

おだやかな丑年がスタートした。景気が悪せいか初詣された参拝客は、どこも多かったようである。今年は景気も回復し、平穏な一年であるように祈りたい。
それはそうと「うし年」であるが、その「うし」を「丑」と書いたり、「牛」と書いたりする。どう違うのだろうか。辞書を紐解くと、広辞苑の「丑」の項には、『①十二支の第2。動物では牛に当てる。②北から東へ30度の方角。③昔の時刻の名。今の午前2時ごろ。また、およそ午前1時から3時のあいだの時刻。』とある。
同様に「牛」の項には、『①ウシ目(偶蹄類)ウシ科の一群の哺乳類の総称。体は頑丈で角をもち、尾は細い。草などを食い反芻はんすうする。家畜の牛は、絶滅した野生牛オーロックスを起源とする――云々。』とあった。
この両者を比較しても、まったく違うもののようにも感じる。なんで「丑」を「牛」と言い換えられるのか、学者や物知りでない輩にとっては皆目見当がつかない。わかるのは字が違うことぐらいだ(当たり前だ)。
同じ広辞苑を見ていたら、牛にまつわる諺などが列挙されていた。『牛驚くばかり』『牛つかむばかりの暗がり』『牛に汗す』『牛に経文』『牛に喰らわる』『牛に対して琴を弾ず』『牛にひかれて善光寺参り』(以下略)などなどである。
『牛にひかれて善光寺参り』がやっぱりあった。古くから伝わる話であるから、辞書に載っていても不思議ではあるまい。そうだ、善光寺は今年ご開帳である。善光寺の鐘の音が聴こえる(?)地域に住む人間としては、ご開帳があろうとなかろうと、新年であるので襟を正しながら初詣に行く予定でいる。
その広辞苑には載っていなかったが、『牛と呼び馬と呼ぶ』という諺がある。その大意は、「あなたが私を牛といえば自分を牛と思い、私を馬といえば自分は馬だと思う。事の是非は人の言うにまかせて、自分はそんなことにとやかくかかわらぬことをいう。」のだそうである。
そりゃそうだ、人さまの言動に左右されてこころ揺れ動いているようではどうにもならない。牛は牛であることを忘れずに、今年も「ゆったり」と「いそがず」、「おだやか」に泰然自若として生きていこうと思っている。
そろそろ元日も暮れようとしている。さ~~てと、面白いテレビでも観て初笑いをしようかぁ!