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鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 蒲生郷・下馬場通

2008-06-14 | 麓-姶良地区

「歩いてみませんか?蒲生郷」観光キャッチフレーズに従って蒲生郷の麓地区を歩いてみた

下馬場通りは蒲生市街地を抜ける幹線道路で八幡馬場につながる。車の往来が激しい

東西に1kmに亘って延びる下馬場沿いに武家門が十棟以上並ぶ

下馬場の武家門。庭木の立派な屋敷が多い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらの門は比較的新しい。新しくとも町の景観に寄与しているのは間違いない

 

石柱の門

 

屋根付き門と石柱門が隣り合う

 

左右に袖屋根付きの立派な門。本屋根の瓦は縦に9枚。他の門は6~7枚

 

屋根が反っている点も蒲生町役場に建つ御仮屋門に似ている

 

 

下馬場から横に入る質屋小路。かつて質屋があったのだろうか

 

質屋小路に建つ白壁の倉

 

下馬場から横に入る路地の風景

 

昭和初期に建てられたかのような洋風の家。庭にビワが実っていた

 

新辻馬場。八幡馬場と平行に南北に走る

 

 

新辻馬場にも麓の面影が色濃く残る。突き当たりは蒲生小学校

 

 

 

右側の石垣は切り出し石積みであるのに対し、左側の石垣は丸石を積んでいる

 

 

新辻馬場の蒲生小近くに建つ武家門。こちらの石垣も丸石積み

 

蒲生は市街地ほぼ全部に当時の町割りが残る。市街地の広い範囲に亘り武家門が点在または連続する

全部で二十棟以上確認

 

(訪問一口メモ)

蒲生郷を散策するには車をくすくす館(町の物産館)に駐車すると良い。散策コースとしては、くすくす館を出て八幡馬場を歩き、蒲生八幡神社へ。その後、武家屋敷通りをそぞろ歩いて、くすくす館へ戻る。くすくす館で地元の産品を忘れずに購入したい。時間があれば、下馬場や新辻馬場を歩くのもよい。幹線道路は車の往来が激しいので横断に気を付けたい。メインストリートの八幡馬場の修景に手を付け、武家屋敷を活用した隠れ家風のレストランもあればよい。


2008 蒲生郷・武家屋敷通

2008-06-14 | 麓-姶良地区

蒲生町役場の裏手に武家屋敷通り(西馬場通り)があります

 

とてもいい雰囲気の通りです。案内標柱は通りの雰囲気作りに一役買っているようだ

 

武家屋敷通りに沿って石垣、生垣、武家門が続く

 

薩摩藩の麓らしい優れた景観をつくっている

 

 

 

西馬場通りの武家門

 

西馬場通りの武家門。比較的新しく見える

 

 

 

西馬場通りは意外と起伏があります

 

西馬場通りの武家門。少し痛みがある

 

 

西馬場通りの黒塗りの武家門。シロアリ対策と関係があるのか

 

武家門の左右に切り出し石4段積みの石垣とその上に犬槇の生垣が配される

 

 

 

 

6段積みの石垣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この通りでは珍しい石柱の門


2008 蒲生郷・八幡通り

2008-06-13 | 麓-姶良地区

蒲生町は日本一の大クスと武家屋敷の町として知られています 

 

蒲生町役場前の八幡通り。突き当りが蒲生八幡神社

役場も含めて八幡通りの景観を修景したい

 

蒲生町役場にある御仮屋門

 

御仮屋門の横に御仮屋犬槇。地頭仮屋の表庭に当時から植えられたもの

 

八幡通りの武家門の数々

 

 

 

こちらは痛みが激しい。町の予算で修復できないものか

 

 

 

 

蒲生八幡神社の参道

 

八幡神社の境内

 

昭和63年、日本一の巨木のクスとして環境庁に認められた。推定樹齢1500年

 

参道脇旧道の五輪塔

 

旧道沿いに高い石垣の旧家がある。高い門柱が倒れずによく立っているなあと関心

(続く)


2008 重富麓・春

2008-05-20 | 麓-姶良地区

新緑の残る重富麓を訪れました

重富小学校。平松城跡

 

 

重富小学校前の馬場に面する武家門

立派な袖屋根を備える堂々とした門構え。脇に潜り戸を備える。保存状態が惜しい

文化財として保護できないか。修理・修景すれば街の景観に大いに寄与すると思われるのだが

重富小学校前の馬場

 

 

 

平松城の野積みの石垣がここまで続く

 

昨年12月に比べると生垣の枝葉もだいぶ成長している様子

 

新緑が映える

 

後方の山は岩剣城跡

 

 重富麓は生垣がよく残っている麓地区である

 

ここの武家門も前回取り上げた

 

重富麓には武家門が3棟しか残っていない。

雨樋と壁を両側から支える棒が見える。所有者の苦労が偲ばれる

 

後方に岩剣城

 

 

 

現在売り地。門は壊さず、次の家主に備えたと思われる


2007 重富麓 02

2007-12-31 | 麓-姶良地区

重富小学校の先に武家門構えの屋敷を見つけた

 

背後の山が借景を作っている

 

重富小学校の近くにたつ平松城の歴史の説明板

 

重富小学校の東側の風景

 

 

重富麓には竹垣も残っている

 

 

旧道にたつ重富麓のバス停

 

重富麓は平松城から広がる麓の屋敷地を囲む生垣が素晴らしい


2007 重富麓 01

2007-12-31 | 麓-姶良地区

重富島津家は越前島津家ともいい、島津御一門家の筆頭格。

重富小学校(平松城址)

越前島津家は島津家初代忠久が承久の乱の勲功賞として越前国守護職に補せられた際、その次男忠綱が守護代に任命されたことに始まるという。島津家分家のなかでも古い歴史をもっている。

姶良町重富の平松城は島津義弘によって築かれたがその後、越前島津家の再興によって同家領主の館となった。平松城一帯に麓と呼ばれる家臣団の屋敷地が整備された。

重富小学校(平松城跡)の前に麓が広がる

 

館の馬場に沿って野積みの石垣とイヌマキの生垣がつづく

 

水平線をつくるイヌマキが見事。奥に重富小学校の正面玄関がある

 

館の馬場に面する武家門

主屋根の瓦の意匠が興味深い

 

武家門の脇にはポンカンがたわわに実っている

 

小学校正門前。ここでも広大な敷地を石垣と生垣、樹木が囲んでいる

 

重富小学校の周囲に石垣が野積みされている

 

 

 

上の写真の馬場から館の馬場を見る。重富麓の特徴がわかる

 

重富麓はどこの屋敷も生垣が綺麗に刈り込まれている

 

正月の準備だろうか、どこの生垣もきれいに刈り込まれている

 

 

(続く)


2007 蒲生麓

2007-10-07 | 麓-姶良地区

帖佐麓から県道42号線を10分ほど車で走ると蒲生町の中心に入る。蒲生麓は比較的規模の大きい武家集落を形成している。

蒲生町の市街地に入ると、県道沿いに風格のある武家門と石垣の家が立ち並んでいる。役場の近くの八幡神社には「蒲生の大クス」として有名な日本一(幹周約24m)の楠木がある。

武家屋敷通り(西馬場通り)の風景。石垣、生垣が特徴

 

 

 


2007 帖佐麓

2007-10-07 | 麓-姶良地区

加治木町の岩原地区から県道42号線(空港道路)に進み、蒲生町へ抜ける途中に帖佐麓がある。

帖佐小学校の角を右に入ると両側に石垣・生垣が並ぶ通りの突き当たりに島津義弘が一時居住した帖佐城の跡がある。

帖佐城跡。現在は石垣のみ残っている