鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2014 樋脇麓・初夏

2014-07-27 | 麓-薩摩川内

6月に樋脇麓を訪れました。

樋脇支所裏手の立派な武家門

風格ある門で左右に四段の切石積と袖屋根を備える。潜り戸も付く。

門の状態は6年前とあまり変わってないように見えるがいつまで維持できるか心配です。

 

こちらも潜り戸付きの立派な構え。

 

前回掲載は6年前(2008年)。

 

帰りに山崎麓を経由して

 

山崎麓の武家門

 


2012 樋脇麓・秋

2012-10-02 | 麓-薩摩川内

4年ぶりに樋脇麓を訪れる。訪れたのは2012年9月。麓の印象はあまりかわっていません。

樋脇小学校近くの武家門。

 

 

地頭仮屋跡の庄内地区。庄内地区は麓らしい風景が残るところ。

 

 

 

 

薩摩川内市は各地の麓に史跡案内板を積極的に設置している自治体である。

ここは地頭仮屋跡の簡単な説明板だけが設置されている。

 

樋脇麓のメインストリート/馬場。

 

 

 

立派な武家門も健在。

 

馬場に沿って麓の特徴である石垣と生垣が続く。右が玉石積で左が平石積である点も面白い。

樋脇支所裏手の風格ある武家門を確認し忘れたのは残念。


2009 東郷麓の風景

2009-10-06 | 麓-薩摩川内

東郷麓の風景

武家門と左右に続く石垣、庭木が素晴らしい。とても絵になる風景です。

 

 

 

 

隣に武家門構えの屋敷が建つ。こちらも道路の奥に位置する。

 

 

 

 

地頭仮屋方面

 

振り返ると二棟の武家門が並んでいる

 

一軒隔てて隣の屋敷跡に木々に隠れるように古い武家門が建っていた

 

今にも崩れそう

表札を見ると医学博士の文字がある。地元の名士なのだろう。

草払いの作業をしていたお父さんに尋ねるとここの持ち主は今は県外にいるらしい。

この先に面白いものがあるよと聞いて少し進んでみると磨崖仏の案内があった。

 

 

磨崖仏は戦国時代に彫られたもので、密教的な阿弥陀信仰によって鶴が岡城主渋谷東郷氏の武運長久と家運隆昌を祈るためになされたものらしい。

初めて訪れた地で素晴らしい武家屋敷に出会うのは、例えば東北地方の田舎を旅して立派な茅葺の民家に突然出会うのに似た感激がある。田圃に茅葺民家は日本を代表する原風景の一つだが武家門構えの屋敷(郷士屋敷)が点在する麓の風景は南九州の原風景の一つであろうと思います。

ここ東郷麓の武家屋敷を四季の移り変わりとともに記録に残していきたいと思う。


2009 東郷麓へ

2009-10-04 | 麓-薩摩川内

9月中旬、薩摩川内市の東郷町を訪れました。

国鉄宮之城線の旧楠元駅。

川内川にかかる鉄橋跡。鉄橋は道路橋として利用されている。

 

 

東郷元帥の祖先の墓が近くにある。東郷元帥は渋谷東郷氏の子孫にあたる

 

東郷渋谷氏の居城、鶴が岡城の関係要図

 

鶴が岡城跡の遠景

鶴が岡城は渋谷東郷氏が鎌倉時代から南北朝・室町・安土桃山時代にかけて340年居城した。

その後宮之城島津家も居城し鶴が岡城の麓に地頭仮屋が置かれた。

 

東郷麓に残る屋敷。忘れられない風景があった。

 

平佐東小学校正門。東郷町へ向かう途中にある。石柱門、石垣が残っていた。

 

東郷町は「文弥節人形浄瑠璃」の伝承地として知られる町です。「文弥節人形浄瑠璃」は江戸時代の参勤交代の際に島津の殿様の随行役をしていた東郷の郷士が郷里の師弟の士気を高めるために上方から文弥節の師匠を連れ帰り広めたものと言われている(薩摩川内市ホームページより)。

(続く)


2009 隈之城麓 02

2009-09-26 | 麓-薩摩川内

国道3号線を渡り、麓地区の東側へ移動する。

石垣の続く空間がここにも残る。

 

 

 

蔦に覆われた柱をみつけた。かろうじて門の形が伺える

 

隈之城小学校近くに残る武家門

 

 

 

 

上の武家門を進んだ先にある武家門。二福城の麓にあたる

 

 

 

 

二福城跡。二福城は鎌倉時代の初期、薩摩郡郡司薩摩太郎忠友の居城であったと伝えている。

その後室町時代になると隈之城は総州島津氏領となった。

 

 

近くに隈之城温泉がある。

参考:隈之城麓(2008.04訪問)、永利麓(2008.04訪問


2009 隈之城麓 01

2009-09-20 | 麓-薩摩川内

隈之城麓(薩摩川内市)の風景を紹介します。

国道3号線沿い。隈之城の武家門は主屋根の左右と前方に小屋根が付くのが多い。

 

漆喰仕上げの壁が綺麗だがブロック塀が惜しい

 

 

国道3号線を脇に入る。こちらも漆喰が綺麗

 

 

石垣と生垣が続く空間がある

 

 

近くに入来院氏の石塔がある

入来院氏は元は相模国の渋谷氏の一族で、室町時代に島津氏と抗争を続けた歴史を持つ。

その後島津氏の家臣として明治を迎えている。

隈之城麓の風景。水路に沿って石垣がつづく。

 

 

 

 

上の門に隣りに並び立つ武家門。古い石橋を渡りアプローチが門へ続く。

 

水路へ降りる階段が設けられている。生活の場の一部として水路が利用されていたのだろう

 

 

(続く)


2009 永利・井上どんの武家門

2009-09-18 | 麓-薩摩川内

9月15日に薩摩川内市を訪れた。車で通った時に気になっていた武家門があった。

 

永利町の県道沿いに建つ武家門。永利麓(永利城跡)からは少し離れている。

写真を撮っていたら隣のお店からご主人が出てきて色々とお話を伺うことができた。

井上どんの武家屋敷があった場所で道路拡張の際に屋敷は取り壊された。

しかし武家門は自治会の要望で残し保存することになったとのこと。

現在はお隣の家が管理されている

 

 

 

 

面前の道路は山田馬場。薩摩川内市は市内に在る史跡や文化財の保護整備に力を入れている印象を受ける。

とても親切なご主人で隣の宮崎町(上の道路を隈之城へ走る途中の町)にも○○どんの立派な武家屋敷と門が

あるよと教えてくれた。宮崎町に向かったものの目指す屋敷は結局見付からず。次の機会に訪れたい。