あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

秋色の極楽橋をわたりきり  あきオジ

2010-11-29 06:41:17 | 日記
御嶽のつり橋です。
大げさな表現をすれば
橋には人生の向こうとこっちという境界があるような気がしますね。
大げさなことですが
ときどき「この橋途中で陥没したら自分はどうなるのだろう」などと考えてしまいます。
そんなことを意識させるのが橋ですね。

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百方に借りあるごとし秋の暮  友二

(現代俳人の句には、「ゆるみ」が乏しく、笑えそうな内容でも、素直に笑えないし、裏がありそうです。そんな時代なのでしょうか。きっと、技巧的な笑いの中でしか生きられないのかもしれませんね。そんな時代感覚が面白いのですがね。)


秋色の大提灯ぬけ人込みへ  あきオジ  

2010-11-29 06:30:32 | 日記
スカイツリーの遠景です。
スカイツリーが見える撮影スポットを発見するのも
いま、流行っているのでしょうね。
屋形船から夜のスカイツリーを楽しむ。
そんな観光船も出てきそうですね。

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芭蕉野分して盥に雨を聴く夜かな  芭蕉

(最近、芭蕉をとりあげることが少なくなりました。完成度の高さとか視点の面白さ等は抜群ですし、品格もあるのですが、野卑な人間の生命力を感じないからかもしれません。生身の人間の愚痴とかぼやきもときには欲しいですが、求道の姿しか表現しません。美意識でしか見ようとしません。そんな雰囲気が苦手なのですね。きっと、そのうち「やはり芭蕉がいい」に戻ってくるかもしれませんが、今は、距離がありますね。)

東京の空を突き刺す塔になり  あきオジ

2010-11-29 06:17:36 | 日記
空へ若竹のなやみなし  山頭火

木かげは風のある旅人どうし 山頭火

(山頭火の句に「風」「旅人」がよく出てきますが「時雨」も多いですね。「時雨」や「風」は浄化作用をおよぼすものとして使われることが多いのかもしれません。単なる思いつきですが、そんなことを思います。それだけに詩人の感性が溢れているのですね。そうでなくては、ひらがな文字であたりまえ表現をしながら伝わってくるものがある句は作れないでしょう。そんなことを思います。)

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「愛」みんなで納得して使っているようですが
私には分かりません。
山頭火の句にも放哉の句にもそれらしい表現は出てきません。
二人には使わない理由もあるでしょうし
使えない理由もあるのでしょう。

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坂くだる老婆の秋は二人連れ  あきオジ

2010-11-28 18:27:00 | 日記
青梅線沢井駅の急坂
私も上るのが辛く
何度も立ち止まる坂です。
ばあちゃんが「上りもつらいけど、下りもけっこうたいへんなんだ」と
ぶつぶつ言いながら降りてきました。
電車で青梅辺りまで出かけたのでしょうかね。
この土地に嫁いで
そのままずっとこの土地で暮らしているのでしょうかね。

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しぐるるや死なないでゐる  山頭火

雪がふるふる雪見てをれば  山頭火

(この句、お気に入りなのです。雪は見ている人に降る。その不思議が含まれているのですね。見える人に見える。感じる人に感じられる。それってすごい発見ではありませんか。見えない人には見えない。見たくない人には見えない。ということでしょう。)

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日曜日は「鬼平犯科帳」「剣客商売」と続けて見ます。だからどうこうという話ではありませんがこの数年の夜の定番コースです。この時代劇チャンネルでこの番組を楽しんでいる人けっこういるようですね。嬉しいことです。剣客商売の魅力、いろいろありますが、私は音楽がいいと思っています。そうお感じの方いませんか?

石垣に押しつけられし紅葉かな  あきオジ

2010-11-28 18:18:44 | 日記
赤とんぼ夥しさの首塚ありけり  放哉

屋根の落葉をはきをろす事を考へてゐる 放哉

夕べ落葉たいて居る赤い舌出す  放哉

(放哉もいろいろ探して見ると色彩を感じる句を多く作っているのですね。色彩が豊かな句はいいですね。奥行きがあったりすればさらに美しい。陰影を含んだ内容がなくても十分だと思うことがあります。単純な構図でひらがな言葉、それがいいですね。)

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今日は晴佐久昌英の「しみじみ教」を読みたい気分です。
これって「めがね」に出てくる「たそがれ」と近いですね。
お気に入りです。

(「だいじょうぶだよ」女子パウロ会1000円です。)

「しみじみ教」

しみじみ教の教祖は しみじみしている
いつでもどこでも しみじみしている
とってもうれしいことがあると
「とってもうれしいなあ」と しみじみしている
たまらなくつらいことがあると
「たまらなくつらいなあ」と しみじみしている

しみじみ教の教えは「常にしみじみすべし」これだけ
朝目覚めて新たな一日のはじまりに しみじみ
夜寝る前に 過ぎし一日を思ってしみじみ
春夏秋冬 今生かされていることに しみじみ

重い病を患っても 老いて体が動かなくなっても
たとえ死の床にあっても 「しみじみすべし」それだけ

しみじみ教の教祖は 何の役にも立たない
朝から庭のもみじを眺め しみじみお茶を飲んでいるだけ
悩める人の話を聞いても 何も言えず 何もできず
ま どうぞ一服と お茶をいれてるだけの自分にしみじみ
かえって相手になぐさめられたりして ますますしみじみ
もみじ散るこの惑星の小春日和の一期一会に しみじみ

しみじみ教はそれでも いやな思いをしたときに役に立つ
とってもいやな人に出会ったときも
「ああ とってもいやな人だ」と しみじみ
さらにとってもいやな人に出会っても
「いやあ惚れ惚れするほどいやな人だった」と しみじみ
しみじみしているうちに ちょっぴり 惚れてきたりして

しみじみ教には教団も儀礼も戒律もない
もちろん献金もない(そもそもだれも教祖を知らない)
でも しみじみ教の教徒になるのは至って簡単
ひとりしみじみ お茶をすすればいいだけ
しみじみ教は集会を開かない(そもそもお互いをしらない)
この空の下のどこかに仲間がいると互いにしみじみ思うだけ
しみじみ教徒はそれでも ばったり出会ったりする
お互いに妙にしみじみしているからすぐわかる

「もしかしてあなたも」と しみじみ
「いやあいるもんですなあ」と しみじみ
しみじみするばかりで会話は弾まないけれど
お互い喜びも悲しみも察しあって しみじみ

しみじみ教徒はばかにされても しみじみしている
損しても だまされても しみじみしている
ひどく裏切られても「人生だなあ」としみじみ
みんなに見捨てられた人と「人生だねえ」と しみじみ
しみじみ教徒が増えると つまらぬ争いが減り
しみじみ教がはやれば 世界はのんびり平和になるかも

しみじみ教の教祖は今日も しみじみしている
しみじみ教徒のことを案じて しみじみしている
きっといろいろ辛いであろうなあと しみじみ
なんとか耐えて 生き伸びておくれと しみじみ
みな 苦しいときこそ 一層しみじみ道に励んで
しみじみお茶を飲むんだよと しみじみ

しみじみ教の教祖は しかし夢見ている
いつの日か しみじみとこの世の生を終え
みな共にあの世に生まれ出たあかつきには
初のしみじみ大祭をしみじみ開いて しみじみ集い
「いろいろあったけれど いい人生だったねえ」と
みんなで しみじみお茶を飲む日を

しみじみ合掌
       





紅葉散るふわり重なる裏表  あきオジ

2010-11-28 18:09:10 | 日記
御嶽に出かけました。
私のいう御嶽(みたけ)は青梅線にある御嶽です。
秋を楽しむ人がいっぱい出ています。
写真を撮る人
バーベキューを楽しむ人
カヌースラローム
フリークライミング
それぞれですね。

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表札や滅びいそぎて鰯雲 寺山修司

色鉛筆を失くしたる子や秋まつり  寺山修司

(寺山は俳句は20代で止めてしまったようですね。それほど表現したいことがいっぱいあったのでしょう。俳句では表現しきれないイメージがあったのだと思うと、すごいと思いますね。)

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枯葉散る苔むす庭を見送りぬ  あきオジ

2010-11-28 05:47:00 | 日記
北の丸公園の紅葉ですね。
管理しているスタッフが紅葉が落ちた苔の庭をそのままにして通り過ぎました。写真を撮る人への配慮なのだと勝手に解釈していました。
そんなことってあってもいいですね。

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石山の石より白し秋の風  芭蕉

(那谷寺に立ち寄った時の句ですね。北陸の巨大寺院ですね。今は初雪の季節でしょうか。芭蕉の時代と現在とでは気象状況が違いますからね。)

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私には私の秋迎えかた  あきオジ

2010-11-28 05:31:33 | 日記
皇居前から丸の内方面を見ます。
こんな立派な建物のに中でローソンでおにぎりを買い求めて
昼を過ごしているのだなあ・・

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秋風の石を拾う  山頭火

(この句だけでは見えてこないことが日記を読むと、解説書を読むように理解できる。芭蕉の奥の細道も同じです。でも、山頭火の日記は、芭蕉のように後で加除修正するようなことはないだけ、現場の匂いがあって面白い。そんな気がしますが、それでいいのか、分かりません。俳句だけではなく旅の記録等を含めて芭蕉なのでしょうね。そうでなければ、俳句だけで芭蕉を理解する人も大変ですね。ご苦労様です。)

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種子島のロケットセンターで発射を担当している人
どの人も近所にいるおじさんの雰囲気でした。
いいですね。

電車の中で口を開いて寝ているおじさん
第三の山頭火かもしれませんね。

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主なき城門開き紅葉ちる  あきオジ

2010-11-28 05:28:04 | 日記
江戸城もかつての主人はなく
守るべき城は解放され
誰でもはいれるように巨大な門は開いたまま

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冬木の月あかり寝るとする  山頭火

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このごろ身の程知らずなことを思うのです。
家族に囲まれて
だんらんがあるのが、この世の幸せ
それもあるかもしれませんが
人に包まれた不幸もあるし
あっぱくもある。

人の幸せと称するもの形など
ありそうだけれど
ないかもしれない。
分からない。

とりあえず「あるものだ」ということで折り合って語り合いましょう。
そうでないと面倒なことになることもありますからね。

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