鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 東京.・三田散歩

2009-07-26 | 東京

三田のオーストラリア大使館からイタリア大使館にかけて歩きました

オーストラリア大使館の古い門柱

蜂須賀公爵家の屋敷跡。敷地に江戸時代の古い日本庭園が残っている

 

オーストラリア大使館と並んで建つ三井倶楽部本館

明治大正期に建てられた代表的な洋館の一つ。島津佐土原藩の屋敷跡に三井家の迎賓館として建てられた

 

オーストラリア大使館の正門前付近。遠くに麻布のタワーマンションが見える

 

 

近くのマンション。石垣や塀はそのまま資産価値として残す。風景になじむ点がよい

 

三田のイタリア大使館の脇をくだった

 

イタリア大使館の正門

イタリア大使館内は樹木が鬱蒼と茂っている。旧松方正義(公爵)邸

江戸時代は松平隠岐守の中屋敷があり、「忠臣蔵」の赤穂義士10名がこの庭で自害したという歴史をもつ

三田界隈を歩くと江戸から明治にかけて歴史の舞台となった場所が多くある

当時を感じさせてくれる場所が多く残っています。薩摩の偉人が住んだ屋敷跡を巡るのも面白そう


2009 東京・高輪~三田散歩

2009-07-26 | 東京

先月の東京出張の翌朝、高輪から三田にかけて散歩した

ホテルからの眺め

中央の洋館は島津公爵邸(現、清泉女子大本館)。一帯を通称、島津山と呼ぶ

華族の屋敷はずいぶん立派だったんですね

高輪はお寺が実に多い

 

 

 

高輪から三田にかけてさまざまなマンションが見られます

高輪にある普通のマンションだが入口の雰囲気がとてもよい

 

三田の聖坂にある秀和レジデンス。南欧風の佇まいとエントランスの鉄門に特徴がある

 

三田伊皿子の東急アパートメント

東京タワーが建つ前に建てられたという東急アパートメントの本館は2009年3月に歴史を閉じたそうだ

 

三田綱町のパークマンション

 

三田綱町パークマンションは昭和46年に建てられた日本初の高層マンション

三井不動産が昭和46年、満を持して発表した。綱町三井倶楽部の広大な敷地内に建てられる

当時の販売価格の高さも評判を呼んだ。日本のマンションの歴史を語る上で欠かせない存在

 

今から20年くらい前、建築雑誌に日本のマンションの歴史が物件名とともにシリーズとして取り上げられたことがある。それ以来、日本のマンションの歴史にも興味を持つようになった。日本の一般家屋は30年、マンションは60年という、上のマンションは今年で築38年。あと22年いけるでしょうか。

日本の建物は歴史的価値がいくらあっても経済価値が下がれば、すぐに取り壊してしまう風潮がある。歴史的価値ある建物を資産価値に置き換えて、欧米のように資産として長く維持させていけるかが課題ですね。

 (続く)


2009 皆既(部分)日食ショー

2009-07-26 | 鹿児島市内

7月22日の皆既日食

曇空だったが鹿児島市内でも部分日食を観測できました

自宅ベランダより撮影。午前10時半すぎだったかな

子供たちも日食グラスを手にとり太陽を観察している

 

太陽がかなり欠けてきた。90%は欠けている?

 

周りが暗くなって自宅マンション駐車場の照明が自動点灯した

 

近くの街路灯も灯りがついた。辺りは確かに薄暗くなった

 

午前中は厚い雨雲が垂れ込めて部分日食の観測は無理だろうと思った

しかし太陽が欠けはじめる時間帯になるとみるみるうちに太陽の周りの雲がどいてくれた

奇跡が起きたかのよう。おかげで部分日食の変化を観察することができた

最後のこれからという一番いい時間帯で再び厚い雲に閉ざされてしまったが


2009 ドルフィンポート

2009-07-14 | 鹿児島市内

入道雲。夏本番

 

梅雨明けした日曜日、ドルフィンポートに行く

 

日食館。22日の皆既(部分)日食に備えて日食グラスを買いにきた

子供たちには学校から無料配布されている

悪石島の奇祭、ボゼ祭りに登場する仮面神、ボゼが展示されていた

 

夏の暑さは苦手だがからりと晴れ上がる日もいいもんだ。22日の日食は期待しよう

 


2009 喜入麓の風景 02

2009-07-11 | 麓-鹿児島・指宿

喜入麓の馬場の山側にある石垣に比べると反対側の石垣はどれも低い

山側だけが高いのは馬場の造成上の理由でしょうか

 

この武家門はいまにも崩れそうだが1年前の姿と変わっていない。台風で壊れないか心配です

 

馬場を進むと左右に武家門が見えてくる

 

武家門は石製の柱に取り替えられています。三段構えの立派な門です。修理中でしょうか

 

綺麗な石垣が続いています。石垣と生垣の組合せが綺麗です

 

 

ここの武家屋敷の佇まいがとても好きです。実に絵になります。後ろの法面工事が気になりますが

 

 

馬場は突き当たりで左折するようになっています

 

馬場にたつ最後の武家門

 

(訪問後記)喜入麓は鹿児島市内の貴重な歴史的風景ある地として是非整備して欲しい地区です

参考:喜入麓(2008.7) 参考:喜入旧麓(2008.7


2009 喜入麓の風景

2009-07-09 | 麓-鹿児島・指宿

6月中旬に南九州市頴娃町へ向かう途中、喜入麓を訪れました

喜入小学校(領主肝属家の御仮屋跡)前の広い馬場に沿って石垣や生垣が続き、武家門が点在します

 

喜入麓の入口付近に建つ武家門。山の緑が綺麗です

 

喜入小学校の正門前の生垣は造形が実に見事です

 

喜入小学校正門

   

馬場から脇に入ると古い石塀の続く武家門が残っています

 

 

石垣の続く馬場に戻りました

 

武家門の少し先に別の武家門の屋根が左右に見えるのが分るでしょうか?

1つの写真に複数の武家門が収まる風景がとても好きです

(続く)


2009 松山麓の風景

2009-07-04 | 麓-曽於・志布志

恒吉麓を後にし、この日最後の訪問地、松山麓を訪れました

 

松山新橋。見事な武家門が建っています。庭木の手入れも見事です

 

 

松山新橋。馬場の両側に石垣と生垣がよく残っています

 

 

生垣の緑に武家門が隠れています

 

箒の址が実にすがすがしいです

 

 

 

  

松山町郷土史によると、『松尾城の周囲に郷士が住み、麓を形成していた。中でも野久尾に郷士が多く住み、馬場にも住んでいた。秦野は城山とは距離があるがここにも郷士が数多く居住していた。その数はむしろ新橋よりも多かったと言われる。新橋と秦野は島津藩直轄の郷士であるが、この外に尾野見、黒石方面に新納家の家来、大野原方面に伊勢家の家来が居住していた。松山郷の地頭仮屋は現在の農協にあった。』(S44.10発行)

参考:松山麓(2008.9訪問


2009 恒吉麓

2009-07-04 | 麓-曽於・志布志

鹿屋市に出張したついでに大隅町の恒吉麓まで足を延ばしてみました

田に水を張るころの5月中旬です

 

 

地頭仮屋が建てられた常吉城の跡

恒吉城(別名、日輪城)は、庄内の乱のときに伊集院忠真方の都城十二支城の一つとして島津方と戦った

島津方に降伏した後、島津氏所領として地頭が置かれた

 

地頭仮屋跡は意外に広い

 

近くに武家門が残っています

  

徳泉寺の門

 

地頭仮屋跡の向こうまで行ってみたが、石垣や生垣等のめぼしい遺構は残念ながら見あたらなかった

(参考:恒吉麓2009.2訪問


2009 東京・乃木坂散歩

2009-07-03 | 東京

乃木神社。東京ミッドタウンの角を曲がり、外苑東通りを青山方面へ歩く

 

乃木坂陸橋より赤坂TBS方面を望む

下を進むと赤坂小学校や檜町公園にでる

 

旧乃木邸に立ち寄る

 

旧乃木邸

乃木希典は長州藩の支藩で現在六本木ヒルズになっている長府藩上屋敷で生まれた

邸内には母屋や厩舎が保存されている

 

旧乃木邸裏門

 

隣接する乃木神社の境内は鬱蒼とした緑に囲まれ、ひんやりして気持ちがよかった

 

乃木邸の先にある山王病院。子供がずいぶんと世話になりました

 

青山一丁目駅から銀座線で虎ノ門へ向かいました


2009 東京・六本木三河台

2009-07-01 | 東京

東洋英和のある旧麻布鳥居坂町から六本木の交差点を渡り、三河台方面へ歩く

旧麻布三河台町。フランシスコ会聖ヨゼフ修道院

日曜日は多くの外国人家族が教会に集まっていた

毎年恒例の教会バザーは子供の玩具を目当てに朝早くから並びました。けっこう掘り出し物があるんですよね

骨董商らしき男性もよく見かけました。道沿いに進むとアメリカ大使館の宿舎がある

檜坂

 

当時の檜町公園。シャボン玉で遊んでいるのは長女と長男

日中公園にいるのは休憩中のサラリーマンかたまに外国人の子が親やベビーシッターと散歩に来るくらい

それと池で釣りを楽しむオジサン

 

今の檜町公園

 

檜町公園の上にある通りは随分ときれいになりました。通りの右側は東京ミッドタウン

 

麻布山幼稚園のバスの送迎ルートになっていました

近くにアメリカ大使館宿舎があるためか警官がよくパトロールしてくれていた

  

 

旧防衛庁跡。ミッドタウン造成中の頃

 

六本木ヒルズができた頃のけやき坂