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あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

かたまりて黄なる花さく夏野哉  子規

2009-09-09 05:53:52 | 日記
江ノ電

江ノ電の運転席の写真
ブログ内容と関係ないけれど
自分がそのころ出かけた
そんな思い出になればそれでいい。
そんなことなのです。

思い出としてまとめておこう
プリントしよう
整理しておこう
そんな思いはさらさらない。
だから、その日に出会った写真ファイルから
引っぱり出して
これもあったか
それでいいや
そんな軽い感じなのです。

それ以上に興味がないし
過去を必要としない。
できないのです。

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今日の山頭火

たまさかに飲む酒の音さびしかり

とうとう禁酒の掟を破り、酒を飲む。とくとくとくとく・・・・。
酒の音はさみしい。さみしいからまた飲む。飲むと酔う。また、とりわけさみしく感じられるのである。
はじめは、ほろほろ、次ぎにぼろぼろ、そして気づくと泥酔。飲まない日はさみしい。たまさかに飲む酒の音は、もっとさみしい。そのさみしい酒の「音」がよけいにわたしをさそうのである。

酒を飲む人には、響く言葉なのでしょうね。
このような酒癖は、甘えなのでしょうね。
土下座すれば許してくれる。そんな計算もあるし、自分さえしっかりすれば禁酒はできる。そのように見せかけるパフォーマンスもできると思っているのですね。それが芸術家だから許してもられると思っているかどうか分かりません。
それを愛すべき資質というのか、芸術家であるまえに市民であるべき、そんなどうでもいいような議論もあるのでしょうね。
「さみしい」などと耽美的なるところを見ると、どうしようもないアルコール依存症であり、そんな自分を愛しているのですね。

他人事ながら、残酷ですが、私はこんなうたもあるのだな。そう思うのです。

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今日の子規

かたまりて黄なる花さく夏野哉  子規

正統的で真面目でセンスがよくて
現代を感じる。
もう、そうなると多作の子規でまとまってしまいますね。
現代の教養人の俳句遊びも子規の守備範囲内
表現も守備範囲内
後は個人的な俳句を作るときの思いれだけ

だから、山頭火や放哉しかでてこない。

いつも思うのですが
すべては「フォーク」や「ロック」に流れたのです。
俳句や短歌の教養的なものは、それらしい人に受け継がれ
表現形式として満たされない人は音楽に
そして、その歌詞に流れたのです。

今も素晴らしいシンガーソングライターがいますが
歌詞に思いを込める人がさらに登場すると思います。

よく言われますが、孫や子どもの成長、そして過去の記憶
そんなものを季節の花に結び付けても
生け花と同じ。俳句と言うより、こぎれいな趣向なのですね。

でも、それでいいのだ。
ちょっと、言ってみただけ。

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今日の放哉

遠くへ返事して朝の味噌をすって居る 

ひとり言を口に出してしまう山頭火。
口の中に戻してしまう放哉
素人で分からないけれど、そんな資質の差を感じます。
つきあっていたら「やってられない」と思うでしょうね。
それにしても山頭火の俳句仲間
裕福であったり、心やさしい人が多かったのですね。
どこへ転がり込んでも歓迎されている。
あるいはそのように見える。
ときおり、山頭火も「これでいいのか」と反省するが
いっときのこと
これじゃ、面白い歌人であり作品であると思いながら
全部好きになりたい私も現在は、句にも、人柄にも、ためらいがある。
放哉は偏屈で言葉を矯めてしまうので表情が乏しくなるけれど
噛みしめると「なるほど」と思う。

放哉の音のずれを意識した句はいいですね。
この句も「なるほど放哉」という心地よさがありますね。
とにかく放哉の句の静けさは人里の静けさ。
そう、思います。

それにしても時代感覚は違いますね。
人との交流もずいぶん密度が濃いし
もてなしに対する感覚が大きく変わっているのですね。
そうでなかったら、山頭火も旅ができなかった。
思えば一茶もそうだったのですね。

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今日の方代さん

焼酎の酔いのさめつつみておれば障子の桟がたそがれていく

この下の句でどんでん返しをする。
それが方代さんの手法
慣れてしまうと「またか」になってしまい
驚きませんが
この手法ときおり「すべっている」ように思えます。
出だしの爽快さと滑らかさが一気に下の句に進んでいるのでしょう。
でも、方代さんは、多くの場合、下の句を時間をかけて作り変えています。
女性が上着は決まったけれどスカートは
そんな感じで組み合わせを確かめている。
そんなとき、同系色の組み合わせじゃつからない
もっと自分らしさを
そんなことを考えている風景を思い出します。
「期待を裏切り」から「なるほどね」
そんな読者へのサービスのように思えます。

こんなピントはずれもいいじゃありませんか。

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今日の牧水

友はみな兄の如くも思はれて甘えまほしき六月となる

このような短歌が存在した時代があったのですね。
いかにも短歌という形ですが、内容はそれなりという感じですね。
でも、このような柔らかな感性に共感する人も多いのかもしれません。