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ゆったり、いそがず、あわてず、おだやかに…

毎日の生活の中で感じる森羅万象を、自分の想いとして文字・写真で表現する。

うし年がスタートした!

2009年01月01日 21時20分10秒 | 思うがままに


おだやかな丑年がスタートした。景気が悪せいか初詣された参拝客は、どこも多かったようである。今年は景気も回復し、平穏な一年であるように祈りたい。

それはそうと「うし年」であるが、その「うし」を「丑」と書いたり、「牛」と書いたりする。どう違うのだろうか。辞書を紐解くと、広辞苑の「丑」の項には、『①十二支の第2。動物では牛に当てる。②北から東へ30度の方角。③昔の時刻の名。今の午前2時ごろ。また、およそ午前1時から3時のあいだの時刻。』とある。
同様に「牛」の項には、『①ウシ目(偶蹄類)ウシ科の一群の哺乳類の総称。体は頑丈で角をもち、尾は細い。草などを食い反芻はんすうする。家畜の牛は、絶滅した野生牛オーロックスを起源とする――云々。』とあった。
この両者を比較しても、まったく違うもののようにも感じる。なんで「丑」を「牛」と言い換えられるのか、学者や物知りでない輩にとっては皆目見当がつかない。わかるのは字が違うことぐらいだ(当たり前だ)。

同じ広辞苑を見ていたら、牛にまつわる諺などが列挙されていた。『牛驚くばかり』『牛つかむばかりの暗がり』『牛に汗す』『牛に経文』『牛に喰らわる』『牛に対して琴を弾ず』『牛にひかれて善光寺参り』(以下略)などなどである。

『牛にひかれて善光寺参り』がやっぱりあった。古くから伝わる話であるから、辞書に載っていても不思議ではあるまい。そうだ、善光寺は今年ご開帳である。善光寺の鐘の音が聴こえる(?)地域に住む人間としては、ご開帳があろうとなかろうと、新年であるので襟を正しながら初詣に行く予定でいる。

その広辞苑には載っていなかったが、『牛と呼び馬と呼ぶ』という諺がある。その大意は、「あなたが私を牛といえば自分を牛と思い、私を馬といえば自分は馬だと思う。事の是非は人の言うにまかせて、自分はそんなことにとやかくかかわらぬことをいう。」のだそうである。

そりゃそうだ、人さまの言動に左右されてこころ揺れ動いているようではどうにもならない。牛は牛であることを忘れずに、今年も「ゆったり」と「いそがず」、「おだやか」に泰然自若として生きていこうと思っている。

そろそろ元日も暮れようとしている。さ~~てと、面白いテレビでも観て初笑いをしようかぁ!

大晦日、今年の『変』は!?

2008年12月31日 19時06分15秒 | 思うがままに


大晦日になってしまった。紅白歌合戦だの格闘技だのとテレビも賑やかである。大晦日だからといって、なにがどうなるというものでもない。昨日の続きであり、明日の元旦に続くだけのことである。

こう書いてくれば、無味乾燥というか情緒もなにもない。「昨日の続きが今日であり、今日の続きが明日である」ということは誰でもが知っている。そうではなくて、人生には季節と共におりおりの区切りが大切であるのだ。いわゆる「ほっと一息入れる」ことが大事な区切りだと思っている。

今年を総称する言葉として『変』が選ばれた。たしかに激変といってもいい一年であった。特に、アメリカの金融不況が大津波となって世界を席巻したことである。そのために派遣社員を筆頭としての首きり旋風が巻き起こっている。年を越せないで困っている人たちが多いことであろう。

わが家の『変』はなんであったろうか。考えてみても、とくに変わったことはなかった。強いて変わったことといえば、ブログを楽天からgooに変えたことぐらいかな。そんな小さな出来事を挙げても十大ニュースを作ることはできない。まことに平々凡々の一年であったように思う。この平々凡々が一番幸せなのかもしれない。感謝しきりである。

そういえばブログの書き込みも、このところずいぶんと疎かになってきてしまった。1月から書き込み数をカウントしてみた。春ごろまではほぼ毎日書いていた。夏に入るころから休みがちになる。11月、12月はともに9日間という書き込み数である。合計すれば、一年間で244日間の書き込みであった。

書き込みの多い少ないに関係なく、いずれの書き込みもわが人生の1ページであることに間違いはない。これからも書き込み数は多くなるのか少なくなるかは不明だが、1ページ1ページを大事にしながら書き込んでいきたいと思っている。

とにもかくにも来年は『変』な年でなく、明るい一年になって欲しいものである。「閻魔さん、来年のことを言ったからと笑わないでください。ぜひ、良い年にしてください。できれば――、いやいやぜひ宝くじを当選させてください。多くはいりません。一千万円ぐらいで結構です。なにぶんお願いします」。

いやはや、閻魔さんも苦笑していることであろう!?

モノ忘れ――寒い一日のアラカルト

2008年12月22日 21時16分33秒 | 思うがままに
 みぞれ交じりの雨降る街

急に寒くなった。雨降りの一日、夕方には雪交じりの雨になってしまった。それでも日中の最高気温は10℃を超えたようだ。

散歩に行こうかなと思っていたが、風が吹き寒かったので止めてしまった。風邪を引いてしまってはなんにもならない。

知り合いの奥さんがパソコンを持って見えた。「年賀状印刷で、四辺フチなし印刷ができない。白いフチどりになってしまう」とのこと。どこをどのように設定すればよいかわからなくなってしまったのだとのこと。

以前に教えたことだが、忘れてしまったのは仕方がない。パソコンを開いて、「ここにチェックを入れればよいのですよ」と教える。

先日も違う方からの電話で、「ワードのツールバーが消えてしまった。どうやって出せばよいのか」と質問された。この方も今日来られた方も初心者ではない。中級者とでもいえそうだが、ごくごく簡単なことでも失念してしまうことがある。簡単なことだけに、どことなく恥ずかしげだが、忘れてしまったことに恥ずかしがることはない。だれにもあり得ることである。

加齢とともに忘れるスピードが速くなってくるように思う。錯覚であってほしいが、どうも事実のようだ。ことの大小はともかくとして、だれにでも降りかかってくる老化現象であろう。

妻がテレビを見ていて、突然「〈ようせい〉と書ける」と聞いてきた。「〈ようせい〉って、森の妖精という――」と確認したらそうだという。「う~ん、どう書いたっけ? あれ忘れちゃった」と降参だ。このところ鉛筆で漢字を書くことをほとんどしないので、いきなり「漢字を書け」と言われると戸惑ってしまう(どうも、言い訳だなあ!)。

答えを聞けば、「うん、うん、そうだ」となるが、忘れてしまったのは事実だ。これからは偉そうに「そんな字ぐらい書けるぞ」とは言えない。素直に聞いたり確認したりすべきだなと反省する。

寒くなってきたので、しばらくは冬眠か!? こんな時期だから、老化現象を少しでも防ぐべく無駄な抵抗を試みるか。少しは書物をヒモ解こう。少しは漢字を書こう。パソコンだって少しは勉強しよう~~ネ!

一年間の凝縮だぁ!――年賀状に想う

2008年12月15日 21時23分35秒 | 思うがままに


郵便局で年賀状の受付が始まった。「いよいよ年末かあ」――と、だんだん年末という実感が湧いてくる。

私はまだ年賀状の作成に手をつけていない。ようやく名簿の整理を始めたばかりだ。年賀状が来た正月中に名簿の整理をしておけばよいのだが、いつの間にか一年近く経ってしまったのだ。

名簿をチェックしていると、この一年間に亡くなった友人や知人、身内が亡くなって喪中の方などが何人も出てきている。特に亡くなった友人は小さい時からの同級生であったので、チェックの手も止まり過去のことがさまざまに思い出される。幽界に足を踏み入れてしまったが、彼はどこまで行っているのだろうか? 悲しい想いである。

そう言えば、新年に届いた年賀状に「80歳になったので、年賀状は出さないことにしました。この年賀状が最後になります」という主旨を書いてきた知りあいがいた。「あそうか、彼は80歳になるのか。それも区切りか、仕方がないな」と思っていた。

遠隔地に居住していたので知らなかったのだが、夏ごろに亡くなっていたという。息子さんからの喪中はがきで知ったのである。彼とは40年以上も年賀状をやり取りしていたのだが、今春の年賀状が最後となってしまったのだ。淋しいことである。

たかが年賀状一枚であるが、それぞれの人々の人生が凝縮されているのである。悲しみもそうであるが、結婚した、子どもが生まれた、入学したなどの喜びも紙面から伝わってくる。

手書きが見直されて、手書き年賀状がまた増えてきているようだが、私はパソコンで作成した年賀状にしている。今年の年賀状はこれからだが、昨年同様と考えている。宛先も、最近はパソコンで印刷しているので、手書きは数行の添え書きしかない。

すべてを手書きにするに越したことはないが、すべてを印刷したとしても、年賀状には出し人の思いを込めたメッセージが込められていると思っている。

特に、高齢者が出す年賀状に「手書きで」は酷であろう。私はそういう高齢者のお手伝いで、文面はもちろん宛先までパソコンで印刷してやっている。添え書きはしているようだが、私の年賀状同様に「一年間の思いを込めた年賀状」だと思っている。

さあ、感慨はそのくらいにして、早く年賀状の名簿整理を終わらせよう~~ぜ!

『変』が今年の漢字だというが――

2008年12月12日 21時16分05秒 | 思うがままに


師走の空にハナミズキの赤い実が映える
春の花から初冬の実へと変わってきた



冷たい川風にさらされながらじっと川面を見つめる鳥
冬鳥たちは気候の変わりにじっと耐える



「あれ、なんの花かな?」
変だなあ、菜の花かな――散歩の途中で、み~つけた!



今、社会には冷たい冷たい風が吹いている
なにが変わろうが、空に向かって伸びあがろう!

世の中、どうもおかしいな、変だぞ!?

2008年12月09日 20時58分08秒 | 思うがままに


世界的な金融不況のせいだろうか、世の中の動きがどうも変になってきたようだ。ここへきて派遣社員の契約打ち切りや来春入社予定者の内定取り消しなど、生活の根幹を揺り動かす話題、若者の未来を大きく影響させる話題などが噴出している。

生産してもモノが売れないという現象がじわじわと広がっているようだ。車の売れ行きが鈍っているようだ。アメリカ自動車産業のビッグ3は経営が大きく揺らいでいる。日本の自動車産業も苦境の闇に入りこんでいるようだ。ソニーも従業員8000人を削減するという。

どの企業も経営が苦しくなってきたから、なりふりかまわず人材の削減に走っているのだろうが、なにかおかしいぞ。苦しいのはわかるが、一番弱い派遣社員の首切り、社員の首切り――どうも安易に走っているのではないかと懸念する。首切り前に、もっとやるべきことがあるのではないだろうか。

テレビなどの報道で、ガソリンが1リットル90円台に下がってきているという。一時、180円台まで値上がりした騒ぎはなんであったのか。それが半値近くまで下がってきたというのだから驚きだ。ガソリンスタンドの経営は大丈夫かと、人ごとながら心配になってしまう。

ガソリンスタンドの価格競争は、ガソリンそのものの売れ行きが鈍ってきているからのようだ。自家用車の使用を減らしているのだろうか。結局は、車が売れない、ガソリンが売れないという悪循環になってきてしまう。

庶民の生活を脅かす、苦しくなってくる実態を、わが国の代議士先生たちは知っているのだろうか。政府はどのような手を打ってくるのだろうか。手早くやってもらわないと国民は困るのだ。もたもたしていれば、それこそ「手遅れ」となってしまう。

金融不況の大きなうねりについては、庶民にはいかんともしようがない。自分の力でできることは、少しでも無駄な出費を抑えることしかない。これでは情緒まで不安定になり、心まで貧しくなりそうである。

雨か雪か、はたまたヤリでも降ってくるのか、変な曇天の世の中であるが、気分だけは爽快に、気持ちは大きくして過ごしたいものである。絶対に、希望の「晴れ間」は見えてくるはずである!

「師走」――時をゆっくり、ゆったりと刻もうぞ!

2008年12月03日 21時00分11秒 | 思うがままに


いよいよ12月だ。締めくくりの「師走」である。テレビや新聞を観れば、きれいに飾り付けされたクリスマスツリーや門松づくりのニュースが流れている。「年末だなあ」と思うが、ここ数日の天気は晴天で暖かくて、とても12月とは思えない。

パソコン相談会で配布する、A4判2ページの情報紙をようやく完成させた。たった2ページのものであるが、記事内容の選択から入力・組版から印刷までひとり仕事であるから、なかなかに面倒だ。まったくの無料奉仕であるが、老化してきている頭脳の活性化への一助と考えているので、面倒ではあるが大事な仕事なのである。

老化する頭脳を少しでも活性化しようと気にしているが、どうも少しずつ衰えてきているような気がする。たとえばキーボードの打ち間違えも少しずつ増えているようだ。そうしたこともそうであるが、一番は「ズク」がなくなってきているのである。まだまだコタツやテレビの番人をするようには衰えていないが、「やろう」という気迫が薄れてきていることは事実だ。

このブログにしても、始めたころは「毎日書く」と決めていた。それが日時の経過とともに、書く日数が空いてきてしまっている。この頃は、一週間に1~2回の書きこみペースである。どうも書く内容を決めるのが面倒になってきているのかもしれない。習っている絵と同じで、毎日のニュースや社会の動き、地域の活動などへの注目――「よく観る」ことを心がけているのだが、なかなかに「書く」という動作までに結びついてこない。

さて、こうした老化への歩みをどう阻止すればよいのか。いや、阻止は無理としても歩みを遅くさせるにはどうすればよいか。難しい課題である。でも、あまり難しく考えないで日々をゆったりと暮らしたいなと思っている。

12月は、すこし速く時を刻んでいるのではあるまいか? 先ほど夕飯を食べたばかりと思ったのに「あれ、また夕飯なの」と錯覚、まったくの錯覚をしてしまう。あ、いやだいやだ、こんな幻覚をおぼえるのも老化への階段なのかもしれないな。

大きく背伸びをして深呼吸する、「錯覚」「幻覚」な~~んていうお化けを吹き飛ばしたぞう!

夜空に飛翔する花たち!

2008年11月23日 21時47分49秒 | 思うがままに


毎年恒例のえびす講煙火大会が、今夜開かれた。寒いので、ここ何年も出かけて花火観賞をしたことがない。ずいぶんとズクなし人間になってしまったものだ。

花火は、わが家からも辛うじて観ることできる。夜空に輝く「花」はすご~くきれいだ。秋の夜空に咲く花たちの写真を撮ろうとカメラを構えた。しかし、ひとつだけ問題があった。カメラはよいのだが、肝心の腕が悪いのだ。どれも満足できるきれいな花火に撮れない。

みんな中途半端な写真であるが、よ~く眺めていると「花火が生きている」と思えてきた。トップの写真は、さしずめ「夜空に輝く飛翔する花」とでも言えようか。



スターマインの出だしを撮ったが、タイミングも悪く「なんだ、この花火は?」と言われてしまいそうだ。でも、この写真は「夜空を駆けて舞う花」とも見える。



そのスターマインもやがて大輪の花を咲かす。なのに大輪は枠外になるし、ピンボケになってしまった。こちらは「花は癒しの彩り」と題することができようか。

寒空の花火大会は、全国的に見ても珍しいのだという。夜空に咲く花たちは私たちを心安らかにしてくれる。赤、橙、黄、青などなどの色たちは、躍動しながら花火を観る人々に幸せを贈ってきているように思える。

えびす講の花火大会であるだけに、不況の風が吹き荒れている社会が少しでも上向いてくれれば幸せだとつくづくに思う。なんとかしてください、恵比寿さま!

行ってみたい「3つ星」レストラン!

2008年11月19日 20時58分50秒 | 思うがままに


『ミッシュランガイド東京2009』が発表された。食通にはたまらない発表だったことであろう。そして当事者であるレストランなどのお店では待ち遠しくも、ドキドキの発表であったことと思う。

そう、昨年も大きな話題になった東京のレストランガイドブックである。今年は、3つ星レストランが9軒、2つ星が36軒、1つ星が128軒だそうだ。食通でもなんでもない田舎者にとってはどうでもよいニュースであるが、「世界中で有名なフランスのミシュランが選んだ一流レストラン」であるだけに話題性をより高めているのだ。

残念なことに(本当は、残念ではないが)、3つ星レストラン9軒の名前を聞いてもまったく知らない。その選ばれた一流の店名は、「石かわ」「かんだ」「カンテサンス」「小十」「ジョエル・ロブション」「すきやばし 次郎」「鮨 水谷」「濱田家」「ロオジエ」という。日本料理4軒、寿司2軒、フランス料理3軒の計9軒である。

そういえば、「濱田家?」――う~~ん、聞いたことがあるような、ないような。「カンテサンス」などというカタカナのお店はまったく聞いたこともない。どこのお店でも高いのだろうな。どちらにしても庶民には敷居が高いし、持っている財布は軽いしで、気軽に食べに行こうというお店ではない。要は、縁の遠いお店ということだろう。

でも、テレビに出ていたお寿司屋さんはランク入りを断ったそうだ。昨年、ランク入りしてから電話は鳴りっぱなし、お客はあふれるというものすごい状態になってしまい、これでは経営方針とも違うし、本来のお客さまに申し訳ないとして、今年は辞退したとのこと。「星」というランク付けはないが、それ以上に立派な一流寿司店であることに間違いない。

ということは3つ星であれ2つ星であれ、こうした一流レストランに庶民も押しかけているということか。う~~ん、よくわからない!?

選定された高級レストランや高級日本料理店には、日常どういう人たちが行っているのだろうか。きっと有名人、金持ちなどの常連が行っているのだろうか。もしかして国家中枢の高級官僚も出入りしているのではあるまいか? しかも財布は他人持ちで―――。いや、いや、こんな妄想はやめよう。なんか卑しくて、貧乏たらしくて、こちらが惨めになる。

夢のまた夢かもしれないが、いつの日にか『ミッシュランガイド東京』という赤い表紙の立派な本から選び出した一流レストランで、折り紙つきのおいしい料理を食べてみたいものだ。どこにしようか、テレビでも有名な2つ星の「菊乃井」にしようか? え? なに、一見(いちげん)さんでも大丈夫かって? さあ、行ったことがないので知~~らない!

アメリカ大統領にオバマ氏が――!

2008年11月06日 21時15分04秒 | 思うがままに


アメリカ大統領にオバマ氏が当選した。史上初の黒人で47歳だという。歴代の大統領を見ても画期的なこと、驚きだ。人種差別の根強いアメリカで黒人が大統領になるとは、新しい時代の幕開けといってもよいのであろう。

肌の色だけで狂おしいほどの差別をするとはなにごとかと思う。肌の白い人間が尊くて、肌の黒い人間が下等だとだれが決めつけるのか。人間の尊厳は中身が重要なことで、見た目ではけっしてない。

ただ、心配なことは、銃社会であるアメリカであるだけに、オバマ氏が狙撃されはしないかと人ごとながら心配している。大統領は「死」と隣り合わせの厳しい仕事だとつくづく思う。

画期的な若い彼が大統領になって、世界が平和に向かってくれることを願う。もちろん日本とアメリカのかかわり方がどう変わってくるのかということも注視すべきことである。

堅い政治の話、アメリカの話であるが、オバマ氏のような若い政治家が大統領になったことにたいへん興奮している。アメリカも変わってきたのだ。アメリカは変わっていくだろう。日本も大きく変わってほしいものだ。

オバマ氏は叫ぶ、何回も叫ぶ、「Yes,we can.=そう、私たちはできる」――と。外国であるアメリカ大統領のメッセージであるが、大きく期待できるような気がする。いや、期待したいのである。