻が「救急車で病院へ行こう」と言う。

たしかに尋常ではないので、119番へお願いした。こちらは血が出っぱなしなので、着替えもできずにパジャマに半纏といういでたちで救急車を待つ。しばらく待つうちに到着する。あいかわらず鼻血は出ているので赤くなっているタオルで鼻を包みながら妻とふたりで乗り込んだ。

親切な救急隊員ふたりから状況を聞かれたり、血圧を測定したりしながら、15分ぐらいであろうか病院へ到着。血圧は、突然の出血のせいか200とびっくりするぐらいの高い数値を示していた。

真夜中にも関わらず、病院でも親切に処置してもらった。先生いわく「出血がほとんど止まっているので、どの血管から出血しているのかわからない」ということであったが、出血していた左鼻へガーゼを詰めてもらう。しばらく安静にしていたが、先生から「もう帰っていいですよ」とのことなので、タクシーで帰宅する。

真夜中の病院の救急外来であったが、私らを含めて4組くらいいた。「あれ、こんな時間なのに病院は忙しいのだ」と思いながら、親切な処置を感謝したのであった。

「先生、また血が出たらどうすればよいのですか?」と聞くと、「脱脂綿でも詰めて、30分ほど両鼻をつまんで血が止まるのを待ってください」と言われる。「そんなやり方しかないのかな?」と不審顔をしたためか、さらに先生は「鼻血ですから――」と付け加えた。

とにもかくにも、鼻血の大出血という初経験、救急車で病院へ行くという初経験。ふたつの初経験をした真夜中であった。

救急車も病院の救急外来も共に親切にしてもらったが、できるならば2度と行きたくない、「急な病気」はもうこりごりだという気持ちである。

あれから10数時間経っているが、まだ多少出血している。まあ、たかが鼻血だ、時間が解決してくれるだろうと楽観している。また、月曜日に病院へ行ってガーゼを取り除いてもらうのだが、よく聞いてこようと思っている。

帰りに乗ったタクシーの運転手さんも、過去に同じように鼻血の大量出血を経験した由。「心配することないですよ。鼻血で病院へ行った人を何人も知っているよ」と慰められた。まあ、まあ、ありがとう。私も高齢者であることを忘れずに、元気を出していこうと思っている。

一泊人間ドックが終わった!

2009年04月07日 16時03分35秒 | 健康
 庭先のレンギョとコブシ遠望

春の定例行事である一泊人間ドックを受けてきた。もう30回近く連続で受診してきた恒例行事である。

春とともに「わが身」がどういう状態にあるかを客観的に診断してもらい、一年を元気に過ごそうという人間ドックである。昨日、今日のドックは、結果を一口でいえば、「特に問題になることはありません」というもので、まずまず安心した。

ただ、「胆石」と「胃」の変形については、「毎年人間ドックを受けて、経過を観察してください」というご託宣である。このふたつは今年に発見されたものではなく、もう3年ぐらいになるだろうか。

「胆石」は「石、多数」と診断されているが、「眠っていて悪さをしなければ、そっとそのままにしておきましょう」と先生は診断されている。要は、石が動いて激痛が来た時には手術ということになるらしいが、先生は「あと10年、このまま眠っているかもしれませんね」という。おやおや、あと10年というと死んでいるかもしれないと苦笑いする。

「胃」については、部分に少しばかり膨らんでいる個所があるのだ。昨年の胃カメラのとき、組織を採取して検査してもらったがなんでもなかった。今年の胃カメラで確認すると、昨年とほとんど同じ状態であった。「1年に1回、胃カメラで経過を見ましょう」とのこと。まあ、暴飲暴食はいけないということか。

今回の一泊ドック仲間は9人だった。うち、ひと組はご夫婦であるから、女性はひとりきりであった。例年の状況をみても女性は少ない。ただでも女性は長生きするのだから、人間ドックに入らなくてもよいということか?

そういえば人間ドックの受診料も高い。一泊で約65,000円もする。市から補助が15,000円出るのでありがたいが、それでも5万円を超えてしまう。近所に、年金生活なので受けるのを止めたという人もいる。それぞれ人生への考え方であるから、「よい」とか「悪い」とかは言えない。私は来年も受けなければならない。もう、来年の予約もしてきた。

市の窓口で人間ドックの補助券を受けるとき、隣にいたシニアのおじさんも補助券をもらいに来ていた。そのおじさん、人間ドックを受けるときには「75歳」になるので、補助は「7,500円」になってしまうと窓口で言われていた。なにげなく聞こえてきた話だが、内心、「そんなバカな。後期高齢者になったら、半額の7,500円になってしまうとは、なんか老人をバカにしている」と腹立たしく思った。私も、もうすぐ後期高齢者の仲間入りとなるのだから他人ごとではない。

とにもかくにも今年の一泊人間ドックが終了した。年とともに身体は劣化していくが、自然劣化以外はそれほどの劣化がなくてほっとした。

さあ、今年も元気で生きるぞう!

「一杯の水」のために、ちょっぴりのゼイタクを楽しむ

2008年06月11日 21時33分10秒 | 健康


「水」――たかが「水」、されど「水」。動植物にとって「水」は絶対に必要不可欠なものである。Webを見ていたら、『飲んでいる「ミネラルウォーター」で、あなたの年齢がわかる?』という記事が載っていた。「ミネラルウォーター」に関する調査結果を発表したのだ。

「ミネラルウォーターを飲用・使用しているのはなぜですか?」の質問に対して、「おいしい、飲みやすいから」と回答した人が63%、「水道水はおいしくないから」が39%と続いているという。

わが家でも定期的にミネラルウォーターを購入している。特別に、「飲みやすいから」でもなく、ましてや「水道水はおいしくないから」ではまったくない。飲む理由は、衛生上安全であり、おいしいと思われるからである。

考えてみたら、子どものころは自家用井戸からふんだんに水を汲んで利用していたので、「水を買う」という行為もなかったし、考えもなかった。また、売ってもいなかったように思う。

わが家の井戸水はおいしかった――と断定したいが、本当は「うまい」とか「まずい」という概念すらなかったのだ。わが家の水も他所の水も同じものだと思っていたのだ。ましてや健康を害する変な菌なんて想像すらしていなかった。

時代の変遷と共に、「水」は買うものだと変わってきてしまった。井戸水から水道水に代わってきてしまったのだ。都会に住む息子たち一家は、帰郷した時に「ここの水道水はうまいね」と言いながら水道水を飲んでいる。どうも都会の水道水はまずいようだ。

さて、「ミネラルウォーター」を好んで飲んでいる人たちの銘柄を見ると、年齢層で好みの銘柄が分かれるようだ。60代以降の人が飲んでいる銘柄は、「サントリー天然水<南アルプス>」「六甲のおいしい水」「富士山のバナジウム天然水」などだという。20代などの若者には、海外銘柄のミネラルウォーターが好評のようだ。

「サントリー天然水<南アルプス>」「六甲のおいしい水」などは、わが家で飲んでいる銘柄でもある。どうも世間さまの傾向には逆らっていないようである。でも、残念ながらわが家では銘柄の指名買いではないので、たまたま同じ結果になったのであろう。

わが家では、以前に他県の名水と言われる「水」をわざわざ遠くへ汲みに行き飲んでいたが、あまりにも遠いので最近は汲みに行かなくなってしまった。その名水も、噂に聞けば、菌が出たとか出ないとかで汲めなくなったようでもある。うまいと言われる名水や天然水も生では飲めなくなってきているようだ。

だからといって、「ミネラルウォーター」にこだわっているわけではないが、生で飲む水は「ミネラルウォーター」が一番うまい。焼酎のなどの水割りやお茶・コーヒーなどにも味が少し違うのかなとも思っているが、もはや気分だけであろうか。

安心して飲める水道水があるのだから、特別に「ミネラルウォーター」を飲むことはないのだが、たった「一杯の水」にちょっとばかりのゼイタクを楽しんでいるのである。

自分の老い先を、明るく、楽しく、豊かに~~!

2008年05月23日 21時51分11秒 | 健康


たまたま買った雑誌を見ていたら、『老い先案内人』という連載読み物が載っていた。毎月、精神科医の先生が執筆されているようだが、こちらも老いの身であるので、いささか気になる見出しであった。

今月号の内容は、『人は「自分を必要とする他者」をすべて失ったと感じると、生きてはいけない』ということを具体的に説いていた。社会から、家庭から、自分は必要とされていないと(それが自分勝手の想像であろうと)、もはや孤独になり、深刻なうつ症状になって行くのであろう。

以前にも少しふれたことがあるが、妻の友達のご主人は口癖のように「死にたい」とばかり言っているようだ。医者に通院しているようだから大事にはならないと思っているが、さりとて奥さんは病気のご主人をものすごく心配しており大事にしている。それなのに、何故うつ状態になってしまうのか。「自分を必要とする他者」がいなくなったという妄想が渦巻いているのであろうか。門外漢にはまったく理解できない。

私ら夫婦も後期高齢者にもうすぐというところに位置しているので、時にはふたりで先行きの「死」について話し合うことがある。その結果は、どちらが先に死ぬにしても、残された者の方が可哀想だ、孤独になるので、どう生きるかが難しい――という結論にもならないことで終わってしまう。

夫婦ふたりだけでの生活であっても、ふたりが元気なうちは何の心配もない(妻の友達夫婦は特別な例だと思っている)。その先――片方が先立った後が心配であるが、今から心配しても始まらない。その時は、その時だと開き直る度量が必要であろう。近所でも連れあいに先立たれてひとりだけで生活している方が何人もいる。さらに増えていくだろうと想像している。

こうした一人住まいのお年寄りは、どのように「自分を必要とする他者」を得ているのだろうか。娘や息子、あるいは孫、自分の兄弟姉妹が「他者」なのであろう。私らもそうなって行くだろうと思う。「孤独」と闘いながらも、自分から「死にたい」などという不幸な精神状態にだけはなりたくないと思う。

雑誌の題目にあるような『老い先案内人』が居たとしても、老い先を案内してもらいたくないと反逆的な気持ちが芽生える。精神科医の先生の助言には耳を傾けることはもちろん大事なことである。そうした助言を参考にしながらも、自分の老い先は、自分で決めていきたいのだ。なんとしても、せっかく天から与えられた命であるのだから、自分の意思で自分の行く先を決めるのがベターだと考えている。

老い先を、明るく、楽しく、豊かに――を自分で拓いて行こうぜ、な、ご同輩!

さあ、自転車に乗って出かけようぜ!

2008年05月16日 21時51分42秒 | 健康


ガソリンが高騰しているためか自転車が売れているという。ホームセンターでは例年の2割増しの売れ行きだとか。節約と健康のために自転車で通勤する人が増えているようだ。物価上昇のおりから、そして話題のメタボ対策のためにもたいへんによいことだと思う。

わが家は昔から自転車を愛用している。(影の声:この家の主は運転免許を持っていないのである。だから交通手段は歩くか自転車しかないの。これ内緒の話、シー~ね)。それゆえに昔から健康家族であるのかもしれない。

都会に住む息子は中年になり太り気味だという。メタボと言われているかどうかは知らないが、通勤に自転車を使っているようだ。片道3~40分かけての自転車通勤であるから、だいぶ健康的であるはずだが、どうも計算どおりにはいかないようだ。もちろん雨降りの日は自家用車通勤になっているようである。

昔、私も自転車通勤していたが、一番嫌だったのが台風などの強い風と大雨、それと大雪であった。いくら嫌でもなんとか乗り切ってきたが、30センチ以上に積もった雪にだけはだめだった。だから今でも「30センチ以下の雪なら自転車で行けるよ」と公称している。さあ、今は10センチでも外へは出かけないであろうが――。

一家に一台の車社会から、ひとりに一台の車社会になってきたのだから、たしかに便利な社会に変革してきている。大都会は交通網が発達しているから、車で通勤という人は少数派であろうが、田舎では圧倒的に車での通勤が多い。そのため足腰は都会人間のほうが強く、田舎人間のほうが概して弱い。だからメタボにもなりやすいと言えよう。

自転車通勤人口が少しでも多くなることは喜ばしい傾向である。ただ、以前からの問題であった自転車の違法駐輪が後を絶たないということがある。いくら田舎であっても繁華街へ行けば、自転車の駐輪禁止の看板があってもその前に堂々と駐輪している例をあちこちに見える。このような困った社会現象が、自転車の増加に比例して増えてくるのではないかと心配している。

これから梅雨の季節を迎えるにしても、気候がよくなるので、車を降りて自転車に乗って外に出かけることだと思う。有限資源である石油の消費は抑えられるし、地球温暖化の排気ガスは少なくなるし、お金は節約できるし、なんといっても健康になる――もう良いことづくめでマイナス面はあまり見当たらない。

さあ、みんな、自転車に乗って出かけようぜ!