
テレビで認知症のドキュメントを放映していた。人ごととは思えず見入ってしまった。わが亡母もアルツハイマー病を患い、自分の息子も忘れ、いや何もかも忘れ去ったままに死んでいったのである。ずいぶん前の話であるが――。
「人格の喪失」――これほど悲しいことはない。人間が人間の尊厳を忘れてしまうのだ。患ってしまった姑である病母を長い間、妻は義姉と交代で介護し看病してくれた。なんの見返りもないのに黙々とやってくれたことを決して忘れてはならない。世の中に「病気」は山ほどあるが、アルツハイマー病ほど怖いものはないと思っている。
テレビを観ていると、亡母の初期状態の姿とダブる。テレビの中で、苦闘しながら奥さんを介護している長門裕之氏だが、まだまだ先は長いと想像する。「壮絶介護」と題しているが、病が進行すれば、もっともっと厳しくなり介護は「壮絶」を越してしまうであろう。亡母のときがそうであったのだ。
そうした姿を長い間見ていただけに、アルツハイマー病にだけにはなりたくないと思っている。思っているだけで、この病気が忍び寄ってくるか来ないかは定かではない。この頃、人さまの名前を忘れてしまうことが多い。その後、なんの脈絡もなく「あ、そうだ、あれは○○という名前だったな」と記憶回路がつながることも多いのである。
妻との会話の中で、「あれさ~~」「これさ~~」と言っているとき、内心「あれ、オレもアルツハイマーになってしまったか?」とドキッとすることがある。それほどに恐れおののく病気である。亡母を見ていても、自分が自分でなくなってしまうほど怖いことはない。そんな自分を想像することさえできない。
今は、病気の進行を止める薬があるやに聞く。なんとか完治させる薬はないものか。「アルツハイマー病ですか? あ、すぐ直る病気ですね」と平気で会話できる時代が早く来ることを願うばかりである。